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異世界倒叙サスペンス~サイコパス男爵とシリアルキラー令嬢~  作者: 諏訪 富二一(ふじいち)
2部

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使徒再び

ルシュファリアは相変わらず騒がしかった。


客を呼び込む商人の声。


荷車の車輪が石畳を叩く音。


復興工事の槌音。


路地から流れてくる焼いた肉と香辛料の匂い。


セレスティアはその雑踏の中を、レオヴァンと並んで歩いていた。


目的は宿を取ること。


その後、カールフォード行きの船を確保する。


アウグストゥス・ヴァーミリオンを追うためだ。


その腕で、通信魔法具が何度目かの着信音を鳴らしていた。


だが街の騒音に紛れ、セレスティアはまるで気づかない。


隣を歩いていたレオヴァンの耳だけがぴくりと動いた。


一度。


二度。


それから彼は横目でセレスティアの腕を見た。


セレスティアを見る。


また腕を見る。


「……なんでだ、その顔は」


レオヴァンは顎で腕輪を示した。


「さっきから鳴ってるぞ。俺が言わなかったら、そのままカールフォードまで鳴らし続けるつもりだったのか?」


「ちゃんと聞こえていた。まったく、レオヴァンは耳年まだな」


「嘘つけ。今、初めて腕見ただろ。あと、耳年増の使い方が間違ってるぞ」


セレスティアは答えず、腕輪へ魔力を通した。


通信が接続される。


聞こえてきたのは、気の抜けるほど気怠そうな男の声だった。


『よう。俺だ』


「その名乗り方で誰にでも通じると思っているところは、相変わらずですね、師匠」


『お前には通じただろ。それで十分だ。今どこだ?』


「ルシュファリアです。たった今、到着しました。これから宿を確保して、カールフォード行きの船を――」


『乗るな』


セレスティアの足が止まった。


隣でレオヴァンも目を細める。


通信の向こうでニュー・ハンプシャーは、相変わらず眠そうな声をしていた。


だが、その一言だけは冗談ではなかった。


「……理由を伺っても?」


『理由も何もない。カールフォードへ向かうのは、俺がお前たちと合流してからだ。お前一人ならまだしも、お前とレオヴァンを先に放り込んで、その後から俺が追いつくなんて馬鹿な真似はしない』


「私たちはザレイドで一度、アウグストゥスと交戦しています。能力の一端も把握しました。前回より警戒して――」


『そこだよ』


ニューが遮った。


気怠げな声から、わずかに眠気が消えた。


『一度戦った。生き残った。だから次はもう少し上手くやれる。人間ってのは、そう考え始めた時が一番危ないんだ。戦力の逐次投入は各個撃破されるのが落ちだし、相手がアウグストゥスなら尚更だ。あいつは強いから怖いんじゃない。何をしてくるか分からないくせに、自分が何をしているのかは理解している。それが厄介なんだよ』


セレスティアは何も言わなかった。


脳裏へ、ザレイドでの光景が蘇る。


詠唱もない。


魔法陣もない。


触媒すらない。


それなのに事象だけが発生した。


こちらの魔法へ触れもせず、消し去った。


そして何より――あの老人は、自分たちと戦っている最中でさえ、追い詰められた人間の目をしていなかった。


観察していた。


まるで戦闘そのものを、何かの実験として眺めているように。


セレスティアは知らず、奥歯を噛んでいた。


「確かに……私も、前回と同じ相手だと思って向かうべきではないと考えています。ですが、時間を与えれば逃げられる可能性もあります。私たちが追っていることは、すでに向こうも察しているはずです」


『それでも待て。逃げられるのと、お前が殺されるのを天秤に掛けたら、俺は逃がす方を選ぶ。勘違いするなよ、諦めろって意味じゃねぇ。逃げた先まで追えばいいだけだ。死んだ勇者は追跡できない』


「師匠がそこまで慎重になるのは珍しいですね」


『俺だって相手は選ぶさ。善悪だの罪悪感だので手を止める奴なら読みやすい。怒りで動く奴も、復讐で動く奴もな。けどアウグストゥスは違う。あいつは好奇心と利益が一致したら、多分どこまででも行く。そういう人間に、“ここまではやらないだろう”って期待するな』


セレスティアは黙った。


ニューは普段、必要以上のことを語らない。


それだけに、その警告は重かった。


「……分かりました。師匠の到着を待ちます。それで、ルシュファリアへはいつ頃?」


今度は通信の向こうで沈黙があった。


ニューが頭の中で道程を計算しているのだと、長い付き合いのセレスティアには分かった。


『まあ……一週間ってところだな』


「一週間ですか」


『嫌そうな声出すな。こっちだって一週間歩きたいわけじゃねぇよ』


「別に嫌とは言っていません。ただ、その一週間の間にアウグストゥスが何もしない保証はありません」


『保証なんか最初からない。だから、お前はルシュファリアで情報を集めろ。船の出入り、カールフォード方面の航路、あいつに関係しそうな話。追うなとは言ったが、止まってろとは言ってねぇ』


