マムシのニンザ
翌日の昼。
アウグストゥスは、寝室に響いた抑揚のない声で目を覚ました。
「旦那様、ニンザ様が逮捕状を携え、お見えになっております」
瞼を開けると、寝台の横にアエーシュモーが立っていた。
いつ入ってきたのかは分からない。
「年貢の納め時でございます。御覚悟ください」
軽く眠気の残った頭でも、後半がアエーシュモーの創作であることはすぐに分かった。
「ニンザが来ているなら、それだけを言え。余計な思いつきを事実に混ぜるな」
「承知いたしました」
アエーシュモーは見事な姿勢で礼を取ると、そのまま寝室を出ていった。
アウグストゥスは上体を起こし、眉間を指で揉んだ。
アエーシュモーはともかく、ニンザが来た。
厄介事以外のものを持ってくる男ではない。
放置すれば勝手に室内を調べ始めかねないため、身支度を済ませ、スイートルームの居間へ向かった。
ニンザは窓辺に立ち、コーヒーを飲みながら港を眺めていた。
ホテルは丘の上に建っており、五階の窓からは帆船の並ぶ港と、その向こうの海まで見渡せる。
「ご機嫌はいかがですかな、上級捜査官殿」
窓硝子に映ったアウグストゥスの姿を認め、ニンザが口元を緩めた。
「ええ、実に良いですよぉ」
振り返り、手にしたカップを持ち上げる。
「いやいやいやいや。わたくし、薄給なもので、スイートルームというものに縁がなくてですねぇ。景色も家具も、昨日の事件現場とは比べものにならない」
「同じホテルですがな」
「死体が落ちた部屋と、可愛らしいお嬢様が泊まる部屋では、見え方も変わりますよぉ」
ニンザの視線が、室内の調度品からアウグストゥスの衣服へ移る。
「さぞや、アウグストゥスさんはお金をお持ちなのでしょうねぇ。失礼ですが、ご職業は?」
「それは、昨日のうちに聞くべきことでは?」
質問には答えず、質問で返す。
相手の調子に合わせれば、どこまで踏み込まれるか分からない。
ニンザはアウグストゥスの警戒を感じ取ったらしく、一度カップへ口をつけた。
「いやいや。昨日は事件がありましたから、すっかり聞きそびれましてねぇ。そもそも、ゆっくりお話しする時間もありませんでしたし」
一度引いた。
そう見せて、すぐに戻ってくる。
「それで、ご職業は?」
心理的な境界を行き来しながら、反応を測っている。
職業そのものが知りたいわけではない。何を尋ねれば拒み、何なら素直に答えるのか。答えるまでの間、声、視線、指の動きがどう変わるのか。
アウグストゥスという人間の輪郭を、細かな質問で削り出そうとしている。
下手にはぐらかせば、余計な関心を抱かせるだけだ。
「医者です」
アウグストゥスは、ニンザの向かいへ腰を下ろした。
「定住はせず、旅をしながら患者を診ています」
「ほう。お医者様」
ニンザは目を細めた。
口元だけが笑っている。
「稀人の世界では尊敬される職業だと聞きますが、治療師のいるこちらでは、あまり良い顔をされないでしょう」
「よくご存じですな」
「腹を切り開いて病を治すなど、野蛮な外法だと嫌う者も多いとか」
「治癒魔法で治せるなら、腹を切り開く必要はありません。しかし、腕のいい治療師は金がかかる。治癒系統の魔法に適性がある人間も少ない」
アウグストゥスは淡々と続けた。
「その点、医術は魔法の才を必要としない。知識と技術さえ受け継げば、誰でも人を救える可能性がある。世界がその事実に気づくまで、あと何年かかるのでしょうな」
「誰でも人を救える、ですかぁ」
ニンザがカップを受け皿へ戻す。
「では、誰でも人を殺せる知識にもなる?」
アウグストゥスは答えなかった。
