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異世界倒叙サスペンス~サイコパス男爵とシリアルキラー令嬢~  作者: 諏訪 富二一(ふじいち)
2部

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109/183

血まみれの第一発見者

 月が砕け、黒い水面を白く濡らしていた。


 豪華客船は夜の海を切り裂き、ルシュファリアから新大陸の港町カールフォードを目指している。いずれ始まる勇者ギルドの追跡から距離を稼ぐため、アウグストゥスが選んだ逃走路だった。


 だが、追跡者が追いつくより先に、船内で人が死んだ。


 一等客室、一〇一〇五号室。


 女が腹を刺され、血の中に倒れていた。


 第一発見者を名乗ったのは、セギル・ガンフォール。助けを求める彼の声を聞き、階段を警備していたファーガソンが駆けつけた。


 その二人が話している場へ、偶然通りかかったアウグストゥスたちが足を止める。


 そして今、階段の下から、黒いスーツを着た男がゆっくりと上がってきていた。


「んんうー。私もアウグストゥスさんの意見に賛成ですぅ」


 間延びした声に、全員が階段を覗き込む。


 猫背の男の後ろには、見覚えのある若い巡察官がついていた。


「第一発見者さんが着替えたり、身体を洗ったりするとぉ、重要な証拠まで一緒に消えてしまうかもしれませんからねぇ」


 男は一段ずつ、時間をかけて階段を上がってくる。


 セギルは船長が到着する前に、血まみれになった服を着替えたいと言い出していた。アウグストゥスがそれを止め、黒いスーツの男も同意したのである。


「誰だか知らないが、部外者が何も知らずに口を挟むのはやめてくれ!」


 セギルが声を荒らげた。


 黒いスーツの男は怒鳴り声を浴びても歩みを止めない。むしろ口元を吊り上げ、楽しそうにセギルとの距離を詰めていく。


「んんー。確かに今の私は部外者ですぅ。ですが、私の意見は聞いておいた方がよろしいかと」


 最後の一段を上がり、セギルの正面に立つ。


 背を伸ばせばかなりの長身だろうが、深く曲がった背中のせいで、その顔はセギルを下から覗き込む位置にあった。


「アンタ、何者なんだ」


 先ほどまでの勢いが、セギルの声からわずかに抜ける。


「これは失礼いたしました」


 男は片手を胸へ添え、芝居がかった礼をした。


「ルシュファリア治安局第一課、上級捜査官のニンザ・フルハタと申しますぅ」


「上級……捜査官……」


 セギルの肩が一度だけ動いた。


 ほんのわずかな反応だった。


 だが、アウグストゥスとニンザは同時にそれを拾っている。


 アウグストゥスはセギルの喉へ視線を向けた。唾を飲み込んだ拍子に、喉仏が大きく上下している。


 捜査官という肩書を聞いただけで、身体が先に反応した。


 この事件に関係しているのか。


 あるいは、この事件とは別に、法へ知られて困るものを抱えているのか。


 どちらにせよ、無傷の男ではない。


 向かいに立つニンザも、細めた目でセギルを観察していた。


 今の動揺はいただけない。


 これでは自分を疑ってくれと、捜査官へ頭を下げて頼んでいるも同然だ。


 もっとも、動揺しようがしまいが関係ない。


 密室に近い客室で女が殺され、全身に血を付けた第一発見者が、証拠を洗い流したがっている。


 現時点で、セギルが容疑者の筆頭に立つのは当然だった。


「あの、捜査官がいるなら話が早い」


 警備員のファーガソンが、二人の間へ声を挟んだ。


「セギルさんの話では、女の人を刺した男がこの階にいるらしいんです。見つけて捕まえてください」


「んんー、私は構いませんがぁ」


 ニンザは人差し指で頬を掻いた。


「ここはルシュファリアの外、それも海の上です。私には逮捕権どころか、勝手に客室を調べる権限もありません」


「ですが、他に適任もいませんし……」


「海上の事件は治安局ではなく、船長と海上警備隊の管轄になりますぅ。私が好き勝手に調べれば、それはそれで面倒になるんですよぉ」


「それなら、私が許可を出しましょう」


 上方の踊り場から声が落ちてきた。


 全員が振り返る。


 年老いた船長が乗客名簿を片手に、階段を下りてくるところだった。背筋は伸び、白い制服には乱れ一つない。


「船長!」


 ファーガソンの顔が目に見えて明るくなった。


 内線電話で事件を報告してから、責任を一人で背負わされていると思っていたのだろう。カーマイン船長の姿を見ただけで、強張っていた肩が下がった。