そこでニューは一拍置いた。


『それとセレスティア。アウグストゥスを見つけても、一人で英雄ごっこはするなよ』


「私は勇者です。英雄ごっこではありません」


『そういうところが心配なんだよ』


通信が切れた。


セレスティアはしばらく腕輪を見つめていた。


隣で最初から最後まで聞いていたレオヴァンが、両手を頭の後ろへ回す。


「ということは、一週間ここに缶詰か」


「情報収集だ。遊びに来たわけではない」


「昼間は情報収集。夕方から飯。空いた時間に街を見る。十分、観光だろ」


セレスティアは歩き出した。


「お前が遊んでいる間にアウグストゥスが逃げたら、師匠へそう報告してやる」


「待て。俺だけ遊んでたことにするな。だいたい、お前だって少しくらい街を見るだろ。四年前から一度も来てないんじゃないのか?」


セレスティアの足が、ほんのわずかに鈍った。


ルシュファリア。


この街には、まだ片づいていないものがある。


ザレイド。


四年前の魔物襲撃。


ビオランテ。


薄桃色の髪をした少女。


アウグストゥス・ヴァーミリオン。


点は増えている。


だが、まだ一本の線にはならない。


「……一週間だ」


セレスティアは前を向いたまま言った。


「師匠が来るまでに、ここで拾えるものを全部拾う。観光する暇が残るかどうかは、その後だ」


「はいはい。勇者様は仕事熱心で結構なことで」


軽口を叩きながら、レオヴァンも後を追った。


二人はまだ知らない。


その頃、同じ街の宿の一室で――。


ニンザ・フルハタを死へ追いやったものが、次の人間を選んでいた。


◇


アスイズミは夢を見ていた。


夢だと理解できたのは、そこに何もなかったからだ。


地面がない。


天井もない。


壁もない。


距離すら曖昧だった。


辺り一面を、白く光る霧だけが覆っている。


ニンザが最後まで手帳へ書き残そうとしていた、あの夢と同じ場所。


もちろん、アスイズミはそのことを知らない。


「……ここは?」


声を出した途端、自分の声まで霧へ吸い込まれた。


足元を見ても、自分が何の上に立っているのか分からない。


それなのに身体は沈まない。


歩こうとしても、進んでいる感覚がない。


「夢……か?」


答えはなかった。


代わりに、頭の中へ音が突き刺さった。


キイイイイイン――。


「ぐっ……!」


アスイズミは両手で頭を抱えた。


耳を塞いでも意味がない。


音は外から聞こえているのではない。


頭蓋骨の内側で直接鳴っている。


キイイイイイン――。


歯を食いしばる。


「なんだ……これ……耳鳴りじゃない……」


また鳴る。


いや。


今度は分かった。


これは音ではない。


何かを伝えようとしている。


意味になる前の言葉。


言葉になる前の命令。


無理やり頭へ押し込まれてくるものを、アスイズミの脳が必死に自分の知る言葉へ置き換えている。


「声……なのか?」


キイイイイイン――。


頭の奥で意味が形を取った。


アスイズミは顔をしかめた。


「……英雄が来るまで……」


息を止める。


「アウグストゥスを、足止めしろ……?」


返答を求める声ではなかった。


相談でもない。


命令だった。


「ふざけるな。僕は治安局の人間だ。誰かも分からない奴に命令されて動くつもりはない。アウグストゥスが犯罪者なら捕まえる。証拠があるなら調べる。ただ、殺せだの足止めしろだの、そんな話で僕を使えると思うな」


言い切った。


途端に耳鳴りが強くなった。


「ぐ、ぁ……!」


膝をつく。


頭の中を握り潰される。


痛みの中で、アスイズミはニンザの手帳を思い出した。


――反論すると痛みを与えてくる。


「まさか……」


あれは妄想ではなかった。


ニンザが壊れていたのではない。


本当に、何かがいた。


そして今。


それが自分の中にいる。


「ニンザさん……あんた、これと……ずっと……」


戦っていたのか。


最後まで。


一人で。


キイイイイイン――。


白い霧の向こうで光が集まり始めた。


無数の粒が一点へ吸い寄せられ、輪郭を作る。


柄。


鍔。


刃。


やがて一本の剣となったそれを見た瞬間、アスイズミは息を呑んだ。


アスイズミには見覚えがなかったが、それはニンザが持っていた剣。


あの光の剣だった。


空中に浮かぶ剣の切っ先が、ゆっくりとアスイズミへ向けられる。


そして頭の中へ、再び命令が響いた。


英雄が到着するまで。


アウグストゥス・ヴァーミリオンを、この街から出すな。


アスイズミは光の剣を睨み返した。


その手が――自分の意思とは無関係に、剣へ向かって伸び始めた。

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