ファーストコンタクト 前編
勇者セレスティア・ヴァレンティアと、勇者レオヴァン・アシュハートがザレイドへ到着したのは、執政官が勇者ギルドへ連絡してから、わずか三日後のことだった。
偶然にも、二人はザレイドの隣町オーギュストンに滞在していた。
ギルドからの要請を受けた二人は、そのまま馬を飛ばしてザレイドへ入ったのである。
その報せは、当然アウグストゥスの耳にも届いた。
「三日、か」
書斎の椅子に腰掛けたまま、アウグストゥスは小さく呟いた。
早すぎる。
勇者ギルドに依頼が出された時点で、勇者の派遣そのものは想定していた。
だが、到着までにはもう少し時間があると踏んでいた。
その間に、捜査を撹乱するための偽装工作をいくつか仕込む予定だった。
川に流れた死体。
下水道。
保管庫。
失踪者の経路。
目撃証言。
それらの情報を少しずつ散らし、事件の全体像をぼかした上で偽の猟奇殺人を仕立て上げ。
その偽の猟奇殺人を自殺に見せかけ殺すつもりだった。
だが間に合わなかった。
アウグストゥスは深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。
(落ち着け)
苛立ちは判断を鈍らせる。
焦燥は手順を狂わせる。
想定外が重なった時ほど、まずは事実だけを並べるべきだ。
(死体は首を落としてある)
(頭部は別に管理している)
(身元の特定は困難)
(死体の保管中、所有物は全て処分した)
(衣類、装飾品、髪飾り、靴、体表に残る魔術痕跡、香水、薬品反応etc……いずれも処理済み)
(ロバート少年についても、屋敷の使用人として登録されてから日が浅い)
(失踪したとしても、貧民街の出身者だ。騒ぐ者は少ない)
(物理証拠から俺に辿り着く可能性は低い)
低い。
だが、ゼロではない。
アウグストゥスは机の上に置かれたペーパーナイフを指先で回した。
(問題は可視化系統だ)
可視化の魔法。
過去。
未来。
記憶。
残留思念。
本来、人の目には映らないものを視るための魔法体系。
極めて希少であり、使い手は多くない。
だが勇者という人種は、その「多くない例外」に含まれる可能性がある。
(残留思念を辿られるか)
(死体の記憶を読まれるか)
(下水道に残った痕跡を視られるか)
(あるいは、事件の過去そのものを覗き見るか)
(アエーシュモーは読ませないだろう)
(ギルエル、ルーシュ、そして俺自身も対策はしている)
深淵の魔法。
可視化の魔法に対抗するために作られた妨害系統。
過去や記憶といった情報を、集団的無意識の底へ沈める魔法である。
情報が消えるわけではない。
ただし、視ようとした者は深淵へ引きずり込まれる。
そこは個人の記憶ではなく、無数の意識、恐怖、欲望、忘却、夢の残骸が沈殿する迷宮だ。
(人間に、あの迷宮から正しい情報だけを持ち帰ることはできない)
(視えたとしても意味を成さない)
(意味を成したとしても、証拠にはならない)
(証拠にならなければ、貴族である俺を裁くことはできない)
アウグストゥスは目を閉じた。
思考をさらに細かく分解する。
(では、見落としは何だ)
(死体の数。四十二)
(数が多い。恐怖を煽るには十分)
(コープスパーティー事変との連想)
(執政官は保身に走る)
(勇者ギルドへの依頼は妥当)
(勇者は到着した)
(既に動いている)
(今から下手に動けば、かえって目立つ)
(保管庫は失われた)
(証拠の大半も流出した)
(残ったものは屋敷内の頭部、ルーシュ、ギルエル、アエーシュモー、俺)
(頭部は隠せる)
(ルーシュ、ギルエルには余計なことを喋らせない)
(アエーシュモーは信用できないが、裏切る理由もない)
(ならば現時点で取るべき行動は――)
しばらく沈黙した後、アウグストゥスは小さく呟いた。
「ないな」
動かない。
それが最善だった。
勇者が来たからといって、すぐ自分の屋敷へ来る理由はない。
彼らはまず執政官から話を聞くだろう。
次に発見現場。
死体の検分。
下水道。
失踪者の洗い出し。
貧民街。
教団関係者の有無。
調べるべきものはいくらでもある。
アウグストゥス・ヴァーミリオン男爵という存在に辿り着くのは、その後のはずだった。
(ならば日常を崩すな)
(平常でいろ)
(怪しまれる者ほど、事件後に生活を変える)
(俺は変えない)
アウグストゥスはペーパーナイフを置き、ゆっくりと立ち上がった。
まるで何も起きていないかのように。
いつも通りの日常へ戻るために。
だが、その判断は二日後、早くも揺らぐことになる。
◇
二日後。
アウグストゥスは、とある貴族の子弟の誕生日パーティーに招かれていた。
主催者そのものに大した興味はない。
だが、普段あまり接点のない派閥の重鎮、フィリプ・モリス伯爵が出席すると聞き、人脈を広げるために顔を出すことにした。
同伴者はルーシュとギルエル。
そして少し離れた位置に、アエーシュモー。
会場は貴族街にあるパーラメント・ヒル男爵邸だった。
広間には楽団が入り、壁際には果実酒と軽食が並んでいる。
子供の誕生日という名目ではあるが、実態は大人たちの社交場だった。
アウグストゥスは会場へ入ってすぐ、異物を見つけた。
金髪の女剣士。
その少し後ろに立つ、巨躯の獣人。
見慣れない顔。
だが、誰かは予想が付いた。
勇者セレスティア・ヴァレンティア。
勇者レオヴァン・アシュハート。
「どういうことだ? アエーシュモー」
アウグストゥスは笑みを崩さぬまま、小声で問いかけた。
「出席者リストに勇者の名はなかったはずだが」
「私もそのように記憶しております」
アエーシュモーは表情一つ変えない。
「恐らく、急遽参加が決まったのでしょう」
「急遽、か」
アウグストゥスは視線だけで会場を確認する。
セレスティアは誰かと積極的に話しているわけではない。
会場全体を観察している。
レオヴァンは壁際で腕を組み、鼻をひくつかせていた。
(匂いを追うタイプか)
(厄介だな)
(ルーシュに近づけるべきではない)
(ギルエルは論外だ。余計なことを言う)
(アエーシュモーは制御できるが、あえて場を乱す可能性もある)
(勇者がここにいる理由は何だ)
(主催者に招かれた?)