「船長権限で、ニンザ上級捜査官へ事件の調査協力を要請します。犯人が船内にいるのなら、港へ着くまで放置するわけにはいかない」


 カーマイン船長はニンザを見据えた。


「引き受けていただけますかな」


「正式なご依頼でしたらぁ、喜んで」


 ニンザは歯を見せて笑った。


 カーマイン船長はファーガソンへ向き直る。


「それで、事件があった部屋まで案内してくれるかね。ファーガソン」


「はい!」


 ファーガソンは敬礼し、一〇一〇五号室へ向けて歩き出した。


「捜査官殿もこちらへ」


 カーマイン船長がニンザを促す。


 ニンザはすぐには続かなかった。


 右手を水平に滑らせ、舞台へ役者を招き入れる仕草で、アウグストゥスへ先へ進むよう促した。


「さあ、アウグストゥスさんもぉ」


 カーマイン船長が足を止めた。


「その方も捜査官なのですか?」


「いいえ」


 ニンザは即答した。


「ただの旅のお医者様だそうです。きっと役に立つでしょう。私が保証いたしますぅ」


 ニンザの笑みが深くなる。


 アウグストゥスは黙って、その顔を見返した。


 医者が必要だから呼んだ。


 表向きは、それで通る。


 だが、ニンザはアウグストゥスを現場へ入れたがっている。医師として意見を求めたいのか、それとも、現場でどう振る舞うのか観察するつもりなのか。


 どちらもあり得る。


 ニンザ・フルハタは、意味もなく他人へ餌を与える男ではない。


「医者がいるのなら助かります」


 カーマイン船長は頷いた。


「船医のタマスも呼びましたが、彼は高齢です。ここへ来るまで、もうしばらく時間がかかるでしょう。どうか一緒に来てください」


「承知しました」


 アウグストゥスは穏やかに答えた。


 ニンザが一行に加わろうとしたところで、後ろにいたアスイズミも当然の顔でついてくる。


「アスイズミ君」


 ニンザが振り返った。


「君はここへ残りなさい。この階段を見張って、誰かが一等客室の区画から出ようとしたら引き留めるように」


「ええー、僕も犯行現場へ行きたいですよ」


 アスイズミは露骨に唇を尖らせた。


「ニンザさんだけで解決したら、僕の手柄がなくなるじゃないですか」


「安心しなさい」


 ニンザは飄々と答えた。


「君がついてきても、大した手柄は挙げられません」


「酷くないですか、それ」


「それにぃ」


 ニンザの声が一段低くなる。


 猫背をさらに深くし、アスイズミと目の高さを合わせた。長い人差し指が、若い巡察官の鼻先へ向けられる。


「犯人がまだこの階にいるのなら、現場より階段の方が大事です。私たちが部屋を調べている隙に逃げられたら、君の手柄どころか失態になりますよぉ」


 アスイズミの口が閉じた。


「誰が上がってきたか。誰が下りようとしたか。顔と時刻を覚えておきなさい。船員だから、金持ちだからと通してはいけません。いいですね?」


「……分かりましたよ」


 不服は残っている。


 それでもアスイズミは階段の前に立ち、通路の両側へ視線を走らせた。


 やるべきことを理解すれば、動きは早い。


 アウグストゥスはその様子を一瞥すると、今度は背後にいる三人へ向き直った。


「お前たちは部屋へ戻って休みなさい。ここは私一人で十分だ」


「承知いたしました」


 アエーシュモーは何の不満も見せず、静かに頭を下げた。


「何ですと!」


 ギルエルだけが声を上げる。


「せっかく劇の一幕みたいな事件が起こっているというのに、私は立ち会えないのですか!」


「ギルエル」


 ルーシュが微笑んだ。


 その手がギルエルの腕へ絡みつく。細い指が服の上から食い込み、ギルエルの抗議を止めた。


「義父さまの邪魔をしては駄目よ」


「しかし、ルーシュ様――」


「駄目よ」


 声は優しい。


 だが、指は緩まない。


「さあ、行きましょう。シュモー」


「ええ。ギルエル様には、部屋で大人しくしていただきましょう」


 アエーシュモーが反対側からギルエルの肩を掴む。


「義父さまも、お気をつけて」


「心配ない」


 アウグストゥスは短く答え、三人へ背を向けた。


 心配されるべきは、自分ではない。


 部屋の中で死んでいる女でもない。


 血まみれの服を着たまま、捜査官と同じ現場へ入ることになった男だった。

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