敵も味方も
「管理者」
声が低くなる。
「つまり、上位存在そのものが動いたと?」
「その可能性が高いでしょう。捜査官自身の器を明らかに超える魔力量。戦闘中に対象を学習し、技術まで最適化する遺物。人間が偶然拾った玩具と考えるには、出来が良すぎます」
「なぜ俺を狙う」
アエーシュモーは一拍置いた。
その一拍を、アウグストゥスは見逃さない。
「正確な理由までは分かりません」
「今、考えてから答えたな」
「考えて答えるのは悪いことですか?」
「質問に答えろ」
アエーシュモーの目が、アウグストゥスを見る。
二人の間から、さっきまでの軽口が消えた。
「私は、旦那様そのものが世界の歪みとして認識されたのではないかと考えております」
「その程度か?」
「その程度とは?」
「お前が知っていることは、本当にそこまでかと聞いている」
アエーシュモーは微笑んだ。
「旦那様。私は今、推測を申し上げました。事実として確認していないものまで断言して、旦那様の判断を誤らせるわけにはいきませんので」
丁寧な言葉。
だが、それは答えではなかった。
アウグストゥスの目が細くなる。
「便利な言い方を覚えたな」
「旦那様から学びました」
「なるほど。それは俺の教育が悪かったな」
会話はそこで切れた。
だが、疑念は切れていない。
アエーシュモーは嘘をついていた。
正確には、真実を一部だけ隠している。
彼女には心当たりがあった。
この世界を管理している、俗に神と呼ばれる存在。
管理者は、他世界の上位存在が自らの世界へ直接干渉することを嫌う。
アエーシュモーも。
ギルエルも。
本来、この世界に属する存在ではない。
そして二人がここへ留まり、力を行使できる理由は一つ。
アウグストゥスとの契約。
契約者を殺せば、契約は崩れる。
アエーシュモーとギルエルが元の世界へ還る。
管理者が狙っているのは、アウグストゥス個人の悪行ではない。
少なくともアエーシュモーは、そう見ていた。
(まあ、教える義理はありませんね)
内心で彼女は嗤う。
(自分で気づくなら、それでよし。気づかず死ぬなら、それもまた一興)
彼女がアウグストゥスへ仕えている理由は、忠誠ではない。
愛情でもない。
世界が壊れていく様を見る。
秩序が崩れ、善人が絶望し、悪人が笑い、それさえ最後には飲み込まれていく。
その混沌を眺めることこそ、彼女の存在理由だった。
アウグストゥスは、そのための玩具として非常に優秀だった。
(ですから、もう少し長生きしていただきませんと)
そんなアエーシュモーの胸中を、アウグストゥスがどこまで読んでいるかは分からない。
だが彼自身も、すでに別の方向から同じ異常へ近づき始めていた。
(管理者に目を付けられた)
口元へ右手を当て、考える。
(そう仮定すれば、説明のつくことが多すぎる)
魔力禍の嵐。
ルーシュの死体がデトロン川へ流されたこと。
勇者が異常な速度でザレイドへ到着したこと。
ザレイドに居た時から、妙に偶然が敵側へ傾き続けていること。
(ただ運が悪かった、と考えるよりは合理的だ)
アウグストゥスの視線だけが、アエーシュモーへ向く。
(問題は、この女がいつから気づいていたかだ)
先ほどの一拍。
曖昧な回答。
知らないのではない。
言わなかった。
(少なくとも、俺へ全てを話すつもりはない)
それ自体は驚かない。
アエーシュモーへ忠誠など期待していない。
期待しているのは能力と、利害が一致している間だけの協力だ。
(だが管理者が相手なら話は別だ。この女の遊びへ付き合っている余裕はない)
今後は、小さな異常でも報告させる必要がある。
もちろん、命令したところで素直に全て話す保証はない。
ならば。
(報告させるのではなく、隠したことが損になる状況を作るべきだな)
アウグストゥスがそこまで考えた時だった。
「旦那様」
横から、ギルエルの声。
「ものすごく悪そうな顔で考え事をされているところ申し訳ないのですが、宿はどうされます?」
アウグストゥスが顔を上げる。
「宿?」
「はい。あの捜査官様との喧嘩で、借りていたスイートルームが吹き飛びました」
「喧嘩ではない。殺し合いだ」
「もっと悪いのです!」
ギルエルは腰へ手を当てた。
「荷物だって全部あそこに置いていたのですよ? フルーツの盛り合わせもまだ半分残っていたのに!」
「気にするところはそこか」
「非常に重要なのです!」
アウグストゥスは小さく笑った。
「分かった。別のホテルへ移ろう。次はもっと警備のしっかりしたところにする」
「警備より料理が美味しいところが良いです」
「俺は今、管理者に殺されかけた話をしていたのだが?」
「お腹が空いていては管理者とも戦えません!」
「妙な説得力を出すな」
ルーシュが、ようやく僅かに笑った。
それを見て、アウグストゥスも話を打ち切る。
「とにかく、ここを離れる。人が集まる前にな」
