一方そのころ
カールフォードの夜空。
金髪に浅黒い肌をした青年が、街を見渡せる高さに浮かんでいた。
下方には灯りの海が広がっている。
大通りにはまだ人が多い。
酒場、劇場、宿、屋台。
夜になってもカールフォードは眠らない。
だが青年の機嫌は、街の賑わいとは反比例して悪かった。
「まったく……俺が飛ぶの苦手だって知ってるでしょうに。探せって言うならせめて地上にいてくださいよ、陛下。人を便利な鳥か何かと勘違いしてるんじゃないですかねぇ」
もちろん、愚痴を聞く本人はいない。
その本人を探しているのだから当然だった。
青年は空中で身体を傾け、繁華街へ目を凝らす。
「それにしても、探す相手があんな爺さんってのがなぁ。これが金髪で、胸が大きくて、俺を見るなり『ずっと探していました』とか言ってくれる美女なら三日三晩でも働くんですけど。白髭の爺さん探して夜空を飛び回る仕事に、どこから情熱を捻り出せっていうんだか」
自分で言って、深いため息を吐く。
「まあ、陛下が繁華街を堂々と歩いてるとも思えないし……今日はもう帰って寝るか? いや、でもなぁ」
脳裏に、少し前の戦闘が蘇る。
猫背の魔法使い。
そしてアウグストゥス。
青年は頬を掻いた。
「あの時、猫背のおっさん魔法使いとやり合ってる最中、絶対に俺の矢へ気づいてたよな。気づいてたのに無視した。ということは、俺に会いたくないのか、俺がいると分かっていて好きにさせてるのか……どっちにしても感じ悪い爺さんだよ、本当に」
少し考える。
本国へ連絡するべきか。
アウグストゥスを発見した可能性がある。
本来なら、それだけで報告案件だった。
「陛下発見の連絡を入れたら、増員が来る。増員が来れば俺の仕事は減る。そこだけ聞くと最高なんだけど……その前に『なぜ発見した時点で報告しなかった』って怒られるよなぁ」
腕を組む。
「いっそ、このまま俺が知らないうちに街から出てくれないかな。そうしたら『いやあ、もう少しだったんですが見失いまして』で押し通せる。増員が派遣されて、陛下の保護は真面目な奴に押しつけて、俺はこの辺を旅行……いや、各地の情勢調査に――」
言い直した。
つもりだった。
「……駄目だな。どう言ってもサボりにしか聞こえない」
その時だった。
ボォン――!
腹の底を殴るような轟音が、カールフォードの夜を震わせた。
青年の表情が止まる。
人々のざわめきが、遥か下から湧き上がった。
音のした方角へ目を向ける。
高級ホテル街。
その中でも一際背の高い三十階建てのホテル。
上層階の一室から炎が噴き出していた。
黒煙が夜空へ昇り始める。
青年はしばらく無言でそれを見つめた。
そして、嫌そうに顔を歪めた。
「……トラブルあるところに陛下あり、か」
嫌な確信があった。
「いやいや、ただの火事かもしれない。料理人が鍋ひっくり返したとか、金持ちが馬鹿みたいに蝋燭並べて燃え移ったとか。そういう平和な事故である可能性も……あの爆発で?」
自分で否定する。
「ないよなぁ」
ホテル上階で、もう一度光が瞬いた。
今度は何かが激突した音まで聞こえた。
青年の顔から怠惰な笑みが消える。
「――陛下だったら笑えねぇか」
身体が前へ傾いた。
次の瞬間。
青年は夜空を蹴るように加速し、炎の上がるホテルへ一直線に飛んだ。
◇
その頃。
ナニレスク・クスープは安いバーのカウンターで、安酒を煽っていた。
理由は、非常に分かりやすい。
取材に失敗した。
しかも、記者として最悪の形で。
豪華客船の事件を解決した二人の一人。
ニンザ・フルハタ。
そのニンザがホテル・ルクゼソルで何者かと交戦し、その後死亡した。
大事件である。
記事にすれば間違いなく売れる。
後世に残る可能性すらある。
そしてナニレスクは、その本人と接触していた。
同行者にも接触していた。
事件の匂いも嗅いでいた。
なのに。
肝心の瞬間だけ、現場にいなかった。
「僕は馬鹿か……」
ナニレスクはグラスへ額を押しつけた。
