勇者来訪
あの日、濃霧の立ち込める森で、俺がこの娘と出会わなければ――。
いや、違う。
この娘が俺と出会わなければ、こんなことにはならなかったのだろうか。
……それも違う。
少なくとも、出会った時には既にこの娘は壊れていた。
そんな娘を見て、哀れに思ったのだろうか。
自分にそんな感情があるのかは分からない。
ただ、俺はどうしてもこの娘を救ってやりたいと思った。
なぜそう思ったのかは、今でも分からない。
だから気まぐれだったのだと結論づけ、それ以上考えるのはやめた。
善意ほど当てにならないものはないと知っていたからだ。
そもそも俺に善意などというものが備わっているのか、それすら疑わしいのだから。
???の手記より抜粋——
◇
晩餐会から戻ったアウグストゥスは、馬車を降りた瞬間に異変を察した。
本館に人の気配がない。
いつもならギルエルの騒がしい声か、ルーシュの足音くらいは聞こえる。
だが今夜は妙に静かだった。
静かすぎる。
アウグストゥスは無言のまま屋敷を横切った。
向かう先は使用人棟。
ロバート・デーンの部屋だった。
扉を開ける。
予想は外れなかった。
床には大量の血。
息絶えたロバート。
そしてその死体に馬乗りになり、愛おしそうに頬を撫でるルーシュ。
壁際には青ざめたギルエルが立ち尽くしていた。
「あっ……旦那様……」
ギルエルが震える声を漏らす。
「これは違うのです……」
一拍置いて、
「いえ、違わないのですが……違うのです……」
自分でも何を言っているのか分からないらしい。
顔色は真っ青だった。
アウグストゥスは小さく息を吐く。
状況は理解できた。
だから説明は不要だった。
「何も言わなくていい」
静かな声だった。
その言葉にギルエルは俯く。
怒鳴られる覚悟をしていたのだろう。
しかしアウグストゥスは責めなかった。
代わりにルーシュへ視線を向ける。
「我が姫よ」
優しく呼び掛ける。
「私の声が聞こえるか?」
ルーシュはようやく振り向いた。
「あら?」
まるで散歩から帰った家族を迎えるような笑顔だった。
「義父さま、帰られたのですね」
「ああ」
「見て」
ルーシュは嬉しそうにロバートの頬へ触れる。
「この子、安らかな顔をしてるでしょう?」
「私が守ったの」
「だから安心して眠っているのよ」
子供が褒められるのを待つような顔だった。
「ねぇ、褒めてくれる?」
アウグストゥスは一瞬だけ目を閉じる。
そして穏やかに微笑んだ。
「ああ」
「流石は我が姫だ」
「慈悲深くあらせられる」
ルーシュは嬉しそうに笑う。
だがアウグストゥスは続けた。
「しかし、そのままではお召し物が台無しだ」
「え?」
「血はすぐ洗わねば落ちなくなる」
ルーシュは自分のドレスを見る。
血で真っ赤だった。
「あっ……」
「本当だわ」
「せっかく義父さまに買っていただいた服なのに」
「これでは台無しね」
その反応を見てアウグストゥスは内心で安堵した。
まだ会話が成立している。
完全に壊れてはいない。
「アエーシュモーに湯を沸かさせよう」
「まずは湯浴みを」
「そうね」
ルーシュは立ち上がった。
だかその体からは精器が抜け落ち、まるで幽霊の様だった。
そしてその精気が抜け落ちた姿の方が、ルーシュにとって自然のように気にすることもなく言う。
「ギルエル」
「この子の首はいつも通りお願い」
ギルエルの顔が引き攣る。
「か……かしこまり――」
「いや」
アウグストゥスが遮った。
「その必要はない」
「我が姫」
「この者の後始末は私が引き受けよう」
「ギルエルにはお前の世話を任せる」
ルーシュは少し考え、
「そう」
と頷いた。
「ならギルエル、来て」
「は、はい……」
二人の足音が遠ざかる。
やがて部屋にはアウグストゥスだけが残された。
血臭が鼻を刺す。
静寂。
死体。
そして床に転がる人生。
「……」
アウグストゥスは右手を虚空へ伸ばした。
空間が歪む。
次の瞬間、一本の刀が現れる。
彼はそれを握った。
「俺を許す必要はない」
誰へ向けた言葉でもなかった。
ただの独り言だった。
刃が振るわれる。
鈍い音。
ロバートの首が床へ転がった。
アウグストゥスは無表情のままそれを見下ろす。
怒りも悲しみもない。
目の前の惨状を、気にすることもなく頭の中で現状を整理しだす。
(ふむ、多少やっかいなことになったが死体の処理は明日でも構わんか……)
(誰かがこの部屋に来るわけでもないからな)
(問題はない)
そう結論付けると、首だけを持って部屋を後にした。
