適時適応
録音水晶の青白い光が、机の上で静かに瞬いていた。
エー・アスイズミは、いつになく姿勢よく椅子へ座っている。
普段、治安局では褒められるより叱られる方が多い。そんな自分へ、記者のナニレスク・クスープがわざわざ取材を申し込んできたのだ。
本人は努めて平静を装っていたが、口元はどうしても緩んでいた。
「え? ニンザさんがどういう人物か、ですか?」
アスイズミは腕を組み、いかにも慎重に人物評を考えている顔を作った。
「んー……そうですね。強いて一言で言うなら、変人です。これは僕だけが言ってるんじゃありませんよ? 局の連中に聞いたって、大体同じ答えが返ってくると思います」
ナニレスクが黙ってペンを走らせる。
「でも、ここだけの話ですよ」
アスイズミは急に身を乗り出した。
手の甲を口元へ添え、本当に誰かに聞かれては困る秘密でも漏らすように声を潜める。
「あの人、ああ見えて照れ屋なんです。それに……まあ、本人へ言ったら絶対に否定するでしょうけど、本当は結構いい人なんですよ」
「いい人?」
「僕は知ってるんです」
アスイズミは妙に誇らしげに胸を張った。
「例えば、治安局の近くで花を売っているおばちゃんがいるんですよ。ニンザさん、そこを通ると時々花を買うんです。でもね、買った後で困るんですよ。恋人がいるわけでもないし、家へ飾る趣味もない。それで結局、『アスイズミ君、これ邪魔なので持って帰ってくださいぃ』って僕へ押しつけてくるんです」
そこまで言ってから、アスイズミは鼻を鳴らした。
「まったく迷惑ですよ。僕の家が花屋みたいになるんですから」
口ではそう言う。
だが、顔にはまるで迷惑そうな色がない。
「ただ……あのおばちゃん、客が少ない日でも、ニンザさんが通った日は嬉しそうなんですよね。たぶんニンザさんも、それを分かって買ってるんだと思います。本人は絶対に認めませんけど」
ナニレスクのペン先が、少しだけゆっくりになる。
「他にもありますよ。局の近所の子供が野良犬を拾ってきたことがあって、『飼ってあげて』ってニンザさんへ頼んだんです。そしたら僕へ『アスイズミ君、犬は好きですかぁ?』って聞いてきた」
アスイズミは思い出しただけで嫌そうな顔を作った。
「嫌な予感はしましたよ。案の定、その日の夜には僕の部屋に犬がいました。餌も寝床も僕が用意しました。世話したのも僕です。ニンザさんは二日に一回くらい来て、勝手に犬を撫でて帰るだけでした」
「それは、ニンザさんが面倒見がいいという話になりますか?」
「なるんですよ!」
アスイズミは即座に反論した。
「僕へ押しつけてるから分かりにくいだけです。あの人、自分で面倒を見るのが恥ずかしいんですよ。だから僕を使うんです。病院と間違えて治安局へ入ってきた、ちょっと呆けたお爺ちゃんを家まで送った時だってそうでした。」
「ニンザさん、自分で送ればいいのに『私は忙しいのでぇ』とか言って僕へ回した。でも、僕が戻るまで局の前でずっと待ってたんです」
アスイズミはそこで一度、言葉を切った。
先ほどまで自慢げだった顔が、少しだけ穏やかになる。
「……あれで結構、面倒見がいいんですよ。人に優しくしたって思われるのが、たぶん嫌なんでしょうね。変な人ですから」
ナニレスクは何も言わず、メモを続けている。
アスイズミは照れ隠しに鼻を擦った。
「まあ、ほとんど実際に動いてるのは僕なんですけどね。そこはちゃんと記事に書いてくださいよ。ニンザさんだけいい人みたいに書かれたら、僕が損するじゃないですか」
口では不満を言いながら、顔は笑っていた。
ナニレスクは心の中だけで思った。
実際、それを誇っていいのはニンザだけではない。
押しつけられた花を飾り、犬を飼い、老人を家まで送り届けたのは、全部この若い巡察官なのだから。
――エー・アスイズミ取材記録より抜粋。
◇
青く広がるカールフォードの空へ、赤い飛沫が散った。
光の刃が、アウグストゥスの胸を深く切り裂いていた。
白いシャツが一瞬で赤へ染まり、血が風に引き千切られて空へ尾を引く。
アウグストゥスは即座に後退した。
だが、ニンザが離さない。
白目を剥いた顔に人間らしい表情はない。光剣を握ったまま、逃げるアウグストゥスへ食らいついてくる。
「まったく……」
アウグストゥスは胸へ手を当てながら、空いた方の手を振った。
何もない空間へ、黒い球体が生まれる。
一つ。
二つ。
三つ。
次々に増え、合計七つ。
指先が僅かに動いた。
黒球が一斉にニンザへ襲いかかる。
最初の一発を、ニンザは身体を沈めて躱した。
二発目。
左へ旋回。
三発目と四発目は、空中で身体を捻りながら抜ける。
残る三発。
ニンザが光剣を振るった。
黒い球体が、まるで最初からそこへ切れ目があったように両断される。
爆ぜた球体が黒い粒子となって散った。
だが、アウグストゥスの目的は命中ではない。
七発への対応を強制したことで、ニンザとの間に距離が生まれていた。
わずか数秒。
それだけあれば十分だった。
アウグストゥスは自分の傷へ指を滑らせた。
(浅くはない)
胸骨を越え、刃は心臓まで届いている。
実際、心臓は止まっていた。
鼓動はない。
普通の人間なら、この時点で終わりだ。
(捜査官には残念な話だな。俺でなければ殺せていた)
アウグストゥスは死なない。
アンデッドだからではない。
そういう身体の造りをしている。
ただ、失血そのものが無害というわけでもない。
胸元から流れ続ける血を一瞥してから、アウグストゥスは再びニンザを見た。
(それより問題は、あの剣の冴えだ)
口元が僅かに吊り上がる。
(まさか、この俺が技量で押し込まれるとはな。長生きはするものだ)
本人は剣の腕などないと言っていた。
事実なのだろう。
ならば、今戦っているのはニンザの剣技ではない。
剣が、ニンザの身体を使って戦っている。
その答えを確かめる間もなく、ニンザが再び飛び込んできた。
光剣が袈裟懸けに落ちる。
アウグストゥスは刀を立てず、身体を沈めた。
光が肩口を掠め、外套の一部を切り飛ばす。
(ディスペルは確かに一度、精神支配を解除した)
(だが、解除した直後に掛け直された)
(なら術者を断たない限り、何度やっても同じだ)
ニンザが返す刃を、アウグストゥスは半身になって避ける。
(殺すか?)
最も簡単な方法。
だが、その先が面倒だった。
国外で上級捜査官を殺せば、治安局が動く。
勇者ギルドだけでも鬱陶しいというのに、新しい追跡者を増やす必要はない。
(さて、どうしたものか――)
そこで、違和感が走った。
また刃が来る。
避ける。
だが今度は、先ほどより近かった。
(む?)
もう一撃。
今度はアウグストゥスが取ろうとしていた回避方向へ、光剣が先回りする。
刀で受ける。
金属音が空へ弾けた。
(速くなった?)
違う。
アウグストゥスの目が細くなる。
(俺が、遅く感じるほど相手が速くなったのではない)
(こちらの動きに慣れてきている)
ニンザではない。
光の剣。
アウグストゥスが刀を返す。
光剣が、その軌道を予測して防いだ。
(学習しているのか)
再び切り結ぶ。
今度は、さらに早く対応された。
アウグストゥスの笑みが消えた。
(俺を)
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