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異世界倒叙サスペンス~サイコパス男爵とシリアルキラー令嬢~  作者: 諏訪 富二一(ふじいち)
2部

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背後に迫る黒い影


アレン転落事件が解決した後も、アウグストゥスたちはすぐには新大陸行きの船へ乗らなかった。


乗らなかったというより、乗れなかった。


「せっかく大きな街へ来たのです。観光もしないで船に乗るなんて、あまりにもったいないのですよ」


ギルエルがそう主張し、ルーシュが目を輝かせて賛成したためだ。


アウグストゥスとしては、一刻も早く魔王領へ入りたかった。


ザレイドからの追跡が、いつ始まってもおかしくない。


勇者ギルドの影響が薄い魔王領まで移動してしまえば、セレスティアたちも容易には手を出せなくなる。


ルシュファリアで余計な殺人事件へ関わった時点で、予定はすでに遅れている。観光などせず、その日の船へ乗り込むのが最善だった。


だが、長い船旅を終えたばかりのルーシュには疲れが残っていた。


休ませずに再び船へ押し込めば、拒食や不眠が悪化する恐れがある。


ルーシュの精神が不安定になれば、影の茨にも影響する。


安全に旅を続けるためにも、機嫌と体調を整える時間は必要だった。


「今日一日だけだ」


アウグストゥスが条件をつけると、ルーシュとギルエルは顔を見合わせ、何かの勝負に勝ったように笑った。


観光を始めて間もなく、ギルエルは通り沿いの屋台へ吸い寄せられた。


串焼き、魚介を煮込んだスープ、香辛料を練り込んだ揚げパン、果汁を凍らせた菓子。


目についた料理を片端から買い込み、広場の長椅子へ並べ始める。


「全部食べるつもりかね?」


「何を言っているのですか、旦那様。これは実食調査なのですよ」


「何のための調査だ」


「新大陸へ持ち込むべき料理を選ぶためです」


「屋台の料理を、どうやって持ち込むつもりなのだね」


「細かいことを気にすると禿げるのですよ」


「誰の頭を見て言った?」


ルーシュは二人の会話を聞きながら、小さく笑った。


初日に見せていた顔色の悪さは薄れている。


食事を口へ運ぶ量も、僅かではあるが増えていた。眠れているのか、瞼の下に残っていた影も幾分ましになっている。


アウグストゥスは表情には出さず、その一つ一つを記憶した。


屋台を回った後、ギルエルに手を引かれたルーシュは、通りに面した洋服店へ入った。


店内には新大陸へ向かう旅行客向けの商品が並び、帽子や薄手の外套に混じって、水着を扱う一角も設けられていた。


「義父様、見て」


ルーシュが桃色のワンピース型水着を胸元へ当て、鏡の前で身体を左右に動かす。


「これ、似合うかしら?」


「ああ。よく似合っているとも」


アウグストゥスは穏やかに微笑んだ。


同時に、目の動き、声の張り、頬の色を確認する。


無理にはしゃいでいる気配はない。


街へ到着した初日のような消耗も見えなかった。


この調子なら、明日か明後日には再び船へ乗せても問題ないだろう。


横から、抑揚の乏しい声が割り込んだ。


「まあ、旦那様」


アエーシュモーが、いつもの無表情で立っている。


「義理の娘とはいえ、あまりに真剣な目で見つめるのはいかがなものでしょう」


「体調を見ていただけだ」


「言い訳は不要でございます」


アエーシュモーは胸へ片手を当てた。


「ご安心ください。このアエーシュモー、口は堅うございます。お二人がどのような関係へ至ろうとも、決して口外いたしません」


「存在しない関係を秘密にするな」


「そちらの店員の方」


アエーシュモーが、わざわざ店の奥にいる店員へ声を張った。


「今の話は、どうか御内密にお願いいたします」


呼ばれた店員が、自分に用事があると思ったのか、困惑しながら近づいてくる。


「やめろ。なぜ毎回、話をそちらへ持っていく」


「わたくしは、旦那様とお嬢様の関係を応援しているだけで――」


アエーシュモーは言葉を切った。


「失礼いたしました。旦那様ほどの財力とカリスマをお持ちの方が、一人の女性で満足できるはずがありませんね」


「訂正して悪化させるな」


「仕方ありません。今夜はわたくしとギルエルも、お供いたしましょう」


冗談なのか、本気なのか。


声にも顔にも、判断できるものは何一つ浮かんでいない。


「ギルエルを勝手に巻き込むな」


「では、わたくしだけで我慢なさいますか?」


「店員が来る前に黙れ」


会話が聞こえる距離まで店員が近づいてきたため、アウグストゥスはアエーシュモーを無視し、ルーシュへ向き直った。


「新大陸行きの船は、稀人の技術を参考に設計されたらしくてね。甲板に水浴びのできる大きなプールがあるそうだ」


「船にプールがあるの?」


「ああ。水着を着たいのなら、気に入ったものを買っていくといい」


ルーシュの瞳が一段明るくなる。


「本当? なら、私、これにするわ」


水着を抱えたまま、ギルエルの腕を掴んだ。


「ギルエルのも選んであげる。こっちへ来て」


「あ、待つのです、お嬢様。店の中で走ると危ないのですよ」


ルーシュは構わず、ギルエルを水着が並ぶ棚へ引っ張っていく。


その足取りは軽い。


アウグストゥスは、口元を僅かに緩めた。


「仕方ありません」


アエーシュモーが二人の後を追う。


「そこまでわたくしの水着姿を御覧になりたいのでしたら、文字どおり一肌脱いで差し上げましょう」


「誰も頼んでいない」


「照れる旦那様も愛らしゅうございます」


「早く行け」


アエーシュモーは静かに一礼し、ルーシュたちの後を追っていった。


残された店員が、アウグストゥスと三人の女たちを交互に見ている。


「先ほどの話はすべて忘れたまえ」


「は、はい」


アウグストゥスは深く息を吐いた。


◇


翌日。


港に並ぶ切符売場には、新大陸へ渡る商人や旅行者が列を作っていた。


頭上の掲示板には、船名、出港時刻、客室の等級が記されている。


アウグストゥスはルーシュたちを少し離れた待合所へ残し、窓口で四人分の乗船券を購入した。


出港は翌朝。


行き先は新大陸。


その先には、勇者ギルドの目が届きにくい魔王領がある。


乗船券を受け取り、内容を確かめる。


予定どおり出港すれば、ルシュファリアでの足止めも終わる。


セレスティアたちが追跡を始める前に、海へ出られるはずだった。


アウグストゥスは乗船券を内ポケットへしまい、待合所へ戻ろうとした。


その背後。


切符売場の柱へ背を預けた黒衣の男が、新聞を広げていた。


新聞へ目を落としてはいる。


だが、一頁もめくられていない。


紙面の端から覗く細い目は、乗船券をしまうアウグストゥスの手と、待合所にいる三人の女を順番に追っていた。


義娘が一人。


女性の使用人が二人。


報告書の記載と一致している。


男は新聞の陰で、音もなく笑った。


アウグストゥスはまだ、その視線に気づいていない。


少なくとも、黒衣の捜査官にはそう見えた。


「新大陸行き、ですかぁ」


汽笛に紛れ、誰にも届かない声が落ちる。


アウグストゥスたちが港を離れるより先に、ニンザ・フルハタは行き先を突き止めていた。

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