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異世界倒叙サスペンス~サイコパス男爵とシリアルキラー令嬢~  作者: 諏訪 富二一(ふじいち)
2部

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アスイズミの抵抗

「治安局で働こうと思った理由?」


そう尋ねられたアスイズミは、すぐには答えなかった。


椅子の背にもたれ、天井を見上げる。いかにも難しい質問をされたような顔をしていたが、しばらくすると「ああ」と声を上げ、膝を叩いた。


「思い出した。子供の頃、近所にガキ大将がいたんですよ。太ってて、声がでかくて、弱い奴を見つけるとすぐからかうような、本当に嫌な奴でね。僕もよく目をつけられてました。今でも顔を思い出すと腹が立つくらいですよ」


思い出しただけで不愉快になったのか、アスイズミは露骨に眉をしかめた。


それから、少し照れ臭そうに鼻の下を指で擦る。


「それで、ある日またそいつに絡まれてたら、たまたま通りかかった巡察官のおじさんが止めてくれたんです。何か特別なことをしたわけじゃないですよ。ガキ大将を叱って、僕に『もう大丈夫だ』って言っただけ。でも子供の僕には、そのおじさんがもの凄く格好よく見えたんです。剣を振り回したわけでも、魔物を倒したわけでもないのにね」


そこでアスイズミは笑った。


普段の軽い笑い方とは、少し違っていた。


「だから治安局に入りました。あのおじさんみたいになれたかって訊かれると……まあ、そこは答えに困りますけど。でも、困ってる奴を見つけた時くらいは、『ああいう人間になりたいと思って入ったんだ』って思い出すようにはしてますよ」


向かい側では、ナニレスクが何も言わず、その言葉をメモへ書き留めていた。


――エー・アスイズミ取材記録より抜粋。


◇


カールフォードの宿場街。


表通りから一本外れただけで街灯の数が減り、酒場から漏れる笑い声も遠くなる。その一角に建つ安宿の二階で、エー・アスイズミは床を這い回っていた。


最初は、夢の中だけだった。


白い霧。


意味を持つ耳鳴り。


頭へ直接押し込まれる命令。


目が覚めれば消えた。


だから耐えられた。


少なくとも、そう思っていた。


だが数日前から、それは眠りと現実の境目を越え始めた。


起きている間にも、不愉快な信号が頭蓋の内側へ流れ込んでくる。


眠っていても逃げられない。


起きていても逃げられない。


キイイイイイン――。


「うぅ……ぐっ、痛たたたたた……!」


両手で頭を抱え、アスイズミは床へ額を擦りつけた。


吐き気がする。


眼球の裏側へ焼けた針を差し込まれ、脳そのものを掻き回されている感覚だった。


ニンザも、これを。


あの人も、こんなものに耐えていたのか。


そう考えた瞬間、また信号が強くなる。


意味が流れ込んできた。


アウグストゥス・ヴァーミリオン。


殺人。


人体実験。


偽装。


隠蔽。


その男がこれまで何をしてきたのか。


何を奪い。


何を壊し。


何人を死なせたのか。


声の主は、まるで世界そのものが罪状を読み上げるかのように、一つ残らずアスイズミへ叩き込んできた。


「嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ! もう聞きたくない!」


アスイズミは耳を塞いだ。


意味がない。


外から聞こえている声ではないからだ。


「分かったよ! アウグストゥスさんがとんでもないことをしてきたっていうのは、もう嫌ってほど分かった! でも、それと僕がお前の命令で剣を持つのは別の話だろ! ニンザさんにも同じことをして、あの人をアウグストゥスさんと戦わせたんだろ。さんざん頭の中を弄って、最後には自分で選んだみたいな顔をさせて!」


キイイイイイン――。


頭痛が一段強くなった。


「ぐっ……!」


それでもアスイズミは黙らなかった。


黙れば、負ける気がした。


何に負けるのか、自分でもよく分からない。


ただ、ニンザの手帳に書かれていた言葉だけが頭から離れなかった。


――その時は私を止めてほしい。


「ぼ、僕はな……確かに大した巡察官じゃないよ! 出世するつもりもないし、危険な事件ならできるだけ第一課に投げたいし、仕事が終わったらさっさと帰りたい! 定年まで余計なことせず働いて、年金もらって暮らすのが目標だ! それの何が悪い!」


半ば叫びながら、アスイズミは床を拳で叩いた。


自分でも情けない理屈だと思う。


だが声の主に格好をつける必要などなかった。


「だからこそ、こんなところで勝手に人を斬って首にされるなんて絶対に嫌なんだよ! 証拠を集めて、捕まえて、裁く。それが僕らの仕事だろ! 相手がどれだけ悪党だろうが、『世界が悪い奴だって言ってました』なんて理由で巡察官が剣を振ったら、それは治安局じゃない。ただの私刑だ!」


言葉が止まった。


荒い呼吸だけが室内へ響く。


そして、脳裏にひどく古い記憶が浮かんだ。


泣きそうになっていた幼い自分。


その前に立った、名前も知らない巡察官。


――もう大丈夫だ。


アスイズミは歯を食いしばった。


「僕は……あのおじさんみたいになりたくて治安局に入ったんだ。目の前の子供に『大丈夫だ』って言える人になりたかったんだよ。それなのに、お前の言う通りに誰かを斬ったら、昔の僕が見たらどう思うんだ。そんな奴をヒーローだと思うのかよ」


キイイイイイイイン――!


「――っ、ぁあああああああああッ!」


視界が真っ白になった。


頭蓋の内側で何かが弾けた。


アスイズミは床へ倒れ、身体を丸める。


口の中に鉄の味が広がった。


鼻血が床板へ落ちていく。


それでも、震える口元だけは笑っていた。


「効いてるぞ……ものすごく効いてる。だから何だよ。痛いから言うことを聞くなら、巡察官なんて最初からやってないんだよ……」


返事の代わりに、また信号が流れ込んだ。


先ほどまでとは違う。


命令ではない。


映像だった。


夜のホテル。


三十階。


窓。


そこにいる一人の男。


アウグストゥス・ヴァーミリオン。


そして――。


アスイズミ自身の手に握られる、光の剣。


「やめろ……」


声が掠れた。


右手の指が勝手に動いた。


「それだけは……やめろ……!」


アスイズミは左手で右手首を掴んだ。


だが、右腕は別の生き物になったように持ち上がっていく。


光が集まり始める。


柄が生まれた。


鍔が形を作る。


刃が伸びていく。


あの日。


ニンザが握っていたものと、同じ剣だった。


「僕の……手だぞ……」


アスイズミの顔から笑いが消えた。


「勝手に使うな……!」


光の剣が完成した。


そしてその瞬間。


アスイズミの意識から、宿の部屋が消えた。

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