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異世界倒叙サスペンス~サイコパス男爵とシリアルキラー令嬢~  作者: 諏訪 富二一(ふじいち)
2部

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善悪と言うもの

「正義? 何の話だ?」


アウグストゥスは、本気で意味が分からないという顔をした。


それからティーカップを指先で弄びながら、向かいに座るナニレスクを眺める。


「俺にとって正義も悪も、この世に存在する物事の分類に過ぎんよ。人間は随分とありがたそうにその二つを口にするが、実際には自分の立ち位置が変われば、驚くほど簡単に呼び名も変わる」


ナニレスクのペンが紙面を走った。


アウグストゥスは構わず続ける。


「昨日まで職務質問をしてくる巡察官を『ポリ公』と罵っていた人間が、翌日に強盗へ襲われれば『お巡りさん、助けてください』と泣きつく。巡察官が昨日だけ悪人で、今日は突然善人になったわけではない。変わったのは、その人間にとって巡察官が邪魔な存在か、守ってくれる存在かという一点だけだ」


少しだけ笑う。


嘲笑というより、面白い標本を眺める研究者の笑いだった。


「人は自分を責め立てる正しさを悪と呼び、自分を守ってくれる正しさを正義と呼ぶ。だから俺は、正義という言葉をあまり信用していない。もっとも、それ自体を非難する気もないがね。生き物が自分の都合を優先するのは当然だ。俺だってそうしている」


そこで言葉を切り、紅茶を一口飲んだ。


ナニレスクは顔を上げない。


「では、何が気に入らないんです?」


その問いに、アウグストゥスはカップをソーサーへ戻した。


「自分の都合で世界を量ることは当然の権利だと思っているくせに、俺が俺の都合で世界を量ると、それを罪だ悪だと騒ぎ立てるところだよ。自分は都合で動く。だが俺には都合で動くなと言う。随分と一方的な話ではないか?」


声音は穏やかなままだった。


「俺は誰かが自分の都合で何を決めようと、それだけを理由に非難したことはない。俺に不利益を与えようとするなら話は別だがね。その場合は説得するか、罠にはめるか、蹴落とすか、それでも駄目なら力ずくで粉砕する。それだけだ」


ナニレスクの手が一瞬止まった。


アウグストゥスはそれを見て、薄く笑った。


「どうした。今のところは書かないのか?」


ナニレスクは無言で再びペンを走らせた。


――アウグストゥス・オクタヴィアヌス取材記録より抜粋。


◇


アウグストゥスは戦いながら観察していた。


姿を隠し、リマが作った僅かな隙を狙ってアスイズミへ斬撃を加える。


最初の数度は通じた。


だが、それも長くは続かなかった。


アスイズミ――いや、正確にはその手に握られた光の剣が、こちらの攻撃へ適応し始めている。


(ふむ……今ので三度目か)


先ほどまでなら届いていた角度へ刀を振るう。


アスイズミが背中を向けたまま身体を捻り、紙一重でかわした。


(やはり対応され始めたな。いや、それだけではない)


アウグストゥスは隠密を維持したまま距離を取った。


(学習速度そのものが上がっている)


敵は、戦闘経験を蓄積している。


それだけなら珍しくない。


問題は、その蓄積を利用して次の学習まで速くなっていることだった。


一度覚えた型を基礎に、次の情報をより短時間で処理する。


そしてその能力は、アスイズミ本人のものではない。


(インテリジェンス・ウェポン……意思を持つ遺物の類か)


遺物の中でも極めて希少な存在。


武器でありながら所有者とは別個の判断能力を持ち、場合によっては主人を選び、拒み、あるいは食い潰す。


目の前の光の剣は、その中でも相当に質が悪い。


(そして――)


アウグストゥスの目が僅かに細くなった。


アスイズミの身体を見ても、もはや以前感じていた違和感がない。


苦痛。


抵抗。


一瞬だけ表へ滲んでいた本人の気配。


それらが消えている。


(完全に食われたか)


もう、アスイズミ自身はどこにもいない。


肉体だけが残され、その中身を別の意思が動かしている。


少なくとも、アウグストゥスの観察ではそう判断するしかなかった。


(管理者にとって使徒とは、結局のところ替えの利く駒らしい)


哀れだとは思う。


だが腹は立たない。


(まあ、人間を使い捨てにするという意味では、俺も他人のことを言えんがな)


むしろ感情より先に、興味が湧く。


何人作れるのか。


一人死ねば、次も同じように用意するのか。


この光の剣に蓄積された経験は、次の宿主へまで引き継がれるのか。


もしそうなら。


(早々に壊しておかんと面倒なことになる)


その結論へ達した時。


リマが動いた。


「単発が駄目なら、数でどうですかねぇ!」


緑色の光の弓が強く引き絞られる。


放たれた矢は一本。


だが射出された瞬間、空中で分裂した。


十。


二十。


さらに増える。


無数の緑光が扇状に広がり、上下左右からアスイズミへ殺到した。


逃げ道はない。


「これなら――」


ガガガガガガガキィン――!


