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異世界倒叙サスペンス~サイコパス男爵とシリアルキラー令嬢~  作者: 諏訪 富二一(ふじいち)
2部

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126/183

光に堕ちるニンザ

ホテル・ルクゼソル。


 カールフォードでも指折りの高級宿、その最上階。


 アウグストゥスたちは、広いスイートルームで朝を過ごしていた。


 本来なら、港へ着いた翌日には魔王領へ向けて出発したかった。


 だが、ルーシュを急がせるわけにはいかない。


 豪華客船での長い船旅。


 満足に食事を取れない身体。


 浅い眠りを繰り返すだけの夜。


 見た目以上に疲労が蓄積しているのは、医者であるアウグストゥスには分かっていた。


「この街の食べ物もいいですねぇ!」


 そんな空気を一切気にせず、ギルエルは上機嫌だった。


「南国ですよ、南国! 見たことのない果物ばっかりです!」


 豪華なローテーブルの上には、色鮮やかな果物の盛り合わせが置かれている。


 赤、黄、橙。


 甘い香りが部屋いっぱいに広がっていた。


 ギルエルは小皿へ次々と取り分け、頬を膨らませている。


「お嬢様も食べませんか? これは甘いですよ。こっちは少し酸っぱいですが、それがまた良いのです!」


「ええ。美味しそうね」


 ルーシュは笑っていた。


 ただ、その指は膝の上から動かない。


 果物へ手を伸ばそうともしていなかった。


「お嬢様?」


「ギルエルが食べて。私は見ているだけで楽しいから」


 ギルエルは一瞬だけ困った顔をしたが、すぐに「では遠慮なく!」と次の果物へ手を伸ばした。


 少し離れたソファーから、そのやり取りをアウグストゥスは眺めていた。


 口には出さない。


 だが、ルーシュの疲労は明らかだった。


 頬の血色は薄い。


 笑っていても、時折焦点が遅れる。


 拒食に不眠。


 肉体が回復する材料そのものが足りていない。


 このまま無理に移動を重ねれば、どこかで身体が先に止まる。


 アウグストゥスはテーブルへ置いていた地図へ視線を落とした。


 カールフォードから、魔王領キセモコへ。


 最短距離を取るなら、途中まで船を使う手もある。


 だが、今のルーシュに再び長時間の船旅は厳しい。


 馬車は論外。


 舗装の悪い道を何日も揺られれば、船より疲労が溜まる。


 残るのは列車。


 多少遠回りになっても、揺れが少なく、途中で宿を取りやすい経路を選んだ方がいい。


「旦那様」


 傍らに立っていたアエーシュモーが、玄関へ顔を向けた。


 ノックの音がした。


「私が出ましょう」


「うむ」


 アウグストゥスは地図から目を上げない。


 アエーシュモーが玄関へ向かう。


 誰か来る予定はない。


 ホテル側の人間か。


 新聞記者なら追い返せばいい。


 昨日だけで十分だった。


 アウグストゥスは再び移動経路へ思考を戻した。


 列車なら――。


 そこまで考えた瞬間だった。


 ズドンッ!


 室内が揺れた。


 玄関側から爆発音が響き、扉の周囲が砕け飛ぶ。


 木片と煙がリビングへ一気に流れ込んだ。


「ギルエル! ルーシュを守れ!」


 何が起きたか確認するより早く、アウグストゥスの声が飛んだ。


「はっ、はいなのです!」


 ギルエルが両手を広げる。


 青い光が床を走り、半球状の結界となってルーシュとギルエルを包み込んだ。


 ルーシュは椅子から立ち上がることもせず、煙の向こうをじっと見ている。


 驚きより先に、観察している目だった。


「アエーシュモー!」


 アウグストゥスが立ち上がる。


「何があった!」


 問いながら、頭の中ではすでに可能性を削っていた。


 襲撃。


 このタイミング。


 まず疑うべきは勇者側。


 セレスティアが想定より早く立て直し、追いついたのか。


 だが、正面玄関から爆破して押し入る性格ではない。


 彼女なら、まずアウグストゥス本人を探し、周囲を巻き込まない手段を選ぶ。


 なら別の敵。


 誰だ。


 何が目的だ。


 答えへ届く前に、煙の中から黒い影が飛び込んできた。


 床を滑る。


 ズザァァァッ――!


