ファーストコンタクト 後編
パーティー会場を行き交う人びとのやり取りをアレスティアが観察していると、不意に一人の老紳士が話しかけてきた。
「もしかして、街に来ていると言う勇者様ではありませんか?」
「確かに、事件の調査に来た勇者という意味なら、私のことです」
声は落ち着いていた。
「貴方は?」
「これは失礼」
アウグストゥスは手を離し、柔らかく笑う。
「アウグストゥス・ヴァーミリオン男爵と申します。以後お見知りおきを」
「ああ」
セレスティアの目が少し細くなった。
「貴方が、あの噂のヴァーミリオン男爵ですか」
「おや」
アウグストゥスは愉快そうに首を傾げる。
「私のことをご存知で?」
「ええ」
セレスティアは隠さなかった。
「三年前、突然この街に現れて断絶したはずのヴァーミリオン家を名乗る怪しい男がいる、と。色々な貴族の方が言っておられました」
「あっはっはっはっは!」
アウグストゥスは額に手を当て、大袈裟に笑った。
「怪しいとは心外ですな」
笑いながら、頭の中では別の処理が走っている。
(噂は届いている)
(貴族経由)
(誰が吹き込んだ)
(敵対派閥か?)
(保守派か?)
(ヴァーミリオン家の名を不快に思う者?)
(あるいは、ただの社交界の噂話か?)
(セレスティアはそれをどう評価した?)
(今の口調に敵意はない)
(だが確認はしている)
(試されている)
アウグストゥスは笑いを収める。
「まあ、私をよく知らぬ方々から見れば、そういう評価にもなるのでしょう」
「否定はされないのですね」
「人の噂は否定したところで消えませんからな」
肩を竦める。
「それで、他には何を吹き込まれましたかな。貴女の評価を聞くのが怖い」
「錬金術で自作した怪しい薬を取り巻きに売って、暴利を得ているとも聞いています」
「ふむ」
アウグストゥスは少し困ったように笑った。
「確かに自作の薬をお譲りすることはあります」
「認めるのですね」
「事実ですから」
アウグストゥスは自然に言葉を返す。
「ただ、暴利という部分は誤解ですな」
「誤解?」
「薬は高すぎれば恨みを買う。安すぎれば価値を疑われる。適正価格で譲るのが一番長続きするのです」
「商人のような考え方ですね」
「研究者も資金が必要ですから」
セレスティアは少しだけ口元を緩めた。
だが、その目は笑っていなかった。
アウグストゥスはそれを見逃さない。
(崩れない)
(言葉に乗ってこない)
(こちらの冗談を聞きながら、反応だけを見ている)
(やはり観察型)
話題を変える。
こちらから。
「それで、話は変わるのですが」
「はい」
「事件について、何か分かりましたかな?」
アウグストゥスは声を少し低くした。
心配する父親の顔を作る。
「私には娘がおりましてな」
「娘さんが?」
「ええ。川に浮いた死体の件を、コープスパーティーを起こすためのものではないかと恐れているのです」
「……」
「実際のところ、どうなのですか?」
問いながら、アウグストゥスはセレスティアの瞳を見る。
「コープスパーティー事変と、何か関係があるのでしょうか」
セレスティアはすぐには答えなかった。
少しだけ間を置く。
「今のところ、何とも言えません」
「ほう」
「だから、こうして情報を集めています」
「ああ」
アウグストゥスは納得したように頷いた。
「このパーティーに参加しておられるのは、そういう理由ですか」
「ええ」
セレスティアは会場へ目を向ける。
「このパーティーの主催者……パーラメント・ヒル男爵でしたか」
「ええ」
「彼に、黒山羊と毒ヘビの教団と関係のありそうな人物に心当たりがないか尋ねました」
「それで?」
「心当たりはない、と」
「でしょうな」
「ですが、今日息子の誕生日パーティーを開くので、他の貴族にも聞いてみると良い、と誘ってくださいました」
「なるほど」
アウグストゥスは穏やかに笑う。
「それで、見つかりましたかな?」
「何がです?」
「黒山羊と毒ヘビの教団に関係のありそうな人物です」
セレスティアは正面からアウグストゥスを見た。
その視線に、迷いはなかった。
「はい」
短い返答。
「ほう。誰です?」
「貴方です」
会場の音が、遠くなった気がした。
「アウグストゥス・ヴァーミリオン男爵」
セレスティアは真顔だった。
冗談ではない。
挑発でもない。
ただ、確認済みの事実を告げるような口調だった。
「あっはっはっはっは!」
アウグストゥスは笑った。
今度は先程よりも大きく。
大袈裟に。
周囲に聞こえても不自然ではない程度に。
「まさか、そのような」
笑いながら、内側では警報が鳴っていた。
(何故だ!)
(早い!)
(早すぎる!)
(どこから来た?)
(噂か?)
(誘導か?)
(主催者か?)
(貴族の誰かが俺の名を出した?)
(いや、それだけなら『怪しい』止まりのはずだ)
(今の言い方は違う!)
(確信に近い!)
(何を掴んだ?)
(物証はない!)
(あるはずがない!)
(可視化か?)
(いや、深淵がある!)
(なら、深淵の中から、この短時間で情報を探り当てたと言うのか!?)
(馬鹿な!そんなことが、あり得るのか!?)
(いや、あり得ん!ハッタリだろうが、確認する必要がある!)
アウグストゥスは笑いを収める。
動揺は表に出さない。
出した瞬間、負ける。
「ですが、どこでそう思われたのかは聞いてみたいですな」
穏やかに。
あくまで愉快そうに。
「それも他の貴族から聞いた噂ですか?」
「いえ」
セレスティアは首を振った。
「私はユニークスキルとして、サイコメトリーを持っています」
アウグストゥスの思考が一瞬止まり、すぐに再起動した。
(サイコメトリー?)
