表裏回転
治安局の入口付近へ差しかかった時だった。
「失礼。もしかして、勇者殿ではありませんかな?」
不意に声を掛けられ、セレスティアは足を止めた。
振り向く。
そこに立っていたのは、身なりの良い中年の男だった。
柔らかな笑み。
少し落ち着きすぎた物腰。
仕立ての良い服。
一目で貴族だと分かる。
「私はパーラメント・ヒル男爵と申します」
男は丁寧に礼を取った。
「少し、お話する時間はありますかな?」
「構いませんが……」
そう言いかけてから、セレスティアは内心で自分に突っ込んだ。
(待て)
(何も考えず返事をしたが、本当に構わないのか?)
(いや、これからアシュハートと合流するだけだ)
(急ぎの予定はない)
(なら問題ない……はず)
彼女の思考がまとまる前に、パーラメント男爵は嬉しそうに要件を話し始めた。
「実は、うちの息子が勇者殿に憧れておりましてな」
「ああ」
そこで男爵は、はっとしたように目を丸くする。
「おっと、失礼。まだ勇者殿のお名前を伺っておりませんでしたな」
「セレスティア・ヴァレンティアです」
セレスティアは少し首を傾げた。
「男爵殿は、私のことを知っていて声を掛けたのではないのですか?」
「いいえ」
パーラメント男爵はあっさり首を振った。
「身なりからして冒険者の方かと思いました。ですが冒険者の方が治安局にいるとなると、街で何かトラブルを起こした方かとも思ったのですが……」
男爵はセレスティアを上から下まで見て、困ったように笑う。
「貴女は、そんなトラブルを起こしそうな雰囲気ではない」
「それはどうも」
「そうなると、冒険者風で治安局に用のある方。消去法で、執政官殿が呼んだという勇者殿ではないかと考えましてな」
男爵はそこで豪快に笑った。
「いや、合っていて良かった!」
わっはっはっ、と屈託なく笑う。
セレスティアはその様子を見て、内心で一つ評価を下した。
(この方、あまり嘘は得意ではなさそうだな)
実際、パーラメント男爵は嘘が顔に出るタイプだった。
その評価は正しい。
「それで、御子息がどうかされたのですか?」
「ああ、そうでしたな」
男爵は嬉しそうに身を乗り出す。
「いやね、息子が常々、一度で良いから勇者に会ってみたいと言っておりまして」
「なるほど」
「どうにか会わせてやりたいと思っていたのですが、なかなか貴女のような方々と知り合う機会がありませんでな」
そこで男爵は両手を広げた。
「すると今まさに、目の前に勇者殿がおられるではありませんか!」
声が大きい。
悪意はない。
だが少々圧が強い。
「そういうわけで、お暇でしたら私の屋敷へ来ていただけませんかな?」
「今からですか?」
「はい。馬車なら治安局の裏手の馬車置き場にあります。すぐに表へ回させますので」
男爵は期待に満ちた顔で続ける。
「どうでしょう?」
「ふむ……」
セレスティアは考えた。
別に構わない。
だがレオヴァンと合流して、今後の方針を話し合う予定がある。
「今は連れと会う予定がありまして」
「お連れの方ですか」
「はい。今後の方針も話し合いたいので、明日では駄目でしょうか?」
「そこを何とか」
パーラメント男爵は急に真面目な顔になった。
「実は今日は、その息子の誕生日なのです」
「誕生日」
「何とか今日、会ってやってはいただけませんか」
男爵は貴族の礼を取り、深く頭を下げた。
「何卒。セレスティア・ヴァレンティア殿」
セレスティアは少し困った。
事件は気になる。
だが滞在日数に制限があるわけではない。
それに、誕生日の子供が勇者に会いたいというなら、多少の時間を割くくらいは構わないとも思う。
「分かりました」
セレスティアは頷いた。
「少しだけなら」
「おお!」
男爵の顔が輝く。
「ありがとうございます!」
「では屋敷へ案内を――」
そこで男爵が、何かに気付いたように顔を上げた。
「そういえば、お連れの方と会う予定とおっしゃいましたな」
「はい」
「その方も、まさか勇者では?」
「そうです」
その返答を聞いた瞬間、パーラメント男爵の表情がさらに明るくなった。
「では、何卒その方もご一緒に!」
「え?」
「一度に二人も勇者に会えるとなれば、息子も大喜び間違いなしです!」
セレスティアは少しだけ面倒だと思った。
わざわざアシュハートを拾いに戻り、そのまま貴族の屋敷へ行く。
効率が良いとは言えない。
だが、誕生日の子供が喜ぶなら、それくらいのサービスはしてもいいかもしれない。
そう考えたところで、彼女は大事な確認をしていないことに気付いた。
(待て)
(子供といっても何歳だ?)
