十三賢人第七席
録音水晶の奥で、青白い光が静かに明滅していた。
ナニレスク・クスープは何も言わず、手元の紙へペンを走らせている。
「捜査官になったきっかけ、ですかぁ?」
ニンザ・フルハタは椅子の背へ深く身体を預け、天井を仰いだ。
いつもの間延びした調子ではあったが、口元に笑みはない。
「私は、生まれが貧乏でしてねぇ。子供の頃は、随分と苦労しました」
ペン先が紙を擦る音だけが続く。
「服が汚い。身体が臭い。食べ方が卑しい。貧乏人の子供は手癖が悪い。何かなくなれば、最初に疑われるのは私でしたぁ」
「でもその疑いは正しい。腹が減って死にそうなら、パンくらい盗みます。盗まなければ死ぬ子供へ、盗みは悪だと説教しても腹は膨れませんからねぇ」
ナニレスクのペンが一瞬だけ止まり、すぐに動き出す。
「ですが、貧乏人だから侮られることなど、大した問題ではありませんでした」
「私にとって一番の屈辱は、金持ちは金持ちだというだけで罰を逃れられると知った時ですぅ」
ニンザは天井から視線を下ろし、録音水晶を見た。
「私がいた児童施設には、よく寄付をしてくれる富豪がいました。服を買い、食事を与え、建物の修繕費まで出してくれる。世間では、子供を救う善人として有名でしたぁ」
「寄付の代わりに、院長から子供を差し出されていました」
部屋から、ペンの音が消えた。
「殴る。服を脱がせる。水へ沈める。泣けば泣くほど喜ぶ人でしたねぇ。院長も職員も知っていましたが、誰も止めません。金が入らなくなれば困りますから」
「ただその内、隠しきれない怪我をした子が出ましてねぇ。施設は調べられ、院長は捕まりました。職員も何人か罰を受けた」
ニンザの指先が、自分の膝を軽く叩く。
「ですが、金持ちは捕まりませんでした」
「証拠がないから、だそうですよぉ」
ニンザは笑った。
笑い声だけで、顔は少しも笑っていなかった。
「被害を受けた子供たちが何人も同じ証言をした。職員の一人も認めた。それでも、子供は記憶違いをする、職員は院長へ責任を押しつけるために嘘をついている。そういうことになりましたぁ」
「寄付者として訪問しただけ。怪我をした子供と二人きりになったことも、偶然だったそうです」
ニンザはナニレスクを見た。
猫背をさらに丸め、顔を少しだけ前へ寄せる。
「なぜそんなに詳しいのかですって? その施設で虐待されていた子供の一人が、私だったからですぅ」
ナニレスクの目が上がった。
「その日から、私は取り締まられる側ではなく、取り締まる側へ回ろうと決めました」
いつもの笑みが、ニンザの口元へ戻る。
「復讐なら、捜査官にならずともできます。夜道で後ろから刺せば済む話でしょう?」
「ただ金持ちが金を払い、偉い人間が頭を下げ、善人の顔を作れば、罪そのものが消える。そんな仕組みが気に入らなかったんですぅ」
録音水晶の光が、ニンザの細い目に映る。
「だから私は、罪を消したつもりでいる人間を探します」
「そして……」
「本人が忘れていても、掘り返します」
ニンザは指を一本立てた。
「墓穴というものは、自分で掘った方が深くなるんですよぉ」
――ニンザ・フルハタ取材記録より抜粋。
◇
旧大陸の内陸中央部。
大国ウィズベキストの首都には、勇者ギルド本部が置かれている。
城塞と見紛うほど巨大な石造建築の上層では、勇者ギルドの最高意思決定機関――十三賢人会議が開かれていた。
もっとも、第七席の男は、会議が終わる前に退席していた。
ニュー・ハンプシャー。
四十代半ば。伸びた無精髭に、擦り切れた革外套。腰には大型の回転式拳銃を二丁下げ、勇者というより荒野の無法者に見える。
彼は長い階段を、欠伸を噛み殺しながら下りていた。
「ニュー様。戻ってください」
隣を歩く眼鏡の女が、厚い書類束を胸へ抱えながら言った。
三十代前半。髪は隙なくまとめられ、皺一つない制服を着ている。ニューの秘書を務めるトーコだった。
「会議はまだ終わっておりません」
「俺一人抜けても、残り十二人もいるだろ」