「いや、馬鹿だよ。これはもう弁解しようがない。ニンザ・フルハタなんていう、どう考えても普通に旅行して終わるわけがない人間を目の前にしておきながら、泊まってるホテルすら正確に押さえてない。記者が聞いて呆れるよ。僕が編集長なら僕を殴ってるね」
自分で自分を罵倒しながらグラスを掲げる。
「マスター! 酒! もう一杯! この店で一番安いやつ! 高い酒なんか僕にはもったいない。今日は反省会なんだから!」
静かな店内へ声が響き渡った。
何人かの客が露骨に顔をしかめる。
店主も同じだった。
「お客さん、さっきから声が大きいですよ。他のお客さんの迷惑ですし、そんな飲み方するなら今日はもう帰ってください」
精一杯、穏便に言ったつもりだった。
しかし酔ったナニレスクに通じるはずもない。
彼は勢いよく身体を起こした。
「なんだと! 僕は客だぞ! 客が酒を頼んで何が悪い! いや、待て、マスターの言い分も分かる。他の客に迷惑をかける僕が悪い。だが酒を注文する客としての僕は正しい。マスターも店を守る者として正しい!」
人差し指を立てる。
何か重大な真理へ到達した顔をしていた。
「つまり、世の中とは正義と正義のぶつかり合いなんだよ。みんな自分が正しいと思って生きている。正義と正義が衝突して、歴史が生まれて、地球が回る!」
店主が眉を寄せた。
「地球って何です?」
「……なんだろうね?」
ナニレスク自身も分からなかった。
数秒だけ考えたあと、どうでもよくなったらしい。
「まあいいや。酒!」
店主はこれ以上相手をすることを諦め、安酒をグラスへ注いだ。
「ぬっはははは! これよ、これ! 酒は命の潤滑油! 嫌な失敗も、編集長に怒鳴られる未来も、全部これで胃の中に流し込めば――」
一気に飲み干す。
顔をしかめた。
「……まずい!」
「一番安いの頼んだのはあんただ」
「でも、もう一杯!」
店主の額に青筋が浮かぶ。
「お客さんねぇ――」
その時、入口の扉が勢いよく開いた。
夜風と共に、一人の常連客が飛び込んでくる。
「おい、マスター! 外がまた凄いことになってるぞ!」
店中の視線が集まった。
常連客は興奮している。
「この前、ルクゼソルで魔法使い同士がやり合ってたろ? 今度は高級ホテル街の方だ。さっきからドカン、ドカンって馬鹿でかい音がしてる。ホテルの上の方から火まで出てるぞ!」
ナニレスクの手からグラスが止まった。
酔いが消えた。
完全に、ではない。
だが記者としての本能が、酒気を蹴散らした。
「……今、なんて言った?」
「だから魔法使い同士の――」
ナニレスクは椅子を蹴って立ち上がった。
常連客の襟首を両手で掴む。
「どこ! 場所はどこです! 何てホテル! 誰と誰が戦ってる! 死人は! 治安局はもう来てる!?」
「し、知らねぇよ! 場所までは見てねぇ! 音の方角からして高級ホテル街じゃねぇかって話だ! つーか苦しい、離せ! アンタ誰だ!」
ナニレスクは手を放した。
その瞬間には、もう頭の中で記事の構成が走り始めていた。
ルクゼソル。
ニンザ死亡。
魔法使い同士の交戦。
そしてまた、ホテルで戦闘。
偶然か。
違うなら何が繋がっている。
「同じ奴だ」
ぽつりと漏れた。
店主が聞き返す。
「何がです?」
「分からない。でも、二回続けて高級ホテルで魔法戦なんて、偶然で片づけたら記者じゃない。今度こそ押さえる。死体が出る前に現場へ着いて、誰が戦ってるのか、この目で見る!」
ナニレスクは鞄を引っ掴み、扉へ走った。
「お客さん!」
背後から店主の声が飛ぶ。
「金! まだ払ってませんよ!」
ナニレスクは一瞬だけ止まった。
財布。
現場。
財布。
現場。
天秤が揺れたのは、おそらく一秒にも満たない。
「つけといて!」
「うちはツケやってねぇ!」
「じゃあ取材費で後払い!」
「意味分かんねぇよ!」
ナニレスクは店を飛び出した。
「食い逃げだぁぁぁ!」
怒声が夜のバーを震わせる。
しかし、もう本人には届いていない。
ナニレスクは全力で高級ホテル街へ走っていた。
その頭上では、金髪の青年が同じ場所へ飛んでいる。
そしてホテルの三十階では。
ニンザ・フルハタの死を取材し損ねた記者が、今度こそ見逃してはならないものが――すでに始まっていた。




