捜査協力
事件の翌朝。
アウグストゥスの宿泊する一〇一三二号室では、本人の許可なく捜査会議が始まっていた。
室内にいたのは、アウグストゥス、アエーシュモー、ギルエル、ニンザ、アスイズミの五人。
ルーシュは奥のベッドルームで横になり、眠りと呼ぶには浅すぎるまどろみの中にいた。呼吸は細く、閉じた瞼が時折震えている。
その隣のリビングルームで、招いた覚えのない捜査官二人が、当然の顔をしてコーヒーを啜っていた。
「それで」
アウグストゥスはニンザの向かいへ腰を下ろした。
「なぜ、お二人が私の部屋にいるのですかな?」
「昨夜の犯人逮捕に協力してほしいと、そちらのメイドさんへお願いしたところ、快く入れていただけましたぁ」
ニンザの視線がギルエルへ向く。
アウグストゥスも同じ方向を見た。
咎める気力も失った目だった。
「よっ、良いではないですか、旦那様!」
ギルエルは胸の前で両手を握り、勢いだけで押し切ろうとする。
「捜査官様に協力して、罪なき人々を脅かす犯人を捕まえる。神もお喜びになる善行です! 旦那様も存分に人様のお役に立つとよいのです!」
「ギルエルの仰るとおりです」
壁際に立つアエーシュモーが、平然と続けた。
「普段から旦那様は素行が悪いのですから、こういう時くらい善行を積むべきでしょう。さすれば、落ちる地獄の階層も二つほど減刑されるかもしれません」
「おんやぁ?」
ニンザが即座に食いついた。
「地獄の深い階層へ落とされるほどの罪を、アウグストゥスさんは犯しているのですかぁ?」
細い目が、アウグストゥスの顔へ貼りつく。
冗談を聞いた男の目ではない。
アウグストゥスは笑顔を作り、真正面からその視線を受け止めた。
「まさか。生まれてこの方、正直を信条として生きてきた私に限って、地獄へ落ちるなどあり得ませんよ」
「んんー」
ニンザの口元が歪む。
「そこまで言い切る人間は、本物の善人か、余程の詐欺師と相場が決まっていますぅ」
「では、私がどちらなのか、捜査官殿の目で見極めていただきたいものですな」
「いずれ、ゆっくりと」
二人は笑っていた。
互いに、一欠片も笑っていない目で。
「今回はアウグストゥスさんを追及するために来たわけではありません」
ニンザはカップを置いた。
「昨夜の事件について、協力をお願いしに来たのですぅ」
その隣では、アスイズミがコーヒーへ口をつけようとしていた。
「熱っ……あち、あち……」
猫舌らしく、息を吹きかけては一口啜り、また顔をしかめている。
ニンザは眉間へ皺を寄せた。
人差し指を折り、アスイズミの額へ弾く。
「痛って!」
アスイズミは反射的に額を押さえた。
もう片方の手に持っていたカップが傾き、コーヒーが胸元へこぼれる。
「あっつぁああああ!」
椅子から飛び上がったアスイズミを、ニンザは一瞥もしなかった。
「それで、アウグストゥスさん」
悲鳴を背景に、何事もなかった顔で尋ねる。
「実際のところ、犯人は誰だと思われますかぁ?」
「十中八九、第一発見者のセギル・ガンフォールでしょう」
アウグストゥスは考える素振りすら見せず、即答した。
「やはり、そう思われますかぁ」
「捜査官殿も?」
「ええ。私もですぅ」
ニンザはにこやかに頷いた。
「血の付き方。着替えを急いだこと。存在したか怪しい逃走犯。そして、捜索を翌日へ延期すると伝えた瞬間の、あの安堵した顔」
「随分と分かりやすい男でしたな」
「分かりやすすぎて、かえって退屈ですぅ」
「犯罪者に娯楽性を求めるのは、捜査官としてどうかと思いますがね」
「アウグストゥスさんにだけは言われたくありませんねぇ」
アウグストゥスは笑みを崩さなかった。
ニンザも、それ以上は追及しない。
「ただ、まだ分からないことがあります」
ニンザは指を一本立てた。
「殺されたマリー・モンローさんと、セギル・ガンフォールさんの関係ですぅ」
「面識があるのは間違いないでしょうな」
「ええ。ですが、知人、仕事相手、借金相手、愛人。関係によって殺害の理由も、追い込み方も変わります」
ニンザはカップの縁を指でなぞった。
