メイドと接触
ナニレスクの持つペンが、カリカリと音を立て白い紙にインクを流し込んでいく。
「四年前、ビオランテに居た時、ラローレと写真を撮ったのよ」
「知ってる? 写真」
「昔、稀人がこの世界に持ち込んだ、魔力を使わず一瞬で絵を描く機械なんだけど」
「あの写真、どうなったんだろう」
「一枚しか撮れなかったから、思い出にってラローレにあげちゃった」
——ルーシュ・オクタヴィアヌス取材記録より抜粋。
◇
エレベーターの扉が開いた途端、聞き覚えのある声が飛び込んできた。
「おっと、捜査官」
ナニレスク・クスープが、廊下の壁へ背を預けていた。
「奇遇ですね。こんなところで」
「……朝から疑問だったのですがぁ」
ニンザの眉間に深い皺が刻まれる。
「この階は一等客室の乗客と、その同行者しか入れないはずです。なぜ、君が当然の顔で歩いているのですかぁ?」
「警備の人へ、少し袖の下を渡しまして」
ナニレスクは悪びれず答えた。
ニンザの眉間の皺が、さらに一本増える。
「それは今、治安局の捜査官へ話す内容ですかぁ?」
「海の上では、貴方に逮捕権がないと聞きましたので」
「誰から聞いたんですぅ?」
「貴方が昨日、大声で話していました」
ニンザは天井を仰いだ。
「それで、君はまたついてくるつもりですか?」
「もちろんです」
ナニレスクは手帳を掲げた。
「大女優殺害事件を独占取材できるんですよ。来ない理由がありません」
ニンザが深く息を吐き、アウグストゥスを見た。
「アウグストゥスさんは、何か言ってやってください」
「私は構いませんよ」
アウグストゥスは歩みを止めなかった。
「事件現場へ部外者を入れたところで、私が叱責される立場ではありませんので」
「無責任ですねぇ」
「責任がないのですから当然でしょう」
ニンザはしばらく考えた末、ナニレスクへ人差し指を突きつけた。
「連れていきますが、今回は黙っているように。一言でも口を挟んだら、廊下へつまみ出しますよぉ」
「分かりました!」
元気のいい返事が、静かな一等客室区画へ響き渡った。
「声も小さくしてください」
ニンザは額を押さえた。
◇
一〇一四九号室の前で、アウグストゥスが扉を叩いた。
しばらくして、細く扉が開く。
ベガ・スタントンが隙間から顔を出した。
アウグストゥスが口を開くより早く、ニンザが一歩前へ出る。
「失礼、ベガさん。昨夜の事件について、少し伺いたいことがありましてぇ」
ベガの目が三人の顔を順番に見た。
その表情へ、一瞬だけ理解の色が走る。
何を聞かれるのか、察したのだ。
「申し訳ありませんが、私からお話しできることは何もございません」
扉を閉めようとする。
「お引き取りください」
ニンザとアウグストゥスは顔を見合わせた。
どちらが口を開くか。
わずかな視線の動きだけで確認し、アウグストゥスが扉へ手を添えた。
「女優のマリーゼ・モンローは、貴女の主人であるセギル・ガンフォール殿と知り合いですね」
扉が止まった。
ベガの指が取っ手を強く握る。
「申し上げたとおりです」
数秒の沈黙を挟み、ベガは答えた。
「私から、お話しできることは何もございません。お引き取りください」
今度はニンザが口を挟む。
「では、質問を変えましょう」
笑みを浮かべたまま、扉の隙間を覗き込んだ。
「セギルさんには、愛人がいたと思いますかぁ?」
ベガは答えない。
否定もしない。
扉を閉めることもしなかった。
「貴女は何か知っていますね」
アウグストゥスが穏やかに言った。
「すでに一人、亡くなっています」
「……私にどうしろと?」
「知っていることを話していただきたい」
「主人の私生活を、他人へ話せというのですか」
「死人は、自分を殺した相手の名を話せませんのでな」
アウグストゥスの声は柔らかい。
だが、逃がす気はなかった。
「生きている者が黙れば、殺した者の言葉だけが真実になる」
ニンザが後を引き取る。
「ベガさん。主人の秘密を漏らすことへ、抵抗があるのは分かりますぅ」
「分かるのなら――」
「ですが、貴女が守ろうとしている秘密のせいで、マリーゼ・モンローさんは死んだかもしれない」
ニンザの笑みが薄くなる。
「少しで構いません。彼女が、なぜ殺されなければならなかったのか。それを調べる機会を私へください」
長い沈黙が流れた。
ナニレスクは約束どおり口を開かず、忙しなく手帳へペンを走らせている。
やがて、内側から鍵が外れる音がした。
カチリ。
「……お入りください」
扉が開いた。
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