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異世界倒叙サスペンス~サイコパス男爵とシリアルキラー令嬢~  作者: 諏訪 富二一(ふじいち)
2部

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127/183

空中演舞

豪華客船の二等船室では、昼間だというのに薄いカーテンが引かれていた。


 ルシュファリアを発ち、カールフォードへ向かう船旅も数日目。船内には劇場も賭場も食堂もあるが、毎日同じ顔ぶれ、同じ海、同じ娯楽となれば、さすがに飽きてくる。


 ニンザ・フルハタは窓際の椅子へ猫背の身体を沈め、向かいに座る男を見ていた。


「また貴方ですかぁ」


 机の上では、録音水晶が青白く明滅している。


 その横でナニレスク・クスープが、当然の顔をして手帳を開いていた。


「まあ、船内も娯楽が豊富とはいえ、何日も同じことをしていれば飽きますからねぇ。貴方の相手も、それなりに気晴らしにはなりますが」


「それは光栄です」


「褒めてはいませんよぉ」


 ニンザは頬杖をつく。


 本人としては世間話のつもりだった。


 だが、ナニレスクの方は一字一句を記録する気満々である。


「それで……何でしたっけ」


「ニンザさんには、捜査官としての正義感があるのか、です」


「ああ、それでしたねぇ」


 ニンザは少し考え、天井へ目を向けた。


「正義感……というと、少し違いますねぇ」


「違う?」


「ええ。私は正義という言葉を、あまり信用していませんので」


 ナニレスクのペンが動く。


「ですが、治安局で働き始めた頃の話なら、一つ覚えていますよぉ」


 ニンザは椅子の背へ身体を預けた。


「まだ捜査官ではなく、巡察官だった頃です。街を歩いていたら、小さな女の子が道端で泣いていましてねぇ」


「迷子ですか?」


「最初はそう思いました」


 ニンザは口元を緩める。


「ですが、話を聞いてみると違った。家で父親が借金取りに殴られている、と言うんです」


「借金の取り立て?」


「ええ。父親が金を返せず、借金取りが家に押しかけていたらしい。女の子は怖くなって外へ逃げてきたそうですぅ」


 その時の情景を探すように、ニンザの目が少し細くなる。


「まあ、巡察官として見つけた以上、放っておくわけにもいきません。家まで行きましてねぇ」


「どうなりました?」


「借金取りは三人いました。父親は床へ転がされて、鼻から血を流していた」


「逮捕したのですか?」


「いいえ」


 ニンザは即答した。


「当時の私はただの巡察官ですし、殴った現場も見ていない。それに、相手も『転んだだけだ』と言い張りましてねぇ」


「それでは?」


「今日は帰れ、と言いました」


「それだけで帰ったんですか?」


「帰りませんでしたよぉ」


 ニンザは笑う。


「ですので、私がその家の玄関へ座り込みました」


 ナニレスクが顔を上げる。


「玄関に?」


「ええ。借金取りが父親へ近づくたび、『それ以上やったら私が見ましたからねぇ』と声を掛ける。殴ろうとすれば止める。私がいる限り、好きにはできません」


「随分と面倒なやり方ですね」


「新人でしたからぁ」


 ニンザは肩をすくめた。


「結局、三人とも散々悪態をついて帰りました」


「それで終わりですか?」


「いいえ」


 ニンザは少しだけ視線を落とした。


「帰り際、女の子が私の袖を掴みましてねぇ」


 声の調子が、ほんの少し柔らかくなる。


「『ありがとう、お兄ちゃん』って」


 ナニレスクのペン先が、一瞬止まった。


「それが嬉しかった?」


「ええ」


 ニンザは素直に答えた。


「私の捜査官人生でも数少ない、いい思い出ですぅ」


 そこで、ふふ、と小さく笑う。


「まあ、その一家は結局借金を返せず、その数日後には夜逃げしましたけどねぇ」


「……台無しですね」


「現実なんて、そんなものでしょう」


 ニンザは机の上の録音水晶を指で軽く叩いた。


