事件解決
ニンザの推理がナーベルを追い詰める。
「だからこそ、残ったものに聞くしかありません。死体と、部屋と、貴方の嘘に」
「嘘などついていない!」
「では、頭の傷について説明していただきましょうかぁ」
ニンザがアスイズミへ目を向ける。
アスイズミは布に包まれた書類を差し出した。
「検分の結果、アレンさんの頭蓋骨には、別々の方向から加わった二系統の骨折線が確認されました」
「落ちたんだから、頭の骨くらい割れるだろう!」
「ええ。落下した時の衝撃で入った骨折もあります」
ニンザは書類を開く。
「ですが稀人の世界には、プッペの法則というものがあります。頭蓋骨へ複数回の衝撃が加わった場合、後から生じた骨折線は、先に生じていた骨折線へぶつかったところで止まる」
指先で、書類に描かれた頭蓋骨の図をなぞる。
「アレンさんの場合、後頭部から伸びる骨折線が先。頭頂部から伸びる骨折線が、その線へぶつかって止まっていました」
ナーベルの額に汗が浮かぶ。
「つまり、後頭部へ強い衝撃を受けた後、落下して頭頂部を石畳へ叩きつけられた可能性が高い」
「し、知らん!」
「窓にぶつかったんだ!」
ナーベルは割れた窓を指さした。
「後頭部から窓へ突っ込み、硝子を突き破った。それから地面へ落ちて、頭頂部を打ったんだ。これなら二回になる!」
「なるほどなるほど」
ニンザが頷いた。
「では、アレンさんは、どうやって後頭部から窓硝子へ飛び込んだのでしょう?」
「足を滑らせたんだろう!」
「足を滑らせただけで、分厚い硝子を突き破るほどの勢いがつきますかねぇ」
「知るか! それを調べるのがお前たちの仕事だろう!」
ニンザは横目でアウグストゥスを見た。
「アウグストゥスさん。人間が転倒して窓へぶつかる場合、どの部分から当たることが多いです?」
話を振られ、アウグストゥスは面倒そうに窓へ目を向けた。
「普通に前へ躓けば、手、肩、顔面のいずれかでしょうな。後ろ向きに転べば後頭部もあり得ますが、硝子を突き破るほどの勢いを得るには、誰かに強く押されるか、走ったまま背を向ける必要がある」
「ほら見ろ!」
ナーベルは、自分に都合のいい部分だけへ食いついた。
「後頭部からぶつかることもあると言ったぞ! アレンは後頭部で窓を割り、それから頭頂部を地面へぶつけた。俺は犯人じゃない。あれは事故だ!」
「では、少し再現していただけますかぁ」
ニンザは割れた窓を手で示した。
「助走も取らず、後頭部から窓を突き破る転び方を」
「ふざけるな!」
ナーベルの顔が赤くなる。
「俺が知るわけがないだろう!」
「そうですかぁ」
「大体、それだけで殺人の証拠になるものか!」
「ええ。頭の傷だけでは足りません」
ニンザは机の上の灰皿へ視線を移した。
磨かれたクリスタルガラスが、窓から入る光を鈍く反射している。
「凶器は恐らく、あの灰皿でしょう」
ナーベルの目が、反射的に灰皿へ向いた。
一瞬後、自分の失敗に気づいてニンザへ視線を戻す。
遅かった。
「なぜ、あれが凶器だと言える!」
「昨日は何度も灰皿を見ていましたねぇ。頭蓋骨の陥没部分とも、角の大きさが近い」
「近いだけだ!」
「綺麗に洗われ、灰も吸い殻も残っていない。愛煙家の机に置かれた灰皿としては、不自然なほどに」
「メイドが掃除したと説明しただろう!」
「メイドに確認しましたよぉ」
ニンザの笑みが消えた。
「昨日、あの部屋の灰皿には触れていないそうです」
ナーベルの唇から血の気が引いた。
アウグストゥスは、黙ったまま灰皿を見た。
ニンザは、ほとんど詰ませている。
だが、まだ自白を取るつもりなのだろう。
「そういえば、申し上げましたかな」
アウグストゥスが口を開く。
「私は医術だけでなく、多少の錬金術も扱えます」
ニンザの目が細くなる。
話の先を理解しながら、止めなかった。
「稀人の世界には、ルミノール試薬という薬品がある。血液に触れると、暗所で青白い光を発するものです」
アウグストゥスは灰皿へ視線を向けた。