言葉の途中で、リマの顔から笑みが消えた。


光の剣が動く。


速い。


振ったというより、白い線が連続して生まれた。


迫る矢を切り。


弾き。


軌道を逸らし。


一歩も下がらないまま、すべてを処理する。


最後の一本が消えた瞬間には、もうアスイズミは動いていた。


「いや、ちょっと待てって!」


一気に距離を詰める。


リマの目の前へ光の剣が迫った。


弓では受けられない。


「くそっ!」


バチン!


緑色の光が弾けた。


リマの持っていた弓が形を変える。


弦が消え、湾曲していた光が一直線へ伸びた。


緑色の光剣。


それを両手で握り、白い剣を受け止める。


ギィン――!


カールフォードの空へ、魔力同士がぶつかる甲高い音が響いた。


衝撃でリマの身体が後方へ押される。


「こりゃ、本気でヤバいな……陛下と剣で渡り合う相手だから、懐に入られないよう弓で削るつもりだったんですけど。遠距離そのものを対策されたら、俺の長所が全部死ぬじゃないですか!」


アスイズミは答えない。


「がぅッ!」


二撃目。


リマが身体を反らす。


三撃目。


剣で受け流す。


四撃目。


横へ跳ぶ。


五撃目。


切っ先が頬を掠めた。


「速っ……!」


六撃目。


防いだ。


七撃目。


間に合わない。


白い刃がリマの胴へ走った。


その瞬間。


アスイズミの右脇腹へ黒い球体が飛来した。


アウグストゥス。


アスイズミの視線が変わる。


一拍にも満たない時間で攻撃対象を切り替え、光の剣が黒球を真っ二つにした。


爆発。


黒煙。


その一瞬をリマは逃さない。


「もらった!」


緑の剣を突き出した。


だが。


アスイズミはそれすら見ていた。


床を蹴り、大きく後方へ跳ぶ。


切っ先が僅かに届かない。


距離が開いた。


リマは深く息を吐いた。


「危っぶねぇ……今の陛下の援護がなかったら、本当に腹から上下に分かれるところだったんですけど」


額を拭う。


手の甲へ汗がついた。


「陛下。もう無理っすわ、これ。俺の矢も剣も、完全に読まれ始めてますって。このまま同じこと続けても俺が先に潰れます。何か別の手があるなら、そろそろ出してもらわないと洒落になりませんよ」


軽口ではある。


だが先ほどまでとは違う。


声の奥へ、明確な警戒が混じっていた。


返事はすぐ近くから聞こえた。


「同感だ」


空間が揺らぐ。


隠密魔法が解除され、リマの隣へアウグストゥスが姿を現した。


血に濡れた衣服。


浅い呼吸。


それでも顔は妙に落ち着いている。


「学習速度がここへ来てさらに上がっている。恐らく、単なる蓄積ではない。戦闘を通じて構造そのものが変化しているのだろう。平たく言えば――進化している」


リマが嫌そうに眉を寄せた。


「そんな他人事みたいに言われても困るんですよねぇ。進化してるのは分かりました。問題は、あれをどうやって止めるかでしょう。まさか『頑張れ』の一言で俺に全部投げるつもりじゃないですよね?」


アウグストゥスは少し考えた。


「やること自体は、そう大きく変わらん」


「嫌な予感がする」


「何とかして隙を作れ。次で俺が決める」


リマがしばらくアウグストゥスを見つめた。


「……それだけ?」


「それだけだ」


「俺がどうやって隙を作るかという、一番重要な部分について何も言ってないですよね?」


「そこまで俺が考えてやったら、お前がいる意味がないだろう」


「そういうところだけ急に部下を信頼しないでくださいよ!」


文句を言いながらも、リマは逃げなかった。


アウグストゥスという男を長く知っている。


この老人が根拠もなく「次で決める」と言うことは少ない。


少なくともリマは、そういう経験を何度もしてきた。


だから不満は言う。


悪態も吐く。


それでも従う。


アウグストゥスは横目でリマを見る。


「安心しろ。死ぬほど危険というだけで、死ぬと決まったわけではない」


「その励まし方、人生で一度も人を安心させたことないでしょう?」


アウグストゥスは笑った。


だがその内心は、口調ほど余裕があるわけではなかった。


(次で決めねばならんな)


戦闘が長引くほど、こちらの手札が減る。


隠密。


遠距離射撃。


連携。


フェイント。


今まで見せた手段を一つずつ、敵が自分のものにしていく。


(これ以上経験を与えれば、本格的に手がつけられなくなる)


ここが限界だった。

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