「そこさえ暴ければ、殺した理由も見える。動機を突きつけ、嘘を一つずつ剥がせば、自白まで持っていけると思うのですがぁ」
「概ね同意します」
アウグストゥスは椅子へ深く腰掛けた。
「問題は、セギル殿とマリー嬢の関係を、どうやって白状させるかですな」
「何か案はありますぅ?」
「昨夜、彼は妻と娘、使用人の四人で船に乗っていると言っていました」
アウグストゥスはニンザを見る。
「捜査官殿が私へ頼みたいのは、セギル殿と家族を引き離し、その間にご家族へマリー嬢との面識を確認してほしい――そういうことでしょう」
ニンザの笑みが深くなった。
「セギル殿が一緒にいては、余計な口を挟まれる。妻が何かを知っていたとしても、夫の目の前では話さないかもしれませんからな」
「さすがアウグストゥスさん。話が早い」
ニンザは身を乗り出した。
「お手伝いいただけますかぁ?」
アウグストゥスは、すぐには答えなかった。
断ることはできる。
面倒だと言って追い返してもいい。
だが、この男は理由を変え、口実を変え、何度でも部屋へ入ってくるだろう。
事件を解決したところで、それは変わらない。
ニンザ・フルハタは、セギルだけを見ていない。
先ほどからアウグストゥスの言葉、目線、沈黙の一つ一つまで拾おうとしている。
何を嗅ぎつけたのかは知らない。
だが、自分の中に何かあると疑っている。
船を降りたら撒くか。
撒けないなら、消すか。
いっそ、この事件の第二の被害者になってもらうのも悪くない。
海上なら、死体の始末にも困らない。
事故に見せる方法なら、いくらでもある。
アウグストゥスの視線が、ニンザの細い首へ落ちた。
――いや。
すぐに考えを捨てる。
ニンザが死ねば、セレスティアに自分の居場所を嗅ぎつけられるかもしれない。
この男一人を消したせいで、より執念深い追跡者へ痕跡を与えるのは割に合わない。
今は、利用した方が得だ。
「よろしいでしょう」
アウグストゥスは微笑んだ。
「捜査官殿がセギル殿の話を聞いている間に、私がご家族から話を聞きます」
「ご協力、感謝いたしますぅ」
ニンザは人懐っこい笑顔を見せ、立ち上がった。
「では早速、セギルさんのお部屋へ行きましょう」
右手を水平に滑らせ、アウグストゥスへ同行を促す。
アウグストゥスは浅く息を吐き、椅子から立った。
「まったく。客室へ押しかけた上に、朝食も取らせず働かせるとは」
「犯人は、朝食が終わるまで待ってはくれませんからぁ」
「昨夜は捜索を明日へ延ばした男の台詞とは思えませんな」
「昨夜の私は、犯人の顔が見たかっただけですぅ」
ニンザは笑った。
「今朝は、犯人の家族の顔が見たいのですよぉ」
二人は並んで部屋を出ていく。
アスイズミも濡れた上着を引っ張りながら、その後を追った。
「ギルエル。貴女はお嬢様についているように」
ギルエルが、ベッドルームの扉へ目を向ける。
「旦那様には、私がついていきます」
「承知いたしたのです」
アエーシュモーが扉へ向かおうとした、その時だった。
足が止まる。
船体の軋みでも、海風でもない。
上空から、何かがこちらを覗いている。
ほんの一瞬。
だが、アエーシュモーの皮膚の下を、冷たい指で撫でられた感覚が走った。
彼女はゆっくり顔を上げた。
天井の先。
さらにその上にある甲板を越え、船の上空へ意識を伸ばす。
そこに、何かがいた。
「……今の気配は……」
アエーシュモーが正体を掴もうと意識を集中した瞬間、気配は途切れた。
初めから何もいなかったように、完全に消えている。
「アエーシュモー?」
背後からギルエルの声がした。
「旦那様が部屋を出ていかれましたよ。ついていかないのですか?」
アエーシュモーは扉の前で、しばらく動かなかった。
「ええ。分かっております」
短く返し、廊下へ出る。
だが、その表情から薄い笑みは消えていた。
あの気配は、偶然消えたのではない。
こちらが見つけた瞬間、向こうもまた、見つかったことに気づいたのだ。
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