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異世界倒叙サスペンス~サイコパス男爵とシリアルキラー令嬢~  作者: 諏訪 富二一(ふじいち)
2部

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120/183

ラローレの実家

職人街の裏路地には、昼だというのに陽が届いていなかった。


 高い建物に挟まれた狭い道は湿り、石畳の隙間には黒い苔がこびりついている。軒先から落ちた雫が、一定の間隔で水溜まりを叩いていた。


 タヌーサ・ナザロから教えられた住所は、その路地の最奥にあった。


 壁の漆喰は剥がれ、窓は内側から板で塞がれている。人が暮らしている家というより、捨てられた建物が辛うじて形を保っているだけに見えた。


「ここか」


 レオヴァンが住所を書いた紙と、扉の上に打ちつけられた番号を見比べる。


「間違いないな」


 セレスティアは返事を待たず、扉を叩いた。


「ラローレの父君。おられるか」


 反応はない。


 もう一度、先ほどより強く叩く。


 家の奥から人が動く音も、返事も聞こえなかった。


「留守じゃねえのか?」


「窓が閉じられている。中にいるかもしれん」


「だからって勝手に入るなよ」


 レオヴァンが言い終える前に、セレスティアはドアノブへ手を掛けていた。


 捻る。


 鍵は掛かっていなかった。


 二人は顔を見合わせる。


「入るぞ」


「待て。お前が言うな」


 レオヴァンが先に扉を押し開いた。


「入るぜ。誰かいるなら返事してくれ」


 湿った空気と、酒と埃が混じった臭いが流れ出してくる。


 レオヴァンが中へ入り、セレスティアも後へ続いた。


 玄関を入ると、すぐに狭いダイニングキッチンがあった。


 流しには洗われていない皿が積まれ、卓上には固くなったパンの欠片が残されている。棚の戸は半分開き、床には空の酒瓶が何本も転がっていた。


 人が暮らしてはいる。


 ただし、暮らそうとしてはいない。


 部屋の奥には、もう一つ扉があった。


「親父さん」


 レオヴァンが声を掛けながら開ける。


 そこに男がいた。


 小さな卓と、それに対になる椅子が一脚。


 男は椅子へ腰掛け、酒瓶を片腕で抱えたまま、卓へ顔を伏せていた。


 髪も髭も伸び放題で、着ている服には酒と食べ物の染みが幾重にも重なっている。左腕は力なく身体の横へ垂れ、右手だけが酒瓶の首を掴んでいた。


 寝ているのかと思ったが、セレスティアが一歩近づくと、男の口が動いた。


「……誰だ、お前ら」


 顔は上げない。


 酒で焼けた低い声だけが、卓の上を這った。


「ラローレの父君ですね」


 セレスティアが尋ねる。


 その名を聞いた瞬間、酒瓶を握る指が動いた。


 だが、男はすぐに吐き捨てる。


「知らねえな」


「俺たちは勇者だ」


 レオヴァンが答えた。


「四年前に起きた魔物の襲撃事件を調べている。事件の前、娘さんが広場で旅の行商人の子供と親しくなったと聞いた」


「知らねえって言ってんだろ」


 男はようやく顔を上げた。


 目は赤く濁り、頬はこけている。酒に溺れている人間の顔だったが、それ以上に、生きることへ飽ききった顔だった。


「俺に娘なんていねえ」


「ラローレという娘がいたはずだ」


「いねえよ」


 男の声が低くなる。


「もう、どこにもいねえ。だったら最初からいなかったのと同じだろうが」


 右手の酒瓶を持ち上げる。


 底に残っていた僅かな酒を口へ流し込んだが、その顔に美味そうな色は一つも浮かばなかった。


「分かったら帰れ。勇者様が何を調べてるのか知らねえが、もうどうでもいいことだ」


 セレスティアは男の左腕を見た。


 肩から先が、身体に付属しているだけで、まるで動いていない。


