勇者来訪の前日譚
話は少し遡る。
勇者セレスティア・ヴァレンティアと、勇者レオヴァン・アシュハートがまだオーギュストンの宿に滞在していた頃。
二人は宿の二階に取った部屋で、静かに夕食を取っていた。
もっとも、静かに食べているのはセレスティアだけである。
レオヴァンは皿の上に乗った焼き肉の塊へ豪快にかぶりつき、骨ごと噛み砕きそうな勢いで咀嚼していた。
「それで? セレス」
肉を飲み込んだレオヴァンが、椅子の背もたれに体重を預ける。
「次はどこへ行く?」
セレスティアはパンを小さくちぎり、口へ運んだ。
食事中の所作は整っている。
剣士というより、良家の令嬢のようでもあった。
「特に決めてはいない」
「決めてねぇのかよ」
「候補はある」
セレスティアは水を一口飲む。
「北のサイバンバという国に、マホマホという街があるらしい」
「マホマホ?」
レオヴァンは眉を寄せた。
「ふざけた名前だな」
「地名に文句を言うな」
「で、そのマホマホがどうした?」
「付近に災害級の魔物が出たという話だ」
災害級。
それは魔物の等級を示す言葉である。
最下級の魔物には、特別な等級名はない。
その上が厄災級。
国家が兵を動員しなければ対処できない強さ。
さらに上が災害級。
街一つに致命的な被害を与え得る存在。
そして最上位が天災級。
一国の力だけでは対処不可能とされる、歩く災害そのもの。
レオヴァンは肉を掴んだまま、唇の端を吊り上げた。
「狩りに行くのか?」
「そのつもりだ」
「つか、マホマホってどこだよ。聞いたことねぇな」
「私もない」
「おい」
「行けば分かるだろう」
「お前なぁ……」
レオヴァンは呆れたように立ち上がると、自分のベッドに無造作に放り投げていた鞄を漁った。
しばらくして、折り畳まれた地図を取り出す。
机の上に広げ、指先で地名を追っていく。
「サイバンバ、サイバンバ……あった」
レオヴァンの顔が露骨に歪んだ。
「おい、サイバンバって新大陸側じゃねぇか」
「そうなのか」
「そうなのか、じゃねぇよ」
地図を叩く。
「ここからだと一ヶ月はかかるぞ」
「そうか」
「そうかって、お前……その間に他の勇者に狩られるんじゃねぇか?」
「それならそれで構わない」
セレスティアは淡々とスープを口へ運ぶ。
「私にとって大切なのは、魔物の存在を知りながら人々を見捨てなかったという事実だ」
「かぁー」
レオヴァンは大袈裟に天井を仰いだ。
「つくづく勇者様だな、お前」
「私は勇者だ」
「天職だよ。お前にとって勇者ってやつは」
「私もそう思う」
セレスティアは少しも照れずに答えた。
自分の在り方に疑いがない。
それが彼女の強さであり、同時に危うさでもあった。
その後、二人は細かい移動予定を詰めていった。
どの街道を通るか。
馬を買い替えるか。
船を使うか。
途中の魔物討伐依頼を受けるか。
レオヴァンが現実的な移動手段を並べ、セレスティアが必要最低限の危険度を判断する。
二人の会話は慣れたものだった。
その時だった。
ぴろりん♪
妙に軽い音が、セレスティアの左腕から響いた。
レオヴァンが片眉を上げる。
「ギルドか?」
「だろうな」
セレスティアの左手首には、金属製の腕輪が嵌められていた。
装飾品に見えるが、実際は魔法式の通信器である。
彼女が腕輪に触れると、淡い光が空中に走った。
幾何学模様が球状に組み上がり、その中央にホログラムが浮かび上がる。
映し出されたのは、精悍な顔つきの中年男性だった。
勇者ギルドの職員である。
『失礼。勇者セレスティア、勇者レオヴァン。今、話せますか』
「問題ありません」
セレスティアは姿勢を正す。
「何かありましたか?」
『貴女方のいるオーギュストン近郊、ザレイドという街で大量猟奇殺人が発生したと、現地の執政官から連絡がありました』
「殺人事件なら警察、もしくは治安局の管轄でしょう」
セレスティアの返答は早かった。
「勇者の仕事ではないかと思いますが」
『通常ならその通りです』
職員は頷く。
『ですが、現地では三ヶ月前のコープスパーティー事変と関係があるのではないかと騒ぎになっているそうです』
セレスティアの表情がわずかに変わる。
レオヴァンも肉を食べる手を止めた。
『もし関係があるのなら、これ以上被害が広がる前に食い止める必要があります』
「それで、たまたま近くにいた私たちにザレイドへ向かえと」
『そういうことです』
レオヴァンが横から口を挟む。
「どうする? サイバンバまでは遠いぞ」
「……」
「さっきも言ったが、着く頃には他の勇者が魔物を狩ってるかもしれねぇ」
セレスティアは少し考えた。
優先順位。
被害の切迫性。
勇者としての役割。
そして、目の前にある依頼の性質。
「分かりました」
セレスティアは通信先の職員へ向き直る。
「その依頼、引き受けましょう」
『助かります』
「確認します」
セレスティアの声が少し硬くなる。
「現時点では、まだコープスパーティー事変との繋がりは確認されていない」
『はい』