勇者に憧れていると聞いて、小さな男の子を勝手に想像していた。
だが実際には、そこそこ大きな少年かもしれない。
貴族の子弟で、勇者に会いたい。
場合によっては面倒な相手である。
その可能性を考えた瞬間、セレスティアの気持ちは少し冷めた。
まだ望みはある。
そう思い、尋ねる。
「念のために伺いますが、御子息はお幾つなのです?」
「ああ、失礼。言っておりませんでしたな」
男爵はまた豪快に笑った。
「息子は今日で六歳になります」
「六歳」
セレスティアは少しだけ安心した。
それなら問題ない。
男爵は首に掛けていたロケットを取り出し、中を開いて見せた。
「これが息子です」
中には、小さな写真が収められていた。
妻と思しき女性。
パーラメント男爵。
そして三歳ほどの男の子。
セレスティアは思わず目を留めた。
「ほう。これが写真というものですか」
「ご存知ありませんか」
「見るのは初めてです」
「でしょうな」
男爵は嬉しそうに頷く。
「カメラなどという面倒くさい道具で、いちいち映像を残すのは物好きくらいですから」
「魔法の水晶の方が一般的ですからね」
「その通り」
カメラもまた、稀人がこの世界へ伝えた技術である。
だがこの世界には、より簡単に映像を残せる魔法道具が存在する。
そのためカメラは一部の愛好家が使う、少々高価で面倒な玩具という扱いだった。
セレスティアは男爵の道楽話を半分ほど聞き流しながら、表へ回された馬車に乗り込んだ。
◇
途中、宿場通りの道端でレオヴァンを拾った。
彼は壁にもたれ、特に何をするでもなくセレスティアを待っていた。
「遅ぇぞ」
「すまない。予定が変わった」
「何だ?」
「貴族の子供の誕生日に招かれた」
「は?」
事情を説明すると、レオヴァンは心底面倒臭そうな顔をした。
しかし断りはしなかった。
「まあ、飯が出るならいいか」
「お前は本当に分かりやすいな」
どうでもいい話だが、身長二メートル三十センチ。
分厚い筋肉で覆われたレオヴァンが馬車へ乗り込んだことで、馬車は彼が座った左側へ大きく傾いた。
御者が一瞬ぎょっとした顔をする。
パーラメント男爵は気にせず笑っていた。
馬車は少し左に傾いたまま、パーラメント男爵邸へ向かって進んでいった。
◇
屋敷に到着した二人は、すぐに男爵の息子と対面した。
セブン・ヒル。
今日で六歳になった少年である。
勇者に憧れていると聞いていたので、セレスティアは純粋に喜ばれるものだと思っていた。
だが、現実は違った。
セブンは二人を見るなり、開口一番こう言った。
「お前たち、できているのか?」
セレスティアは固まった。
レオヴァンも固まった。
パーラメント男爵だけが、音を立てて凍りついた。
「セ、セブン!」
「何だ、違うのか?」
「ただの相棒だ」
セレスティアは何とか答えた。
するとセブンは腕を組み、ふんぞり返る。
「ならセレスティア。お前を僕の愛人にしてやる」
「……」
「年増なのは気になるが、その顔の美しさに免じて目を瞑ってやろう」
「セブン!」
パーラメント男爵が悲鳴に近い声を上げた。
「申し訳ありません! 勇者殿! 本当に申し訳ありません!」
男爵は何度も頭を下げる。
セレスティアは少し遅れて瞬きをした。
「いえ……子供の言うことですので」
気にしていない。
というより、理解が追いついていなかった。
レオヴァンは横で肩を震わせている。
笑いを堪えているのが見え見えだった。
「アシュハート」
「いや、悪い」
「笑うな」
「無理だろ、これは」
用は済んだ。
そう判断した二人は早々に帰ろうとした。
だがパーラメント男爵は、息子の非礼を詫びるため、街の滞在中は自分の屋敷のゲストルームを使ってほしいと申し出た。
食事も提供する。
費用はいらない。
さらに、今夜の誕生日パーティーにも出席してほしいという。
セレスティアは断ろうとした。
だがレオヴァンが先に口を開いた。