◇
翌日。
書斎。
書斎の本棚には哲学書、宗教書、錬金術に魔術の関連の書物がびっしりと詰め込まれている。
小説など娯楽を楽しむ本は見当たらない。
ただ、本の合間に幾何学的に動く歯車がむき出しの時計や太陽系の模型、
壁には虫や植物の標本などが飾られていた。
「ロバート少年の遺体だが」
アウグストゥスは机に肘をついた。
「保管庫へ入るかね?」
「問題ありません」
アエーシュモーは即答する。
「まだ少年です」
「他の遺体を詰めれば空いた隙間に収容可能かと」
「ならそうしてくれ」
「承知いたしました」
「それと母親の件だが――」
「かしこまりました」
指示を最後まで言い切る前に返事を返すアエーシュモーに、アウグストゥスは苦笑した。
「話が早いな」
「長い付き合いですので」
一切の表情を見せることなく、完璧な礼を残しアエーシュモーは退出する。
書斎に一人残されたアウグストゥスは椅子へ深く腰掛けた。
(やれやれ)
頭の中で状況を整理する。
そして一つの結論へ辿り着く。
(アエーシュモーは知っていたな)
ロバートを屋敷へ連れて来た理由。
今なら分かる。
(予知したのだろう)
(まぁ、大体の察しはついていたからそれはいい)
あの悪魔なら十分あり得る。
(ルーシュが仕立て屋まで買い物に行きたいと言った時は、ゾッとしたものだ)
(恐らく、月末あたりに起こる発作、殺人衝動を晴らすための獲物を物色するために、
わざわざ街に繰り出した)
(だから少年を屋敷で働いてみないか聞いたのだ)
(ルーシュがいつ、どこで、どんな人物を獲物に選ぶか分からんからな)
(下手をすれば居なくなられると面倒なことになる貴族や、
そうでなければ路地裏で誰かを殺しているところを人に見られかねない)
(そのリスクを減らすために、あの少年を屋敷で働かせた)
(もっとも1ヶ月間、彼が無事ならそれはそれでよかったのだ)
(あくまでリスクを減らすのが目的であったし、何よりルーシュがあの少年を獲物にするかどうかは
予想の域を出なかった)
(あの少年、屋敷を出入りしている人物が消えれば疑いが、こっちに向く可能性もあるからな……
ただ手元で殺してくれた方がリスク管理がしやすいと言う程度の事なのだ)
(……知っていたなら教えればいいものを、いや……それは契約に含まないか)
舌打ちしたくなる。
(だが知っていればもっと上手くやれものを……)
だが、だからこそ教えなかった。
それがあの女だ。
(所詮は俺も玩具の一つということか)
不快だった。
だが今更でもある。
深く息を吸い冷静になりながら、散らかった思考をまとめに入る。
ルーシュ……。
彼女は、この街に来たから三年間で四十一人を殺した。
今回で四十二人。
だが全て隠蔽してきた。
一度も発覚していない。
今回も同じだ。
ロバートは貧民街の少年。
大した騒ぎにはならない。
そう判断した。
そして意識は自然と錬金術へ向かう。
新薬。
研究。
次の実験。
思考は別の方向へ流れていった。
それが慢心だった。
気付くのは後になる。
◇
事態が動いたのは一週間後だった。
魔力禍。
それは自然界に存在する魔素が上空へ異常集中することで発生する災害現象である。
本来雪が降らない地域に吹雪を起こし。
本来台風が発生しない場所へ嵐を生み出す。
自然法則すら捻じ曲げる異常気象。
そしてその魔力禍がザレイドを襲った。
四日間続いた豪雨。
街の下水道は限界を迎える。
大量の雨水が地下を流れ。
押し流し。
吐き出した。
ゴミを。
汚泥を。
そして――
下水道に作られた保管所にあった死体を。
四十二体の首無し死体が川に浮かび上がった。
街は大混乱に陥る。
悲鳴。
噂。
恐怖。
本来なら猟奇的殺人事件で終わる話だった。
だが時期が悪すぎた。
三か月前。
侶胡王国で発生したコープスパーティー事変。
人々の記憶はまだ鮮明だった。
首無し死体。
大量死。
黒山羊と毒ヘビの教団。
人々はそれらを結び付けた。
そしてザレイド執政官は決断する。
勇者ギルドへの救援要請を。
それはアウグストゥスにとって最悪の報せだった。
◇
さらに四日後。
ヴァーミリオン男爵邸の門が開く。
金髪の女剣士が獣人のパートナーと一緒に敷地へ足を踏み入れた。
勇者ギルドより派遣された調査官。
勇者セレスティアと勇者レオヴァン。
彼女たちの来訪によって。
アウグストゥスが三年間積み上げてきた平穏は、静かに崩れ始めることになる。
続きが気になる方は、ブックマーク、評価をお願いします。