「目的はあくまで、今回の事件がコープスパーティー事変と関係あるかどうかの調査。そう理解してよろしいですね」
『その認識で結構です』
「では、犯人が黒山羊と毒ヘビの教団と無関係だった場合はどうしますか?」
『と、言いますと?』
「勇者には原則として逮捕権がありません」
セレスティアは淡々と言う。
「相手が魔物や国際犯罪組織ならともかく、通常の殺人犯だった場合、私たちがどこまで介入してよいのか確認したい」
『その点は、現地で直接確認してください』
「分かりました」
『こちらからは以上です。他に質問はありますか』
「私はありません」
セレスティアは隣へ目を向ける。
「アシュハート、お前は?」
レオヴァンは両手を肩の高さまで軽く上げ、首を横に振った。
「ないそうです」
『では、よろしくお願いします』
「通信を切ります」
セレスティアが腕輪から手を離すと、魔法陣は音もなく消えた。
部屋に静けさが戻る。
レオヴァンは残っていた肉を口に放り込んだ。
「災害級の魔物より、首無し死体の調査か」
「不満か?」
「別に」
レオヴァンは肩を竦めた。
「ただ、面倒な匂いがする」
「お前の勘はよく当たる」
「なら気をつけろよ」
「分かっている」
セレスティアは食事を終えると、静かに立ち上がった。
「明朝、ザレイドへ向かう」
◇
翌日。
二人はすぐにオーギュストンを発った。
街道を急ぎ、休憩も最低限に抑えた。
その結果、通常なら三日はかかる道のりを、わずか二日で走破した。
ザレイドへ到着すると、セレスティアはレオヴァンに宿の手配を任せた。
「私は政庁へ向かう」
「一人で行くのか?」
「ああ」
「俺も行った方がよくねぇか?」
「まずは形式的な聞き取りだ。お前は宿を確保してくれ」
「了解」
レオヴァンは軽く手を振った。
セレスティアはそのまま政庁へ向かった。
執政官との面談は、思ったよりも早く実現した。
案内された部屋で彼女を待っていたのは、壮年の執政官だった。
疲労の色が濃い。
無理もない。
四十二体もの首無し死体が川に浮かんだのだ。
街の責任者として、平静でいられるはずがなかった。
執政官は順を追って説明した。
死体が発見された経緯。
川に流れ着いた状況。
街の混乱。
死体の身元確認。
行方不明者との照合。
犯人の目星。
治安局の捜査状況。
だが、セレスティアが聞く限り、有用な情報はほとんどなかった。
事件が発覚してから日が浅い。
それに加え、ザレイドの治安局はあまり有能ではないらしい。
捜査方針すら、まだ固まっていない。
(混乱しているな)
セレスティアは話を聞きながら情報を整理する。
(いや、無能と決めつけるのは早い)
(死体の数が多すぎる)
(被害者の身元も不明)
(現場は川)
(死体は下水道から流出した可能性が高い)
(犯行現場、保管場所、遺棄場所がそれぞれ違う)
(捜査範囲が広すぎるのか)
唯一、有益と思えた情報があった。
精霊への聞き取りである。
魔法使いが精霊に事件について尋ねたところ、精霊たちが一斉に沈黙したという。
それは自然な反応ではない。
何者かが精霊との交信を妨害している。
魔術に長けた者が、意図的に情報を隠している可能性が高かった。
(なるほど)
(魔法的な隠蔽)
(大量の首無し死体)
(時期はコープスパーティー事変の三ヶ月後)
(執政官が教団を疑うのも無理はない)
(だが、まだ根拠としては薄い)
(コープスパーティーの再現なら、死者の怨念を触媒にする必要がある)
(首を落とした理由は何だ)
(身元隠し? 儀式? あるいは収集癖?)
(分からない)
(こういうことを考えるのはアシュハートの方が得意なのだがな)
セレスティアは内心で少しだけ後悔する。
(一緒に連れてくるべきだったか)
だが今さらである。
彼女は思考を切り上げ、以前から気になっていた点を確認した。
「一つ確認したいことがあります」
「何でしょうか」
「勇者には原則として逮捕権がありません」
執政官は少し驚いたように瞬きをした。
「もし犯人が黒山羊と毒ヘビの教団ではなく、通常の殺人犯だった場合、私はどう動けばよいのでしょうか」
「ああ、その点ですか」
執政官は疲れた顔で苦笑した。
「犯人が目の前にいるなら、逮捕していただいて構いません」
「正式な許可と考えてよろしいのですね」
「ええ。必要であれば、こちらで書面も用意します」
そこで執政官は、冗談めかして付け加えた。
「抵抗するようなら、そのままやっつけてくださっても構いません。その方がこちらも楽です」
軽口の形をしていた。
だが、半分は本音だろう。
街は既に限界に近い。
早く犯人を片付けたい。
その感情が言葉の端に滲んでいた。
セレスティアはそれ以上、有益な話は聞けないと判断した。
執政官に治安局への紹介状を書いてもらい、政庁を後にする。
そこで、幸運に恵まれた出会いをすることになる。
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