「いいんじゃねぇか?」
「アシュハート」
「安宿よりこっちの方がいい」
「捜査はどうする」
「そこも含めてだ」
結局、二人はパーラメント男爵邸に滞在することになった。
◇
用意されたゲストルームは広かった。
窓からは庭が見え、調度品も上等である。
二人きりになると、セレスティアはすぐに尋ねた。
「なぜ男爵殿の屋敷に泊まる?」
「ん?」
レオヴァンはソファに腰を下ろす。
「街の宿の方が聞き込みには便利だと思うが」
「バッカ野郎」
レオヴァンは鼻で笑った。
「その辺のチンピラや店主に話を聞くだけなら、街の宿の方が楽かもしれねぇよ」
「なら」
「犯人が貴族だったらどうする?」
セレスティアは黙った。
「お前、どうやって会う気だ?」
「……」
「貴族の屋敷に行って、勇者だから話を聞かせろって乗り込むか?」
「それは印象が悪いな」
「だろ」
レオヴァンは足を組む。
「だったら男爵様と仲良くしておいた方がいい」
「紹介役か」
「そういうことだ」
レオヴァンは窓の外を見る。
「会いたい怪しい貴族がいた場合、男爵に紹介してもらえばいい。誕生日パーティーなら、他の貴族も来るだろ」
「なるほど」
セレスティアは深く頷いた。
「さすがアシュハートだ」
「お前な……」
「私はそんなこと考えもしなかった」
「胸張って言うな」
レオヴァンは呆れたようにため息を吐く。
この女はいつもそうだ。
警戒心は強い。
悪意のある人間には敏感に反応する。
危険があると判断すれば慎重すぎるほど慎重になる。
だが相手を善人、あるいは警戒不要な人物だと判断した瞬間、一気に頭の回転が鈍る。
危なっかしい。
放っておくと、悪人ではなく善人の善意に巻き込まれて面倒事を背負う。
レオヴァンはそう思っていた。
「いいか、セレス」
「何だ」
「パーラメント男爵はたぶん悪人じゃねぇ」
「私もそう思う」
「だが、悪人じゃない奴が面倒事を持ってこないとは限らねぇ」
「……肝に銘じよう」
「本当か?」
「努力する」
「かぁー、不安だなー」
そうして今後の方針を話し合っていると、部屋の扉がノックされた。
「勇者様」
メイドの声だった。
「そろそろ若様の誕生日パーティーが始まります。会場のお庭へご案内いたします」
◇
案内された庭は、子供の誕生日会というより小さな祭りだった。
庭木には色とりどりの飾りが吊るされ、白いテーブルには菓子や果実酒、肉料理が並んでいる。
楽団が明るい曲を奏で、子供たちよりも大人の客の方が多かった。
やはり貴族の催しだ。
名目は誕生日。
実態は社交場。
パーラメント男爵は二人を連れ、客人たちへ紹介して回った。
セレスティアはそのついでに、事件について何か知らないか尋ねていく。
黒山羊と毒ヘビの教団。
首無し死体。
下水道。
最近姿を見ない者。
魔術に詳しい者。
だが、決定的な情報は出てこない。
その中で、何人かの貴族が同じ名前を口にした。
アウグストゥス・ヴァーミリオン男爵。
三年前、突如社交界に現れた男。
断絶したはずの名家、ヴァーミリオン家の後継者を名乗る怪しい人物。
錬金術に通じ、奇妙な薬を扱う男。
噂としては興味深い。
だが、事件との繋がりはまだ見えない。
(怪しいという噂だけで疑うわけにはいかない)
(だが、覚えておく価値はある)
珍しい勇者への挨拶の波が、ようやく途切れた頃だった。
「失礼」
穏やかな声がした。
セレスティアが振り向く。
そこへ、一人の老紳士が近づいてきた。
白髪。
モノクル。
上品な立ち姿。
老いを感じさせない、隙のない立ち振る舞い。
「見慣れぬ方がおられると思えば、もしや街に来ているという勇者の方々ではありませんかな?」
それが、セレスティア・ヴァレンティアとアウグストゥス・ヴァーミリオンの最初の出会いだった。
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