 片膝をついたまま、アエーシュモーがリビングへ滑り込んでくる。


 髪も服も乱れていない。


 表情もいつもと同じ。


「旦那様」


「何だ」


「理由は定かではありませんが」


 アエーシュモーは淡々と言った。


「どうやら年貢の納め時のようです」


「……何?」


「牢屋へ入る準備をなさった方がよろしいかと」


「何の話をしている」


 アウグストゥスの眉が寄る。


「何をどうしたら、玄関が爆発する」


「私は何もしておりません」


「何もしていない人間は、普通、爆発と一緒に部屋へ戻ってこない」


「私もそう思います」


「どんな対応をした」


「扉を開けただけです」


「それだけか?」


「はい。扉を開けた時点で、すでに相手の様子がおかしかったので」


 アエーシュモーの視線が、煙の向こうへ向く。


「恐らく、ここへ来る前に何かあったのでしょう」


 アウグストゥスも、同じ方向を見る。


 煙が薄れていく。


 その向こうから、一人の男が歩いてきた。


「……捜査官殿?」


 ニンザ・フルハタだった。


 だが、昨日までの男ではない。


 目は白目を剥き、歯は砕けそうなほど強く噛み締められている。


 口元から泡が溢れ、顎を伝ってスーツの襟へ落ちていた。


 肩は不自然に跳ね、指先まで細かく震えている。


 会話をする状態ではない。


 アウグストゥスの目が細くなる。


 精神支配。


 洗脳。


 憑依。


 あるいは、本人の意思を強制的に上書きする何か。


 誰が。


 何のために。


 そこは考えるまでもない。


 狙いは自分だ。


 問題は、誰がニンザを駒にしたのか。


 セレスティアではない。


 あの女は苛烈だが、無関係な人間を操って捨て駒にする手段を好む性格ではない。


 勇者ギルドの別人。


 教会。


 過去に敵対した誰か。


 候補が多すぎる。


「捜査官殿」


 アウグストゥスは呼びかけた。


「聞こえていますかな」


 ニンザの喉から、言葉にならない音が漏れた。


「……ゥゥ……ァ……」


 右腕が持ち上がる。


 掌の中へ光が集まり、細長く伸びた。


 一瞬で、剣の形を取る。


 アウグストゥスの目が僅かに開く。


「それは――」


「ァァァァァッ!」


 ニンザが踏み込んだ。


 光の剣が振り下ろされる。


 アウグストゥスは後ろへ退かなかった。


 何もない空間へ右手を差し込み、そのまま引き抜く。


 手の中には、一振りの刀が握られていた。


 刃と光が正面からぶつかる。


 甲高い衝撃音が響き、床へ細かな亀裂が走った。


「随分と物騒な挨拶ですな!」


 ニンザは返事をしない。


 二撃目。


 横薙ぎ。


 アウグストゥスが刀を立て、受ける。


 三撃目は下から跳ね上げるように振られた。


 今度は半歩だけ身体をずらし、刃を滑らせて逸らす。


 力任せではない。


 操られている割に、妙に正確だった。


「アエーシュモー!」


「はい」


「ルーシュを連れて、ここから離れろ」


 四撃目を受け止めながら命じる。


「ただし、周囲を警戒しろ。敵がこいつ一人とは限らん」


 ニンザの剣を押し返す。


「包囲されている可能性も考えろ」


「承知いたしました」


 アエーシュモーは、この状況でも悠然と腰を折った。


 完璧な礼だった。


「ギルエル」


「は、はい!」


「お嬢様から離れないように」


「もちろんです!」


 アエーシュモーが片手を上げる。


 ルーシュとギルエルの足元から、黒い影が盛り上がった。


 影は球体となり、二人を包み込む。


「義父さま」


 黒い球体へ飲まれる直前、ルーシュがアウグストゥスを見た。


 声は静かだった。


「死なないでね」


「ハハッ、誰に言っている」


 アウグストゥスはニンザの剣を受けながら笑った。


「心配する相手が逆だ」


 黒い球体が床へ沈む。


 次の瞬間、ルーシュとギルエルの姿は消えていた。


 アエーシュモーは二人が消えたことを確認すると、窓へ向かう。


 躊躇なく拳を振るった。


 豪奢な窓ガラスが砕け、青空が剥き出しになる。


 アエーシュモーの背中から、黒い翼が開いた。


 コウモリを思わせる大きな翼。


 そのまま窓枠を蹴り、外へ身を投げる。


 朝の空へ黒い影が舞い上がり、瞬く間に遠ざかっていった。


 アウグストゥスはそれを確認し、刀を握り直した。


「さて」


 ニンザの光剣を弾き返す。


「これで遠慮はいりませんな、捜査官殿」


 刀の峰へ、左手を滑らせた。


 周囲の空気が揺れる。


 刃の周囲だけ、景色が歪み始めた。


 床。


 壁。


 天井。


 すべての輪郭が、刀を中心に引き寄せられていく。


 ニンザは止まらない。


 白目を剥いたまま、再び踏み込んできた。


「生憎ですが」


 アウグストゥスが刀を構える。


「私は、逮捕される予定を立てておりません」


 振るった。


 次の瞬間。


 ホテル・ルクゼソル最上階の一角が、爆散した。


          ◇


「いや、俺も別に、追い出したいわけじゃないんだって」


 カールフォードの大通り。


 先ほどまで両腕へ絡みついていた美女二人へ、金髪の青年は困った顔で手を合わせていた。


「ちょっと急用ができただけだ。今夜また遊ぼうぜ」


「絶対?」


「絶対、絶対」


「昨日も同じこと言ったわよ」


「昨日の俺と今日の俺は違う男だ」


「最低」


「褒め言葉として受け取っとく」


 二人をどうにか帰し、青年は一人でホテル・ルクゼソルへ向かった。


 新聞は脇へ挟んでいる。


 写真に載っていた老人。


 見つけたくはなかった。


 だが、見つけてしまった以上、無視するわけにもいかない。


 あと少しでホテルへ到着する。


 最上階が見える距離まで近づいた、その時だった。


 轟音。


「……は?」


 青年が足を止める。


 ホテル最上階の一角が、内側から吹き飛んだ。


 壁、窓、家具の破片が黒煙と一緒に外へ弾き出される。


 通行人が悲鳴を上げ、建物から離れようと走り始めた。


 青年は逃げなかった。


 黒煙を見上げる。


 そして、その中から一つの影が飛び出した。


 白髪の老人。


 新聞の写真に載っていた男。


 アウグストゥス。


「……んなアホな」


 青年は額へ手を当てた。


「勘弁してくれよ」


 新聞を広げ、写真を見る。


 空中に飛び出した老人を見る。


 もう一度、写真を見る。


 間違いない。


 青年の顔から、先ほどまでの軽薄な笑みが消えた。


「何でよりにもよって、この俺が……」


 黒煙の中から、さらに何かが飛び出してくる。


 青年の目が細くなった。


「陛下のお守りなんて、しなきゃならねえんだよ」


 うんざりした声だった。


 だが、その足はもうホテルへ向かって走り出していた。


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