「血を水で洗い流しても、完全に消えたとは限らない。試薬をあの灰皿へかければ、捜査官殿の推測が正しいかどうか、すぐに分かるでしょう」
「な……」
ナーベルの口が震える。
「もちろん、貴方が無実なら、何も恐れる必要はない。作るのに多少の手間はかかりますが、協力することに異存はありません」
「ば、馬鹿な!」
ナーベルは後退し、机へ腰をぶつけた。
「そんな都合のいい薬が、この世にあるはずがない!」
「存在しないと断言できるのですかな?」
「ハッタリだ! インチキだ!」
呼吸が速くなる。
両目がニンザとアウグストゥスの間を往復する。
「そうだ、お前たちはグルだな! 俺を破滅させるため、アレンに雇われたんだ!」
「アレンさんは亡くなっていますよぉ」
「黙れ!」
ナーベルは懐へ手を突っ込み、財布を取り出した。
硬貨の詰まった袋を机へ叩きつける。
「金なら払う! アレンからいくら貰った!」
「オーナー?」
「その倍だ! いや、十倍出す!」
ニンザは返事をしない。
その沈黙に耐えられず、ナーベルはさらに声を張り上げた。
「だから、俺のことは見逃せ! なあ、頼む! あいつが悪かったんだ! 俺のホテルを奪おうとしたから――」
言葉が途切れた。
自分が何を口走ったのか、ようやく理解したらしい。
ニンザが懐から手錠を取り出す。
「続きは治安局で伺いましょう」
一歩、ナーベルへ近づいた。
「ナーベル・タカタさん。両手をこちらへ」
「来るな……」
「抵抗はお勧めしませんよぉ」
「来るなと言っている!」
ニンザが手を伸ばした瞬間、ナーベルが飛びかかった。
両手をニンザの首へ回し、体重をかけて締め上げる。
「殺してやる! お前も、あいつと同じだ!」
ニンザの背中が机へ叩きつけられ、灰皿が床へ転がった。
部屋の隅にいたアスイズミが慌てて駆け寄り、ナーベルの腕を引き剥がそうとする。しかし、追い詰められた男の力は強く、首へ食い込んだ指が外れない。
ニンザの顔が赤くなり、やがて唇から血の気が失われ始めた。
扉の外にいた巡察官たちも室内へ飛び込んでくる。
その誰よりも早く、アウグストゥスが動いた。
ナーベルの背後へ踏み込み、耳の下から首筋へかけて、右手の縁を鋭く打ち込む。
ナーベルの両腕から、瞬時に力が抜けた。
目を見開いたまま膝が崩れ、床へ倒れ込む。
解放されたニンザは机へ手をつき、激しく咳き込んだ。
アスイズミと二人の巡察官がナーベルを押さえ、両手へ手錠をかける。
「連れていけ」
呼吸を整えながら、ニンザが命じた。
気を失ったナーベルは三人の巡察官に抱えられ、部屋の外へ運び出されていく。
廊下の向こうへ、手錠の擦れる音が消えていった。
「助かりましたぁ」
ニンザは赤くなった首を撫でた。
「やはり、お医者様は人体にお詳しい」
「人間の身体を治すには、どこを壊せば動かなくなるのかも知っておく必要がある」
アウグストゥスは、何でもないことのように答えた。
「命に別状はありません。しばらくすれば目を覚ますでしょう」
「そうですかぁ」
ニンザが笑う。
昨日から変わらない、人を食った笑みだった。
しかし、その目はアウグストゥスの顔ではなく、今しがたナーベルを倒した右手を見ていた。
「護衛をお願いして、正解でした」
「最初から、こうなる可能性を考えていたのですかな?」
「いやいやいやいや。まさかぁ」
明らかな嘘だった。
アウグストゥスは追及せず、床に転がった灰皿へ視線を落とす。
「これで事件は解決ですな」
「ええ。ナーベル・タカタの事件は、ですが」
ニンザの言葉に、アウグストゥスが目を向けた。
二人の視線が交わる。
ニンザは笑っている。
アウグストゥスも、穏やかな老紳士の笑みを返した。
どちらも、それ以上は何も言わなかった。
手錠の音が廊下の奥へ消えた後も、ニンザの目はアウグストゥスの右手から離れなかった。
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