記録するもの
一発。
二発。
三発。
夜空へ緑色の軌跡が走る。
リマの矢だった。
連続して放たれた光の矢が高級ホテル街の上空を横切り、野次馬たちから歓声が上がる。
その光景を、人混みの最後尾から必死に見上げている男がいた。
ナニレスク・クスープ。
安酒の残る身体でここまで全力疾走したせいで、肺が悲鳴を上げている。
「はぁ……はぁ……やっと、着いた……!」
両膝へ手をつき、何度も息を吸う。
その頭上を緑色の矢が通過した。
「うおおおおっ!」
疲労が吹き飛んだ。
ナニレスクは跳ねるように顔を上げる。
「すごい! なんだこれ! こんな規模の魔法戦、そうそう見られるもんじゃないぞ! 前回のルクゼソルを撮り損ねた分まで、今度こそ全部押さえる!」
鞄から記録魔法具を引っ張り出した。
起動させる。
内部の魔法機構が回転し、視界に映る光景を記録し始めた。
ズームする。
光の弓を操る金髪の青年。
そして。
光の剣を持って戦う男。
「……ん?」
ナニレスクの手が止まった。
何度か倍率を調整する。
間違いない。
「アスイズミさん……?」
豪華客船で知り合った男。
ニンザと行動していた治安局の人間。
そのアスイズミが、白い光の剣を振るっている。
「何してるんだ、あの人。剣なんか使えたのか?」
記録魔法具から目を離し、肉眼でも確認する。
やはりアスイズミだ。
「ということは……あっちの弓の男と戦ってる? だったら弓の方が襲撃者なのか? いや、待てよ。ホテルが爆発したのが先なら、どっちが先に仕掛けたか分からないな」
酔っていても、そこだけは記者だった。
安易に結論を出しかけて、一度引っ込める。
「でもアスイズミさんがここにいるなら、ニンザさんの件についても何か知ってるはずだ。どうしてこんな戦いに巻き込まれてるのかも……くそ、これは絶対に本人から聞かなきゃ駄目だ」
記録魔法具を構え直す。
「顔が映るように……弓の男も……ホテルも一緒に入れたいな。ああ、もう少し右!」
野次馬を押し退け、より見える位置へ移動する。
歓声。
怒号。
爆発。
そのすべてを記録へ収めていく。
ナニレスクは気づいていなかった。
アスイズミの白目にも。
不自然に痙攣する頬にも。
光の剣を振るうたび、唇から漏れる苦痛にも。
彼はまだ、アスイズミが自分の意思で戦っていると思っていた。
そしてもっと重大なことにも、気づいていない。
自分がいま記録している映像が。
後になって、この夜に誰がどこにいたのかを証明する記録になり得ることに。
◇
襲撃を受けたホテルから少し離れた建物。
その屋上に、アエーシュモー、ルーシュ、ギルエルの三人は避難していた。
眼下には騒ぎを聞きつけた群衆。
正面には炎上するホテル。
緑色の矢が夜空を横切るたび、ルーシュの瞳へその光が映る。
「義父さまの姿が見えないけれど……どこにいるの?」
声に不安が滲んだ。
目で追えるのはリマとアスイズミだけだ。
アウグストゥスの姿は、どこにもない。
答えたのはアエーシュモーではなく、隣で目を細めて戦場を見ていたギルエルだった。
「旦那様なら、あの巡察官の後方ですよ。五メートルくらいの距離を保ちながら、姿を消したまま機会を窺っています。完全に離れるでもなく、近づきすぎるでもなく……あの辺りです」
ギルエルが指を差した。
もちろん、ルーシュには何も見えない。
アエーシュモーが横目でギルエルを見る。
「驚きました。いくらポンコツな貴女でも、あの程度の隠密魔法であれば見破れるのですね。私、てっきり旦那様まで見失って『消えました!』などと騒ぎ出すものだと思っておりました」
「ふん、見くびってもらっては困ります。確かに私は家事の一部において多少の不得手を抱えておりますが、魔法まで不得手なわけではありません。たかが人間の隠密魔法くらい、この私にかかれば丸見えですとも」
自慢げに胸を張る。
「家事の『一部』ですか」
「今はそこを掘り下げる時ではないでしょう!」
いつもの応酬。
だがルーシュは笑わなかった。
目は戦場へ向いたまま。
「それで……義父さまは無事なの?」
ギルエルの表情が止まる。
アエーシュモーも数秒、返答しなかった。
無事。
その言葉をどこまでの状態に使うかによって答えは変わる。
死んではいない。
意識もある。
戦闘を継続できている。
それなら無事と言えなくもない。
一方で、傷は増えている。
治癒も阻害されている。
光の剣は戦闘中にも異常な速度で適応を続けている。
アウグストゥスにとって致命的な脅威ではない――そう断言するには、もう少し状況を見なければならない。
アエーシュモーは考えた。
アウグストゥスから命じられたのは、ルーシュとギルエルを守ること。
契約主の命令は絶対に近い。
露骨に命令へ違反すれば、相応のペナルティが発生する。
では、戦況を正確に説明し、不安定なルーシュへ強い精神的負荷をかけ、それによって体調を崩させた場合はどう判定されるのか。
試してみたいとは思わなかった。
「はい。旦那様には、先ほど新たな加勢もございました。現在は二対一となっておりますし、旦那様ご自身も戦闘を継続なさっています。少なくとも、今すぐ私どもが介入しなければならない状況ではございません」
嘘は言っていない。
加勢は来た。
二対一でもある。
戦闘も続けている。
ただし。
「現状では旦那様側が有利、と考えて差し支えないかと存じます」
それも、見る時間を限定すれば嘘ではなかった。
リマの介入直後。
確かに一時的には有利になった。
だが今は違う。
光の剣がリマの矢へ適応し始めている。
アウグストゥスの隠密からの奇襲にも。
そのことをアエーシュモーは言わなかった。
ルーシュは胸元で両手を握った。
「……そう。だったら、ここで待ってる。義父さまから逃げろって言われてないし、勝手に行ったらまた怒られるもの」
声は平静を装っていた。
だが握った指先が白くなっている。
アエーシュモーはそれを見ても、何も指摘しなかった。
その横でギルエルが額へ右手を当て、遠方を見るための庇を作っていた。
「そうですかねぇ」
アエーシュモーの目が細くなる。
ギルエルは気づかない。
「私には、さっきより旦那様たちの方が若干不利に見えるんですが。ほら、あの光の剣、弓の人の攻撃にもう慣れ始めて――」
ギルエルの脇腹へ、アエーシュモーの肘が入った。
「むぐっ!?」
「ギルエル」
穏やかな声だった。
笑顔すら浮かんでいる。
「少し黙っていてくださいます?」
「な、なんでですか! 私は見たままの状況を――」
二度目の肘が入った。
今度は少し強かった。
ルーシュが二人を見る。
「シュモー?」
「何でもございません。ギルエルが少々、夜風に当たりすぎて体調を崩しただけでございます」
「そんなわけ――むぐっ!」
アエーシュモーの手がギルエルの口を塞いだ。
ルーシュは怪訝そうに見つめたあと、再びホテルへ目を戻す。
アエーシュモーの笑顔も消える。
その視線の先では。
状況は確かに、少しずつ悪くなっていた。