(情報収集?)
(貴族たちの反応を見るためか?)
(あるいは既に誰かに目星をつけている?)
(俺か?)
その可能性を考えた瞬間、アウグストゥスの思考速度が一段上がる。
(いや、早すぎる)
(到着から二日)
(死体検分、現場確認、執政官への聞き取り、下水道調査)
(それだけで時間は潰れる)
(俺に辿り着くには材料が足りない)
(貴族社会の噂から俺の名前が出る可能性はある)
(断絶したヴァーミリオン家を名乗る男)
(錬金術師)
(自分で開発した怪しい薬)
(突然社交界に現れた男爵)
(確かに疑われる要素はある)
(だが、それは事件と繋がらない)
(なら偶然か?)
(偶然なら避けるべきか?)
(避ければ安全か?)
(だが避けたという事実が残る、プライドは許せるか?)
(接触すれば危険か?)
(だが情報を得られる)
(勇者の能力、性格、捜査方針、警戒度)
(人伝では歪む)
(直接見た方が早いか?)
アウグストゥスは結論を急がなかった。
慎重な性格。
そして、自分はしくじらないという傲慢。
その二つが、彼に小心者なら選ばない選択肢を取らせた。
「アエーシュモー」
「はい」
「今から勇者と話す」
アエーシュモーの視線だけが、わずかに動いた。
「ルーシュとギルエルを勇者に近づけるな。二人に付いて誘導しろ」
「ボロを出されては敵わん」
「かしこまりました」
そこでアエーシュモーは一拍置いた。
「ですが、旦那様」
「何だ」
「別に今、会う必要はないのでは?」
感情のない声だった。
忠告なのか、試しているのか、判別しづらい。
アウグストゥスはセレスティアを視界の端に収めながら答えた。
「確かに、そうも思う」
「ですが?」
「不測の事態が重なりすぎている」
川に流れた死体。
勇者の異常な早さ。
予定外の接触。
こちらの手番を待っていれば、次もまた相手の都合で盤面が動く。
「これ以上、俺のペースが狂うのは望ましくない」
アウグストゥスは微笑む。
「だから、こちらでペースを作る」
「なるほど」
「ただし、問題があるなら聞こう。どうしてもというわけではない。行動の修正は可能だ」
「いえ」
アエーシュモーは完璧な姿勢で一礼した。
「挨拶だけなら、特に問題はないかと」
「ならば行ってこよう」
「お前も早く二人の所へ行け」
「かしこまりました」
アエーシュモーは人形のように美しい所作で会釈すると、会場の奥へ消えていった。
アウグストゥスは一人になる。
そして、社交用の笑みを顔に貼り付けた。
◇
セレスティア・ヴァレンティアは、会場の中央から少し外れた場所に立っていた。
年齢は二十代前半。
金髪。
澄んだ瞳。
背筋は真っ直ぐで、礼服姿の貴族たちの中にあっても、剣士であることを隠せていない。
美しい女だった。
だが、アウグストゥスが見ていたのは容姿ではない。
視線。
姿勢。
手の位置。
足の向き。
会話中に誰を見るか。
誰を見ないか。
誰の言葉に反応し、誰の言葉を流すか。
(会場全体を見ている)
(警戒心は強い)
(だが、怯えてはいない)
(正義感だけで前に出る型ではない)
(観察型……)
(厄介だ)
アウグストゥスは自然な足取りで近づいた。
「失礼」
穏やかに声を掛ける。
「見慣れぬ方がおられると思えば、もしや街に来ているという勇者の方々ではありませんかな?」
セレスティアが振り向く。
アウグストゥスは貴族の礼を取り、彼女の右手を取った。
手の甲へ軽く口づける。
形式的な挨拶。
古い貴族社会では珍しくない所作。
セレスティアはわずかに眉を動かしたが、手を引きはしなかった。
代わりにアウグストゥスに触れられた右手てに神経を集中し、その老紳士の反応を伺っていた。
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