謎の青年
窓の外では、薄い雲がゆっくり流れていた。
ナニレスク・クスープは椅子の背へ身体を預け、紅茶を一口啜る。
向かいでは、無精髭を生やした男が長い脚を投げ出していた。
擦り切れた革外套。腰には二丁の拳銃。
勇者ギルド十三賢人会議、第七席。
ニュー・ハンプシャー。
「あん? 俺が勇者をやってる理由だと?」
ニューは面倒そうに眉を上げた。
「さあな。忘れた」
ナニレスクのペンが止まる。
ニューは天井を見上げた。
「……才能があった。他にやりたいこともなかった。だからなった。今さら理由なんざ聞かれても、それ以上に格好いい答えは出てこねえよ」
ニューは鼻で笑った。
「家族を守るためだとか、悪を許せないからだとか、世界を救いたいからだとか。そういう話なら、別の勇者を取材した方がいい」
「向いてねえんだよ」
ニューは指で頬の無精髭を掻いた。
「何かを守るためとか、悪を裁くためとか。そういう真っ直ぐな理由で戦える性格じゃねえ」
ニューの指が止まった。
天井を見たまま、しばらく答えない。
「……こんな俺をな」
さっきまでの気怠い声が、少しだけ低くなる。
「何の疑いもなく、ヒーローだって信じた奴が、この世にはいるんだよ」
ナニレスクは何も言わず、ペンを走らせる。
ニューはそれを横目で見て、小さく息を吐いた。
「いや」
訂正する。
「いた――って言った方が正しいか」
ナニレスクはそこで初めて顔を上げた。
だが、ニューはそれ以上話さなかった。
――ニュー・ハンプシャー取材記録より抜粋。
◇
豪華客船がカールフォードへ到着してから、一夜が明けた。
昨日まで港へ集まっていたのは、船員と荷役人と、新大陸へ降り立つ旅行客ばかりだった。
今朝は違う。
新聞売りの声が、港町のあちこちで響いていた。
「号外だ! 大女優マリー・モンロー殺害事件!」
「豪華客船で起きた殺人事件を、乗り合わせた名探偵たちが解決!」
「犯人逮捕の一部始終! 詳しくは朝刊で!」
事件は、すでにカールフォード中の話題になっていた。
原因は一人の記者である。
ナニレスク・クスープ。
船が港へ着くより前に、通信用魔法具を使ってカールフォードの複数の新聞社へ事件を売り込んだ。
大女優が殺された。
犯人は同じ船の乗客。
しかも、その事件を解決したのは、偶然乗り合わせていた医者と捜査官。
新聞屋が飛びつかない理由がなかった。
豪華客船が着岸すると同時に、港には記者が押し寄せた。
アウグストゥスとニンザが姿を見せた瞬間、撮影用魔道具の閃光が何度も弾け、怒鳴り声に近い質問が浴びせられた。
そして、その翌朝。
二人の姿は、新聞の一面へ堂々と載っていた。
港近くの通り。
新聞売りの露店の前で、一人の青年が足を止めていた。
浅黒く焼けた肌。
よく鍛えられた身体には上着すら羽織っておらず、金色の髪が朝日を受けて光っている。
その両脇には、派手な服を着た美女が一人ずつ腕を絡ませていた。
「ねえ、もう行きましょうよ」
「朝から新聞なんてつまらないわ」
「ああ、ちょっと待ってくれ」
青年は適当に二人をあしらい、売り物の新聞を一部手に取った。
目に入ったのは、記事ではない。
見出しの横に載った一枚の写真だった。
猫背の男。
白髪の老人。
青年の視線は、その老人の顔で止まった。
「……何で俺が見つけちまうかな」
小さな溜息が漏れる。
新聞を少し離し、もう一度写真を確認する。
見間違いではない。
「なあ、おばちゃん」
露店の店主へ声を掛ける。
「この写真に写ってる爺さん、どこに泊まってるか知ってるか?」
店主は青年を見上げた。
「さあねえ」
親指と人差し指を擦り合わせる。
「知ってたとしても、人様にはプライバシーってもんがあるからねえ」
青年は無言で懐へ手を入れた。
銀貨を一枚、店主の掌へ乗せる。
「ああ、そういえば」
店主の声色が途端に軽くなる。
「この新聞を店へ持ってきたビルが、写真に載ってる有名人がルクゼソルってホテルに泊まってるとか言ってたねえ」
「へえ」
「まあ、ただの世間話だけどねえ」
「ありがとさん」
青年は新聞を畳む。
「ついでに、そのルクゼソルってホテルがどこにあるか教えてくれるか?」
店主の親指と人差し指が、再び擦れ合った。
青年は無言でもう一枚、銀貨を出した。
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