(接触したモノの記憶を読むあの力か)
(手の甲ーー先程の挨拶で読まれたか)
(どこまでだ?)
(深淵に沈めた情報は視えないはず)
(なら何を視た)
「先程、貴方が挨拶で私の手に口づけた際、記憶を読ませていただきました」
「それで?」
アウグストゥスは声音を変えない。
「私が黒山羊と毒ヘビの教団の関係者だと分かった、と?」
「いえ」
セレスティアは静かに言った。
「逆です」
「逆?」
「何も分かりませんでした」
セレスティアの瞳が、アウグストゥスを射抜く。
「だから怪しい」
沈黙。
周囲の談笑だけが、薄い膜の向こう側から聞こえてくる。
「可視化の魔法を使える者は稀です」
セレスティアは言葉を続けた。
「それなのに、わざわざ深淵の魔法で情報を隠している」
「……」
「いえ、日常的に隠しているかは、まだ分かりません」
彼女は訂正した。
勢いで断定しない。
自分の言葉の精度を保とうとしている。
それがまた厄介だった。
「ですが少なくとも、街が警戒態勢にある今、他人に知られたくない情報を隠している人物であることは確かです」
セレスティアは一歩も引かない。
「そんな人物を怪しむなという方が無理ではありませんか?」
そして問いかける。
「私は何か、おかしなことを言っていますか?」
アウグストゥスは微笑んだまま、彼女を見返した。
頭の中では、既にいくつもの分岐が走っている。
(否定する)
(深淵の魔法など知らないと言う)
(無理だな。読まれている)
(貴族の秘密を守るためだと言う)
(妥当だ)
(錬金術の秘術を盗まれないためと言う)
(さらに妥当だ)
(娘の病を隠すためと言う)
(だめだ、情に訴えられるが、ルーシュに繋がる)
(避けるべきだろう)
(教団との関係を笑い飛ばす)
(今は有効だろう)
(だが、この女は笑いで流されない)
(攻撃するか?)
(勇者とはいえ、貴族の名誉を傷つけたと牽制する)
(悪手だ。警戒を強めて、さらに疑うだろう)
(協力姿勢を見せるか?)
(安全だ)
(ただし、もっと踏み込まれる恐れがある)
(ならば、半分だけ認めるか?)
(深淵は使っている)
(理由は錬金術研究の秘匿だと答える)
(事件とは無関係)
(これが最も自然だろう)
アウグストゥスは、困ったように息を吐いた。
「いいえ、おかしなことは言っておられませんよ」
セレスティアの眉がわずかに動く。
「認めるのですか?」
「深淵の魔法で情報を守っている、という点なら」
アウグストゥスは肩を竦める。
「私は錬金術師です」
「ええ」
「研究者にとって、頭の中は金庫よりも重要なものです」
穏やかな声。
だが、その奥にはわずかな硬さを混ぜる。
「他者に記憶を読まれ、研究内容を盗まれる危険がある以上、対策を取るのは当然でしょう」
「街がこの状況でも?」
「街がこの状況だからこそ、です」
アウグストゥスは即答した。
「人は恐怖に駆られると、普段なら許されないことを平然と許します」
「……」
「怪しい者の記憶を読め」
「家を調べろ」
「秘密を暴け」
「そういう空気は、学問と商売にとって大変よろしくない」
セレスティアはじっと聞いていた。
反論はしない。
だが納得もしていない。
「つまり、貴方が隠しているのは錬金術の研究内容だと?」
「主には」
「主には?」
「研究者にも、貴族にも、父親にも、守るべき秘密はありますからな」
アウグストゥスは柔らかく笑う。
「全てを他人に開示して生きている者などおりますまい」
セレスティアは少しだけ目を細めた。
今の言葉の中に、踏み込むべきものがあると感じたのだろう。
だが証拠はない。
確信もない。
ここで追及しすぎれば、勇者側が無礼になる。
アウグストゥスはそれを計算していた。
「なるほど」
セレスティアは静かに頷いた。
「筋は通っています」
「それは良かった」
「ただし、疑いが晴れたわけではありません」
「でしょうな」
アウグストゥスは笑う。
「私が貴女の立場でも、同じように考えるでしょう」
「では、今後お話を伺うことがあるかもしれません」
「いつでも」
アウグストゥスは優雅に礼を取った。
「事件解決のためなら、私にできる範囲で協力いたしましょう」
「ありがとうございます」
セレスティアも礼を返す。
その態度は丁寧だった。
だが、剣を鞘に納めたわけではない。
抜くタイミングを見極めているだけだ。
アウグストゥスはそう判断した。
そして同時に、もう一つ確信した。
(この女は敵になる)
これまで出会った貴族や役人とは違う。
肩書にも、噂にも、笑顔にも、礼儀にも、簡単には惑わされない。
証拠はない。
それでも違和感一つで喉元まで迫ってくる。
(厄介な女だ……)
アウグストゥスは微笑みながら、内心で結論を下す。
(だが、面白くもある)
勇者セレスティア・ヴァレンティア。
正義感だけで動く愚か者ではない。
真っ直ぐでありながら、観察し、疑い、言葉を選べる女。
間違いなく、自分の敵になり得る存在だった。
そして、この日を境に。
アウグストゥス・ヴァーミリオン男爵と、勇者セレスティア・ヴァレンティアの静かな頭脳戦が幕を開けることになる。
まだ誰も知らない。
それがザレイドを揺るがす連続殺人事件の真相へと繋がる、最初の一手だったことを。
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