沈黙をどう受け取ったのか、ニンザは追及せず、いつもの笑みへ戻った。
「それで、捜査官殿。本日は何の御用ですかな?」
「ああ、そうでしたそうでした」
ニンザが膝を叩く。
「昨日の件ですが、犯人が分かりましたのでぇ、少し立ち会っていただきたいと思いまして」
「私が立ち会う理由は?」
「わたくし、腕っぷしに自信がありませんので、護衛をお願いしたいのです。はい」
嘘だ。
ニンザは自分で犯人を追い詰めるつもりでいる。
アウグストゥスを連れていく目的は、護衛ではない。犯人を前にした時、何を見るか。どこまで推理できるか。必要となれば、どう動くか。
昨日の観察を、今日も続けるつもりなのだ。
「拒否した場合、私はどうなるのでしょうね?」
「何も起こりませんよぉ」
ニンザはアウグストゥスの目を正面から見つめた。
「ただ後日、わたくしがもう一度こちらへ伺い、今より長くお話をすることになるでしょうが」
「交渉がお上手ですな」
アウグストゥスは溜息をついた。
「同行しましょう」
「ありがとうございますぅ」
ニンザは、最初から断られないと知っていた顔で立ち上がった。
◇
案内されたのは、昨日封鎖された最上階の仕事部屋だった。
扉の前には二人の巡察官が立ち、出入りを監視している。
室内にはナーベル・タカタと、エー・アスイズミ巡察官が待たされていた。
「ニンザ捜査官、何の用かね?」
ナーベルはニンザの姿を見るなり、苛立ちを隠さずに言った。
昨日より顔色が悪い。
眠れなかったのだろう。目の下が黒く、頬には青い髭が残っている。
「失礼、オーナー。昨日の件で、もう少しお尋ねしたいことがありましてぇ」
「早くしたまえ。私には仕事が残っているんだ」
「では、時間を無駄にしないため、率直に申し上げます」
ニンザの笑みが薄くなる。
「ナーベル・タカタさん。貴方がアレン・グラフナーさんを殺しましたねぇ」
部屋から音が消えた。
ナーベルの瞳が開き、口だけが何度か動く。
「な……何を馬鹿な!」
遅れて声が出た。
「アレンは俺の親友だぞ。なぜ俺が殺さなければならない!」
両手を広げて否定するが、足は半歩後ろへ下がっていた。
「いいえ、ナーベル・タカタさん。貴方が犯人です」
ニンザは声を荒らげない。
淡々と、確認済みの事実を並べ始める。
「昨日、貴方の賭け仲間へ話を聞いて回りました。最近、アレンさんとのポーカーで大負けしたそうですねぇ」
ナーベルの頬が引きつる。
「しかも、皆の前でホテルの所有権を担保にして勝負を続け、さらに負けた」
「それだけで、人を殺したと言うのか!」
「まだ続きがありますよぉ」
ニンザは人差し指を一本立てた。
「アレンさんは、ホテルを手に入れたことを周囲へ吹聴していた。貴方を親の財産だけで生きてきた苦労知らずと嫌い、ホテルを奪えたことを大層喜んでいたそうです」
「アレンが何を言っていたかなど、俺には関係ない!」
「そうでしょうかぁ」
「そうだ! 昨日、アレンは賭けをなかったことにしてくれた。ホテルも返すと言ったんだ!」
ニンザの口元が持ち上がった。
ナーベル自身が、最も触れられたくない話へ踏み込んだ。
「それは不自然ですねぇ」
「何がだ!」
「アレンさんは、貴方のことを以前から嫌っていた。念願だったホテルまで手に入れた。それを、話し合いだけで返すでしょうか」
「返したんだ!」
「あの場にいなかったお前に、何が分かる!」
「ええ。わたくしは、その場にいませんでした」
ニンザは素直に認めた。
「もっと言えば、この部屋にいたのは、貴方とアレンさんだけです」
ニンザの瞳が、獲物を見据えた蛇のように鈍く光った。
ナーベルの喉が鳴った。