「娘さんが亡くなられてから、ずっとそのように?」


 男の眉が歪んだ。


「だったら何だ」


「酒を飲み続け、食事も取らず、この家で死ぬのを待っているのですか」


「説教しに来たのか?」


 男は卓を殴ろうとした。


 だが酒で力が入らないのか、拳は鈍い音を立てただけだった。


「娘が悲しむとでも言いてえのか。馬鹿を言うな」


 左腕へ視線を落とす。


「俺は職人だった。家具を作ってた。腕一本で、女房と娘を食わせてたんだ」


 唇が歪んだ。


「十年前、この左腕が動かなくなった。急にな。医者に診せても治らねえ。職人が腕を失えば、ただの穀潰しだ」


「それからラローレが?」


「あいつが働いた」


 酒瓶を握る指へ力が入る。


「まだ小さかったのに、広場でホットドッグを売って、家賃を払って、俺に飯を食わせた。女房が死んでからは、あいつ一人に全部背負わせた」


 笑った。


 声だけが笑い、顔は崩れていた。


「今頃、天国で喜んでるさ。役立たずの親父の世話から、やっと解放されたんだからな」


「気持ちは分かるが、親父さんよ」


 レオヴァンが口を挟んだ。


「娘のことを思うなら、もう少しまともに生きてやったらどうだ」


 男の目がレオヴァンへ向いた。


「今のあんたを見たら、亡くなった娘さんだって――」


「うるせえ!」


 男が酒瓶を卓へ叩きつけた。


 瓶は割れなかったが、底に残っていた酒が飛び散った。


「お前らに何が分かる!」


 椅子を蹴るように立ち上がろうとし、足をもつれさせる。卓へ右手をつき、どうにか身体を支えた。


「女房が死ぬ前に約束したんだ。ラローレだけは幸せにするって。俺が何とかするって!」


 唾を飛ばし、喉を震わせる。


「何が何とかするだ。あいつに食わせてもらって、あいつに世話されて、最後はあいつまで死なせた!」


「貴方が殺したわけではない」


「同じだ!」


 男の拳が、自分の胸を何度も叩いた。


「役立たずじゃなきゃ、あの日も広場に行かせなかった! 俺が働けてりゃ、あいつはあんな所で屋台なんか出してなかった!」


 身体から力が抜け、椅子へ崩れ落ちた。


「死んで詫びてえよ」


 声が急に小さくなる。


「地獄に落ちても構わねえ。女房と娘に、土下座の一つでもしてえ」


 両目から涙が落ちた。


「なのに、死ぬのが怖えんだ」


 酒瓶を抱え、卓へ額を押しつける。


「死ぬ勇気もねえ。生き直す根性もねえ。毎日飲んで、眠って、起きたらまた娘がいないことを思い出す」


 男は声を殺せず、その場で泣き崩れた。


 レオヴァンは何も言えなくなった。


 先ほどの説教を悔いたのか、僅かに視線を伏せる。


 セレスティアは、泣く男の前へ進んだ。


「ラローレを事件に巻き込んだ者を、捕まえられるかもしれません」


 男の泣き声が止まった。


 顔がゆっくりと上がる。


「……今、何て言った?」


「あの事件は、ただ魔物が偶然現れた災害ではない可能性があります」


「犯人が……いるのか?」


 男の瞳に、僅かな光が戻る。


「魔物の襲撃に、犯人がいるって言うのか」


「まだ断定はできません」


 セレスティアは曖昧に濁さなかった。


「だが、事件の前に広場へいた者の中に、事件へ関与した可能性がある男がいる。私たちは、その男を追っています」


 男の胸が大きく上下する。


 四年間、彼は怒りを向ける相手すら持てなかった。


 魔物へ怒鳴っても返事はない。


 街を責めても娘は戻らない。


 自分を責め続けるしかなく、酒で意識を潰しながら、同じ場所を彷徨ってきた。


 そこへ初めて、追うべき人間がいるかもしれないと告げられた。


「協力してください」


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