ドライツェン・イェーガー
どぉおおおん――!
カールフォードの夜を、腹の底まで震わせる轟音が貫いた。
高級ホテルの上層階から噴き出した炎が夜空を赤く染め、割れた窓から火の粉と黒煙が噴き出している。通りへ逃げ出した宿泊客と、逆に騒ぎを聞きつけて集まってきた野次馬が入り混じり、街は祭りと災害の境目を失っていた。
その炎の中心で、二つの刃が激突する。
ガキィン!
アウグストゥスの刀と、アスイズミの光の剣。
鍔迫り合いになった二人の足元で、砕けた床材が軋んだ。
アウグストゥスの頬には浅い切創。
左肩にも一筋。
脇腹からは赤黒い血が衣服へ滲んでいる。
対するアスイズミにも刀傷はあったが、数だけを比べれば明らかにアウグストゥスの方が多い。
その事実を前にしてなお、老人の目は恐怖より観察へ傾いていた。
(ニンザと戦った時より速い)
押し合った刃越しに、白目を剥いたアスイズミの動きを読む。
(いや、アスイズミ本人の技量ではないな。足運びも間合いの取り方も、あの男本来のものとは思えん。となれば――光の剣か)
ニンザとの戦闘。
そこで蓄積した経験。
自分がどの距離でどう斬るか。
誘いへどう反応するか。
いつ力を抜き、どこへ踏み込むか。
そのすべてを、この剣そのものが覚えているとすれば。
(面白い。だが、笑っている場合でもないな)
刀へ一気に力を込める。
当然、アスイズミも押し返した。
その瞬間、アウグストゥスは力を抜いた。
支えを失った光の剣が外へ流れる。
アスイズミの身体が僅かに崩れた。
そこへ踏み込み、右肩から胴を断つ軌道で刀を振るう。
――ニンザには通じた。
ほんの一瞬、アウグストゥスはそう考えた。
だが光の剣は、そこまで知っていた。
「がぅッ!」
人の言葉にならない声を上げ、アスイズミが軸足を中心に身体を回す。
刃が胸元を掠めた。
その回転を止めない。
避ける動きそのものを攻撃へ変え、光の剣を横薙ぎに振り抜いた。
「――っ」
アウグストゥスは反応した。
だが半歩遅い。
白い光が胸を走った。
肉が裂ける。
肋骨の隙間を抜け、刃が肺まで達した。
血が飛んだ。
アウグストゥスが二歩、三歩と後退する。
呼吸をした途端、胸の奥で湿った音が鳴った。
(肺までいったか)
心臓を潰されても即死しない身体とはいえ、身体機能が無限というわけではない。
呼吸が浅くなれば酸素が足りなくなる。
反応速度が落ちる。
そして、この相手にほんの僅かな反応の遅れを見せることが何を意味するかは、今の一撃で十分に理解できた。
(傷も塞がらん。ニンザの時と同じだ。この光には治癒を阻害する性質まであるらしい)
アスイズミが剣を構え直す。
一秒前より自然だった。
ほんの少し前まで残っていた人間臭いぎこちなさが、また一つ消えている。
「なるほど。戦えば戦うほど俺に慣れるか。随分と性格の悪い武器だ」
返答はない。
代わりにアスイズミの喉から濁った呼吸音が漏れた。
アウグストゥスは左手を持ち上げる。
虚空が歪み、周囲へ無数の黒い球体が出現した。
一斉に射出する。
上下左右。
逃げ道まで塞ぐ軌道。
しかしアスイズミは止まらなかった。
一閃。
二閃。
三閃。
光の剣が白い残像を描き、黒球を次々と斬り裂いていく。
爆ぜた黒煙を突き抜け、真正面からアウグストゥスへ迫る。
速い。
先ほどより。
また。
アウグストゥスが刀を上げるより先に、光の剣の切っ先が顔面へ伸びた。
避けきれない。
そう判断した瞬間。
夜の横合いから、緑色の光が走った。
ヒュン――!
光の矢がアスイズミの鼻先を掠める。
アスイズミは剣を引き、反射的に大きく後方へ跳んだ。
「ありゃ。外したか」
軽薄な声が聞こえた。
少し間を置いて、その声は自分で自分へ問い直す。
「……いや、今のを避けたのか? だったらちょっと話が変わってくるんだけどなぁ」
アウグストゥスが声の方向へ視線を向ける。
崩れた外壁の向こう。
夜空に、浅黒い肌をした金髪の青年が浮いていた。
右手には緑色の光で構成された弓。
口元には場違いなほど軽い笑み。
「やっほー、陛下。お久しぶりです。と言うか、ようやく見つけましたよ。こっちは何日も空飛ばされて肩も腰も限界なんですから、少しくらい見つかりやすい場所にいてくれても罰は当たらないと思うんですけどねぇ」
「……リマ・ラングウェイか」
アウグストゥスの顔に、先ほどアスイズミへ向けていたものとは別種の嫌そうな表情が浮かんだ。
リマは眉を上げる。
「なんですか、その『面倒なのが来た』みたいな顔。俺がいなかったら今頃、顔の真ん中に風穴が開いてましたよ? 命の恩人へ向ける顔としては随分じゃありません?」
アウグストゥスは鼻を鳴らした。
「お前が今の一射を外さなければ、もう少し感謝してやってもよかったのだがな」
「無茶言わないでくださいよ。あんな速度で矢に反応する奴だなんて聞いてませんって。というか何なんです、あれ。陛下が普通に押されてるじゃないですか」
「だからお前が来て丁度いいと言っている」
「嫌な予感しかしませんね、その言い方」
アウグストゥスはアスイズミから目を離さないまま、血を口端から拭った。
「見ての通り、正面から潰すには少々厄介だ。貴様が囮になって注意を引け。その間に俺が後ろから仕留める」
「やっぱり!」
リマが露骨に顔を歪めた。
「陛下が押される剣士を相手にして、俺に正面で踊ってろって? 勘弁してくださいよ。今の感じだと五分以内に二回くらい殺されそうなんですが」
アウグストゥスの口元が僅かに上がった。
「五分で二回か。腕を上げたではないか。昔のお前なら五分あれば十回は死んでいたぞ」
「褒められてる気が一切しないんですよねぇ。それに俺、一応ドライツェン・イェーガーなんですけど。もう少し国家戦力に対する敬意とか――」
そこまで言った時には、アウグストゥスの姿は薄れ始めていた。
闇へ溶ける。
輪郭が消える。
気配まで希薄になっていく。
「では任せた」
声だけが残った。
「待って待って、まだ話は――」
完全に消えた。
リマは数秒、何もない場所を見つめた。
それから深く息を吐く。
「……やれやれ。本当に変わらないな、あの爺さん」
緑色の光の弓を持ち上げる。
もう片方の手に、光が集まった。
矢となる。
リマの顔から、先ほどまでのふざけた笑みが僅かに消えた。
「まあいいか。五分で二回死ぬってのが大袈裟だったってところくらいは、見せておきますかね」
光の矢を番える。
アスイズミもまた、光の剣をリマへ向けた。