歩き出しながら、別の問題を思い出す。
(そういえば、捜査官を殺したな)
カールフォードの治安局。
ルシュファリアの治安局。
どちらも黙ってはいない。
(正当防衛で押し切るしかあるまい)
もっとも。
三日間の不運が始まったばかりだということを、アウグストゥスはまだ軽く見ていた。
◇
ホテル・ルクゼソル前の路上には、黒山の人だかりができていた。
上空で魔法使い同士が戦った。
ホテルの最上階が吹き飛んだ。
そして最後には、一人の男が空から落ちてきた。
噂を聞いた市民たちが、次々と集まっている。
その中心。
縄で区切られた現場の中では、カールフォード治安局の捜査官たちが遺体を検分していた。
身体は腰から上下に分断されている。
右腕も肩口から失われている。
遺体の大部分には布が掛けられていた。
その時。
人垣の後ろから、聞き慣れた名前が叫ばれた。
「ニンザさん!」
エー・アスイズミだった。
朝食を終えた後、せっかく新大陸まで来たのだから観光でもしようと街を歩いていた。
その途中。
『ルクゼソルの上で魔法使いが決闘してたらしい』
通りすがりの男女が、興奮した声で話していた。
純粋な野次馬根性だった。
面白そうだと思い、足を運んだ。
人だかり。
治安局。
血の跡。
嫌な予感など、最初はなかった。
風が吹いた。
遺体へ掛けられていた布が、ほんの僅かにめくれた。
横顔が見えた。
猫背ではない。
当然だった。
死体は横たわっている。
それでも。
アスイズミには分かった。
「ニンザさん!」
人を押し分ける。
現場の縄へ近づいたところで、太った中年の捜査官が前へ出た。
「おい、止まれ。ここから先は現場だ」
「その人……その人、僕の知り合いなんだ!」
アスイズミの声が裏返る。
「僕はルシュファリア治安局第二課の巡察官、エー・アスイズミ。その人は第一課の上級捜査官で、ニンザ・フルハタっていうんだ。僕と一緒にこの街まで来た。だから……だから、ちゃんと顔を見せてくれ」
中年の捜査官は、アスイズミの顔をじっと見た。
「身分証は?」
震える手で、アスイズミは治安局の証票を取り出した。
一度落とす。
拾う。
今度はうまく掴めない。
「ほら……これ。嘘じゃない。僕、ちゃんと治安局の人間だから。だから頼むよ。あの人、勝手にいなくなるし、人の話聞かないし、こんなところで寝てるなら起こさないと……僕が怒られるんだ」
最後だけ、声が細くなった。
中年の捜査官は証票を確認した。
隣にいた若い捜査官が眉を寄せる。
「先輩、現場へ部外者を――」
「同業だ」
「ですが」
「確認だけさせる」
中年の捜査官はそれ以上言わせず、顎で現場を示した。
「触るなよ。見るだけだ」
「……ありがとう」
アスイズミは縄を跨いだ。
一歩。
二歩。
近づくたび、歩幅が小さくなる。
見たくない。
だが、見間違いだったと確認したい。
矛盾した二つの気持ちに引っ張られ、足が止まりそうになる。
遺体の前へ着く。
捜査官が、顔を覆っていた布だけをめくった。
「確認してくれ」
ニンザ・フルハタだった。
目は閉じられている。
いつもの、人を食った笑いはない。
口元も動かない。
アスイズミは、しばらく何も言わなかった。
「……ニンザさん」
返事はない。
「何してるんですか」
声が震え始める。
「僕を勝手に有給取らせて、勝手に新大陸まで連れてきて……それで、自分だけどっか行って、今度は死んでるって。意味分かんないですよ」
唇が歪む。
「僕、まだ何にも聞いてないんです。何で僕を連れてきたのかも。何で朝からいなくなったのかも。犬だって僕に押しつけたままだし、花だって……また買ったら僕に持って帰らせるつもりだったんでしょう?」
声が大きくなる。
「起きてくださいよ。いつもみたいに『アスイズミ君、うるさいですねぇ』って言えばいいじゃないですか。僕が役に立たないとか、頭が軽いとか、また言えばいい!」
涙が頬を流れた。
もう隠そうともしない。
「僕、怒らないから……」
膝から力が抜けた。
その場へ崩れ落ちる。
「怒らないから、起きてくださいよ……」
返事はなかった。
ニンザは、二度とアスイズミへ仕事を押しつけない。
もう花も渡さない。
野良犬を連れてくることもない。
迷子の老人を、面倒そうな顔で押しつけることもない。
その事実が、遅れてアスイズミの中へ入ってきた。
「ニンザさぁぁぁぁぁん!」
喉が裂けるほどの声が上がった。
「何でだよぉぉぉ! 僕を一人にするなよぉぉぉぉ!」
人目も、治安局員の視線も、何も気にならなかった。
アスイズミは子供みたいに泣いた。
朝まで一緒だった人間が、もういない。
それだけは、どんな捜査でも覆せなかった。
悲痛な叫びが、カールフォードの街へ長く響いた。
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