「十二人ではありません。今日出席しているのは八人です」
「半分より多い。立派な会議だ」
「議題の一つは、第七席であるニュー様が提出した勇者派遣区域の再編案です」
「俺が書いたんだから、内容は知ってる」
「提出者が採決前に帰る人がありますか!」
「ここにいる」
ニューは親指で自分を指した。
トーコの眉間へ深い皺が刻まれる。
「そもそも第三席なんて、俺が第七席へ座る前から一度も会議に出てねえじゃないか」
「第三席を基準にしないでください。あの方は、例外の塊です」
「なら俺も例外に入れてくれ」
「入りません」
「堅いな、お前は」
「ニュー様が柔らかすぎるのです」
トーコの小言を背中で受け流しながら、ニューは階段を下り続けた。
十三賢人会議室がある最上階から、途中の回廊を幾つも抜ける。
あと一階下りれば、通信局。
そこを通り過ぎれば本部の玄関である。
「今日はもう帰る」
「帰しません」
「酒場で大事な会合があるんだ」
「ただの飲酒でしょう」
「酒場の主人と、今後も俺へ酒を売るかどうかを協議する。重要な交渉だ」
「代金を払えば売ってもらえます」
「なら話は早いな」
押し問答を続けながら、二人は一階の作戦通信局へ辿り着いた。
広い空間には、各地の勇者や支部と連絡を取るための窓口が並んでいる。机上には通信用魔法具の水晶が置かれ、職員たちが届いた報告を書き取っていた。
ニューが出口へ向かおうとした、その時。
一つの水晶が強い光を放った。
職員が魔力を通し、応答する。
「はい、勇者ギルド本部通信局です」
『勇者セレスティアだ。追加の調査報告がある』
水晶から聞こえた声に、職員が露骨に顔をしかめた。
「……また貴女ですか、勇者セレスティア」
ニューの足が止まった。
「今度は何です? ザレイドの件なら、黒山羊と毒蛇の教団による犯行で決着がついたはずでしょう」
『決着などついていない。犯人を一人、取り逃がしている』
「その主張は、すでに一度却下されています。正式な再調査を希望するなら、証拠を添えて申請書を――」
「よう、じゃじゃ馬娘」
ニューは職員の横へ割り込み、水晶へ顔を寄せた。
「まだ他人の仕事を増やして回ってるのか?」
職員は驚いて椅子を引いた。
トーコは完全に無視され、背後で頬を引きつらせている。
『その声……師匠ですか?』
「勇者ギルド本部に、俺以上のいい声の男がいるか?」
『たくさんいます』
「即答するなよ」
『レディオンさんに、オルガレッド、ターナー。それから――』
「ああ、もういい。俺が悪かった」
ニューは額へ手を当てた。
「真面目に数えるんじゃねえ。相変わらず冗談の通じねえ弟子だな」
『師匠の冗談は、冗談だと分かりにくいのです』
「それはお前が悪い」
『なぜですか』
「俺が師匠だからだ」
『横暴です』
「師匠ってのは横暴な生き物なんだよ」
トーコが咳払いした。
「ニュー様、職員の業務を妨害なさらないでください」
ニューは聞こえなかったふりをして、水晶へ肘をつく。
「それで? ギルド本部へ何の用だ」
『ザレイドで起きたコープスパーティーの首謀者について、追加の情報を得ました』
「首謀者?」
『アウグストゥス・ヴァーミリオン男爵です。それと、男爵が使役している、レベル七相当の魔法を使用する従者について』
ニューの指が止まった。
「アウグストゥス……?」
小さな呟きだった。
水晶越しのセレスティアには届かなかったのか、報告を続ける。
『ビオランテで四年前に起きた、植物系魔物の大規模襲撃事件を調べました。アウグストゥス・ヴァーミリオン男爵は、あの事件にも関与していた可能性があります』
ビオランテ。
その地名が出た瞬間、ニューの顔から気怠さが消えた。
ほんの一瞬。
だが、長年傍にいるトーコは見逃さなかった。
「続けろ」
声も変わっていた。
冗談を挟む余地のない、乾いた声だった。
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