上位存在(?)
「それで?」
ナニレスクは走らせていたペンを止めず、アウグストゥスへ問いを重ねた。
「貴方自身は、どうお考えなのですか?」
「どう、とは?」
アウグストゥスは椅子の背へ身体を預け、しばらくナニレスクを眺めた。
「お前が俺に何を期待しているのかは知らんが、正義とは、相手の言い分を一方的に否定するための免罪符だ」
ナニレスクのペン先が、紙の上を滑る。
「愛とは、相手を所有するための免罪符だ。どちらも便利な言葉だよ。自分の欲を、立派なものへ塗り替えられる」
「それが貴方の結論ですか?」
「俺個人の意見に過ぎん」
アウグストゥスは薄く笑った。
「お前たちが正義や愛にどんな意味を見つけようと、俺は否定せんよ。善良に生きようが、悪辣に生きようが、好きにすればいい」
「意外ですね」
「そうか?」
「貴方は他人の価値観を、もっと見下しているのかと思っていました」
「興味がないだけだ」
笑みを残したまま、アウグストゥスは言い切った。
「重要なのは、お前たちが何を信じているかではない。その価値観が、俺にどんな利益を運んでくるかだ」
ナニレスクのペンが止まった。
「そういう意味でなら、俺は誰よりも寛容な男だと言える」
「貴重なご意見をありがとうございます。 ですが質問はルーシュ嬢についてです?」
「何?」
「正義や愛の話ではありません。貴方は、彼女をどうするつもりなのですか?」
アウグストゥスは答えなかった。
机上の茶へ目を落とし、冷めきった水面をしばらく眺める。
「……さあな」
やがて、興味を失った声で答えた。
「茨がいなくなれば、俺の仕事は終わりだ」
「その後は?」
「好きに生きればいい」
ナニレスクが何かを尋ねようとした時には、アウグストゥスはもう席を立っていた。
――アウグストゥス・オクタヴィアヌス取材記録より抜粋。
◇
白い霧が、自ら光を放っていた。
上も下もない。地面も空もなく、ニンザ・フルハタの身体だけが、乳白色の空間へ横たわっている。
その霧の奥から、声とも呼べない何かが頭蓋の内側へ触れてきた。
「うーん……」
ニンザは目を閉じたまま、寝返りを打った。
「さっきから私の頭へ話しかけている貴方は、どなたですかぁ」
返事はない。
言葉の代わりに、何者かの意志だけが頭へ押し込まれてくる。
「眠っているので、悪戯ならアスイズミ君にでもしてください。あの子なら、起きても半分は寝ていますからぁ」
ニンザは霧の中で丸まり、夢の中でもう一度眠ろうとした。
直後、頭蓋の中心で甲高い音が炸裂した。
キイイイイイン――。
「……うるさいですねぇ」
ニンザは眉間を押さえた。
音は止まらない。耳から聞こえるのではなく、脳そのものを細い針で擦られている。
「用があるなら、さっさと言いなさい。私は目を覚ましたら、昨日の事件の犯人を捕まえなければならないんですぅ」
キイイイイイン――。
「これ以上、眠りを妨げるなら逮捕しますよぉ」
ニンザが気だるげに告げると、目の前の霧が渦を巻いた。
無数の光が一点へ集まり、細長い輪郭を作っていく。
柄。
鍔。
刃。
霧の中に、白く輝く一振りの剣が浮かび上がった。
「これは……遺物ですかぁ?」
手を伸ばしてはいない。
だが、剣はニンザの胸元へ近づいてくる。
同時に、あの意志が再び頭へ流れ込んだ。
「あの男――アウグストゥスを討て、と?」
初めてニンザの目が開いた。
光の剣を見つめ、それから困ったように首を傾げる。
「私は腕力には自信がありません。こういう物は、アスイズミ君に渡した方がよろしいかと。あの子、頭は軽いですが腕は悪くありませんからぁ」
キイイイイイン――!
「痛い、痛い。分かりましたぁ」
ニンザは両手で頭を押さえた。
「受け取ります。受け取るだけですからねぇ。使うかどうかは私が決めますよぉ」
光の剣の柄へ手を伸ばす。
指が触れた瞬間、白い霧が一斉に弾けた。
「――っ」
ニンザはベッドの上で身を起こした。
薄暗い客室。低く響く船の駆動音。小さく揺れる壁と天井。
隣のベッドでは、アスイズミが大口を開け、いびきをかいている。掛け布団の半分を蹴り落とし、何の悩みもなさそうな顔で眠っていた。
ニンザは自分の右手を見た。
そこに剣はない。
だが、握り締めていた掌の中心だけが、焼けた金属に触れた後のように熱を残している。
「……面倒な夢ですねぇ」
ニンザは呟き、再び枕へ頭を落とした。
その時、豪華客船のはるか上空では、白い発光体が船と同じ速度で夜空を進んでいた。
星でも、月でもない。
誰にも見つからぬまま、発光体は沈黙を保ち、アウグストゥスの乗る船を見下ろしていた。
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