「借金そのものが消えるわけではない。私が一晩守ったところで、その家族の人生を救えたわけでもありません」


「それでも覚えている?」


「覚えていますよぉ」


 ニンザは窓の外へ目を向けた。


「たった一晩です。問題も解決していない。女の子がその後どうなったかも知らない」


 海面へ白い光が散っている。


「ですが、あの子が私へ言った『ありがとう』だけは、まだ残っています」


「それを、正義感とは呼ばない?」


「呼びません」


 ニンザは笑った。


「正義なんて大層なものではありませんよぉ」


「では?」


「小さな誇りです」


 猫背の男は、録音水晶へ向き直る。


「誰か一人くらい、私がいて助かったと思ってくれた。捜査官を続ける理由なんて、その程度で十分でしょう?」


 ――ニンザ・フルハタ取材記録より抜粋。


          ◇


 カールフォードの空には、まだ昼と呼ぶには少し早い青が広がっていた。


 その空を、二つの影が切り裂いている。


 ガキィン!


 甲高い金属音。


 刃と刃がぶつかり、火花にも似た光が空へ散った。


 直後、二つの影は弾かれるように距離を取る。


 だが、離れたのは一瞬だけだった。


 片方が軌道を変えれば、もう片方も食らいつく。


 上へ。


 下へ。


 横へ。


 互いの死角へ回り込みながら、螺旋を描いてホテル・ルクゼソルの上空を飛び交っていた。


「いや……どうするべきかねぇ」


 その戦いを地上から眺める男がいた。


 浅黒く焼けた肌。


 金色の髪。


 鍛え上げられた上半身には、相変わらずろくな服も着ていない。


 例の新聞を見てホテルまで来た青年だった。


「ナーガリアの婆さんならともかく、俺は空飛ぶの苦手なんだよなぁ」


 青年は首を鳴らしながら、空を見上げた。


 助太刀するべき相手は分かっている。


 白髪の老人。


 アウグストゥス。


 だが、二人の空中戦は速すぎた。


 無理に割り込めば、援護どころかアウグストゥスの邪魔になる。


「下手に撃って陛下に当てたら、俺の首が飛ぶし」


 青年は両手を腰へ当てた。


「いや、物理的に」


 仕方なく観戦を決め込む。


 もっとも、いつでも飛び出せるよう、目だけは一瞬たりとも戦場から外していなかった。


          ◇


 アウグストゥスは、ニンザの扱いに困っていた。


 殺すだけなら難しくない。


 問題は、殺した後だ。


 白目を剥き、泡を吹き、明らかに正常ではない。


 本人の意思で襲っているとは考えにくかった。


 精神支配。


 洗脳。


 憑依。


 術式の種類は判別できていない。


 だが、そこは本質ではない。


 問題は、誰がニンザを操っているかだった。


 情報がない。


 攻撃者の目的だけなら、ほぼ間違いなく自分だ。


 しかし術者が誰なのかは、候補が多すぎる。


 過去に敵へ回した相手。


 勇者ギルド。


 星十字教会。


 名前すら思い出せない連中まで含めれば、数える気にもならない。


 ニンザを殺せば、術者へ繋がる唯一の糸を自分から切ることになる。


「厄介ですな!」


 光剣が横薙ぎに振るわれる。


 アウグストゥスは刀を斜めに立て、その軌道を逸らした。


 刃が空を裂き、離れた建物の屋根が一部吹き飛ぶ。


 威力も異常。


 剣技も異常。


 本人は「腕力にも剣にも自信がない」と言っていた。


 少なくとも、以前のニンザ本人にこれほどの身体能力はない。


 今の体捌きは、達人と呼んで差し支えなかった。


(光の剣が能力を補強しているのか)


(あるいは、操っている側が身体の使い方そのものを上書きしている)


 ニンザが空中で身体を捻る。


 片足を軸に、さらに一閃。


 アウグストゥスは刀の鍔で受け、互いの身体が再び弾かれた。


(生け捕りにしたい)


(だが、多少傷つけずに済ませるのは難しいか)


 アウグストゥスの視線が、ニンザの右手へ向く。


 光剣。


 まずはあれを封じる必要がある。

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