追跡の予兆
僕は見たんですよ。
船の中で起きた事件を、鮮やかに解き明かしてしまった老紳士を。
あの方は、きっとこの先も事件に出会う。そして、誰にも見えなかった真相を暴いていくに違いない。
そう思ったら、じっとしていられませんでした。
これはまだ、僕しか追いかけていない。僕だけが見つけた、誰にも渡したくない特種です。
だったら僕が記録しなきゃならない。
あの方が何を見て、何を隠し、何を解き明かしたのか――一つ残らず。
――ナニレスク・クスープの回顧録より抜粋。
◇
ホテル・ルシュファリアでアレン・グラフナーが転落死してから三日後。
窓の外では、港へ入った汽笛船が腹に響く低音を鳴らしていた。
ルシュファリア治安局第一課。その一角に置かれた机で、上級捜査官ニンザ・フルハタは、ザレイドから届いた報告書の束を読み進めていた。
机の上には、周辺都市の事件記録、行方不明者の照会書、貴族名簿の写しが積まれている。
調べ始めた理由は、証拠でも密告でもない。
ただの勘だった。
アウグストゥス・オクタウィアヌスと名乗った老紳士が、最近どこかで起きた事件に関わっている。何の根拠もなく、ニンザはそう感じていた。
もっとも、勘だけで容疑者を捕らえることはできない。
だからルシュファリアと街道や航路で繋がる都市へ、該当する年齢、容貌、同行者を持つ男がいなかったか照会をかけた。
ザレイドは、その一つだった。
最初の報告書には、コープスパーティー事件について記されていた。
多数の死体が一度に発見され、毒蛇と黒山羊の教団が関与したとされる大規模事件。
ニンザは報告書の紙面を指先で軽く叩いた。
(んんんん……コープスパーティーですかぁ)
(アウグストゥス。あの男なら、死体を並べる程度のことは眉一つ動かさずにできるでしょう)
(ですが、規模が大きすぎる。死体の調達、運搬、保管、処理。個人が衝動だけで起こせる事件ではありません)
(組織犯罪と見る方が自然ですかねぇ)
報告書を脇へ置き、次の一通を開く。
こちらに記されていたのは、ザレイドで失踪した貴族一家の捜査状況だった。
午餐会の最中、男爵家の当主、家族、使用人が屋敷から姿を消した。
当初は教団による襲撃や誘拐も疑われたが、その後の混乱で捜査は停滞。現在も、一家の所在は確認されていない。
ニンザの指が止まった。
(失踪した男爵の名は、アウグストゥス・ヴァーミリオン)
(年齢は六十八歳)
視線を一段下へ移す。
(家族は義娘が一人。屋敷に仕えていた者のうち、同行していた可能性が高い女性使用人が二人)
ニンザは背もたれへ身体を預けた。
ホテルで会った老人は、アウグストゥス・オクタウィアヌスと名乗った。
姓は違う。
だが、名は同じ。
年齢も近い。
連れていたのは、娘と思われる少女が一人と、女性の使用人が二人。
しかも、ザレイドの一家が消えた時期と、彼らがルシュファリアへ現れた時期を照らし合わせても、大きな矛盾はない。
「偶然、ですかぁ」
誰に聞かせるでもなく呟く。
ファーストネームが同じだけなら偶然で済む。
年齢が近いことも、珍しくはない。
娘一人と使用人二人を連れている男も、探せば他にいるだろう。
だが、偶然が三つも四つも重なれば、それはもう調べる価値のある一致だった。
ニンザは失踪報告書の端を摘み上げ、窓から差し込む光へ透かした。
(アウグストゥス・ヴァーミリオン男爵一家の失踪)
(そして、直後に現れたアウグストゥス・オクタウィアヌス)
(仮に同一人物なら、なぜ姓を変えたのでしょう)
(何から逃げている?)
(それとも、何を捨ててきた?)
机の上に置かれたコープスパーティー事件の記録へ、視線を戻す。
男爵一家の失踪と、教団が起こしたとされる大量死事件。
二つの出来事が同時期に起きている。
無関係と断じるには早い。
関連づけるには証拠が足りない。
それでも、ホテルで見たあの男の目が、ニンザの判断を鈍らせなかった。
死体を見ても動じず、犯人の嘘を楽しみ、捜査官の思考まで観察していた目。
(わたくしの勘が、彼を追えと言っていますぅ)
(勘は証拠になりません。ですが、証拠を探す方向くらいは示してくれる)
(これまでも、最初は説明できなかった違和感を追って、いくつもの事件を解決してきました)
(ならば今回も、従うだけです)
ニンザは報告書を揃え、ヴァーミリオン男爵の名前へ印をつけた。
(アウグストゥス・オクタウィアヌス)
(まずは、貴方がどこへ向かうのか見せていただきましょう)
一拍置く。
(以上、ニンザ・フルハタでしたぁ)
頭の中の報告を締めくくると、ニンザは椅子から立ち上がった。
机の上には、二人のアウグストゥスを繋ぐ紙だけが残された。
面白かった思う方は、ブックマーク、評価、感想をお願いします。
ログインなしで感想機能を開放しました。
お気軽に感想を書き込んでください。




