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異世界倒叙サスペンス~サイコパス男爵とシリアルキラー令嬢~  作者: 諏訪 富二一(ふじいち)
2部

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ニンザの話術

港から吹き込む風が、割れた窓を低く鳴らしていた。


稀人の世界でいうイギリスという国のヴィクトリア朝に近い発展を遂げた時代。蒸気機関と魔法技術が並び立つ港町ルシュファリアで、その部屋だけが文明から置き去りにされた処刑場じみた空気を纏っている。


ホテル・ルシュファリアの最上階。


本来は最高級のスイートルームとして使われるはずだった一室を、所有者のナーベル・タカタが自らの仕事部屋に改装していた。


高価な絵画。


大振りの振り子時計。


鹿の首の剥製。


持ち主の虚栄心を隠す気もなく並べられた豪華な調度品の中で、割れた窓だけが醜く口を開けている。


その窓辺に、二人の男が立っていた。


一人はルシュファリア治安局第一課の上級捜査官、ニンザ・フルハタ。


もう一人は、アウグストゥス・オクタヴィアヌスと名乗る老紳士。


眼下では、白い布を被せられたアレン・グラフナーの死体が、石畳の上に横たわっていた。


「それでぇ、アウグストゥスさん」


ニンザは現場に似つかわしくない笑顔を浮かべている。


「この状況。ここで何があったとお考えですか?」


アウグストゥスは割れた窓から室内へ目を移した。


「さて。事件と言いたいところですが、部屋に争った跡が見当たらない。事故の可能性も捨てきれませんな」


嘘だった。


アレンはこの部屋で殺された。


すでにアウグストゥスは、ほぼそう判断している。


そしてニンザも、今の答えが嘘だと気づいていた。


「んふっ。なるほどなるほど」


それでも指摘しない。


互いに相手の腹を探りながら、事件の表面だけを撫でている。


二人の会話の意味を理解できていないのは、部屋の持ち主だけだった。


「ええ、私も事故だと思います」


ナーベルは待っていましたとばかりに口を挟んだ。


「ここはホテルの最上階ですよ。大勢の人間が出入りする場所です。人に見つかる危険を冒して、わざわざこんなところまで殺しに来る者がいるでしょうか」


「んんんんん。確かに」


ニンザは眉間を人差し指で軽く叩いた。


「殺すためだけに最上階まで足を運ぶくらいなら、自分の部屋へ呼びつけた方が簡単です。人目も減る。死体を運ぶ手間も省ける」


ナーベルの胸が一度、大きく上下した。


アレンは、ナーベルに呼び出されてこの部屋へ来た。


ニンザは偶然を口にしているのか。


それとも、分かっていて言っているのか。


ナーベルが判断する前に、ニンザは机へ向かった。


重厚な木製机の上には、分厚いクリスタルガラスの灰皿が置かれている。


綺麗すぎる灰皿だった。


煙草の灰も、吸い殻もない。水拭きした跡が縁に薄く残っている。


ニンザが顔を近づけた。


「おやおやおや。オーナーは煙草を吸われるのですか?」


ナーベルの肩がまた動く。


「そ、そうだ。それが何だ」


「いえいえ。そう警戒なさらず。わたくしも昔は吸っていましたから、煙草を欲しがる人の気持ちはよく分かります。はい」


ニンザは灰皿を持ち上げず、表面を覗き込んだ。


「ただぁ……随分と綺麗ですねぇ」


部屋の空気が一段、冷えた。


「失礼ですが、一日に何本ほど吸われます?」


「なぜ、そんなことを聞く」


「気になっただけですよぉ」


「この事件と何の関係がある」


ニンザの笑みが深くなる。


「んんー。事故かもしれませんよぉ。まだ事件と呼べるほど、証拠が集まっていません。どうぞ、ご安心ください」


ご安心ください。


その言葉を聞いて、ナーベルの呼吸が僅かに緩んだ。


アウグストゥスは黙ったまま、二人を観察する。


ニンザは先に相手を緊張させた。


追及されると思わせ、身体を強張らせる。


その直後に「疑っていない」と逃げ道を見せ、張り詰めた警戒を緩ませる。警戒と安心を交互に操り、ナーベルから冷静な判断力を奪っていた。


巧い。


質問そのものより、質問の前後で相手の呼吸を操っている。


「それで、オーナー。一日に何本ほど?」


「一箱だ」


ナーベルは早口で答えた。


「多い時でも一箱を少し超える程度だ。それがどうした」


「なるほど。正直にお答えいただき、ありがとうございます」


ニンザは満足した顔で頷いた。


その表情を見て、ナーベルも自分の答えが正しかったと思った。


「では、もう一つ。毎日一箱近く吸われる方の灰皿に、灰も吸い殻も残っていないのはなぜでしょう?」


ナーベルの口が開いた。


声が出ない。


「お……それは……」


視線が灰皿へ落ちる。


そこから机。


床。


扉。


答えを探す目が、部屋中を逃げ回る。


「そうだ。最近、体調が悪かったので煙草を減らしていたんだ」


「減煙を?」


「ああ。今朝もほとんど吸っていない。こんな事故が起きて動揺していたから、すぐに思い出せなかった」


ニンザは笑顔を崩さない。


「事件かもしれませんよぉ」


「何?」


「事故と決めるには、まだ証拠が足りませんので。はい」


先ほどとは逆だった。


事故かもしれない。


事件かもしれない。


ナーベルが安心できる方へ逃げるたび、ニンザは反対側から道を塞ぐ。


「さっきから事故だの事件だの、いったいどちらなんだ!」


ナーベルの声が荒れた。


「私をからかっているのか!」


ニンザは怒声を正面から受けても、眉一つ動かさなかった。


「それを調べるために、私はここにいるのです」


そう答えながら、ニンザの目はアウグストゥスを見ている。


今のやり取りをどう評価したか。


どこまで自分の意図を読んだか。


ナーベルを追い詰めながら、同時にアウグストゥスも調べていた。


「腹を立てるお気持ちは分かりますが、オーナー」


アウグストゥスが口を挟んだ。


「捜査官殿の質問には素直に答えた方がよろしい。余計なことを口にすると、犯人だと疑われかねませんよ」


犯人。


その言葉に、ナーベルの顔が強張った。


「た、煙草の吸い殻がないのは、メイドが片づけたからだろう!」


減煙していた、という説明が一瞬で消えた。


アウグストゥスは、杖の柄を指で撫でる。


自分で矛盾を増やしていることに、この男は気づいていない。


「後のことは知らん。とにかく早く捜査を終わらせてくれ」


「おやおや。ご友人が亡くなられたというのに、随分とお急ぎになる」


「アンタが訳の分からんことばかり聞くからだ!」


ナーベルは机を叩いた。


灰皿が小さく跳ねる。


その音に、本人だけが怯えた。


「聞きたいことがないなら、今日はもう帰ってくれ。私にも仕事がある!」


「いいえ。まだありますよぉ」


ニンザは、机を叩いた手ではなく、跳ねた灰皿を見ていた。


「亡くなられたご友人……ええと、お名前は?」


「アレンだ。アレン・グラフナー」


「そうそう。アレン・グラフナーさんとは、どのようなご用件でお会いになっていたのですか?」


「それは下の巡察官に話した」


「ええ、伺っています。ですが、わたくしはその場にいませんでしたのでぇ」


ニンザは軽く首を傾げる。


「同じ話を、もう一度お願いいたします」


同じ話を繰り返させる。


事実なら大筋は変わらない。


嘘なら、細部が少しずつずれる。


ナーベルは舌打ちを飲み込んだ。


「街の今後についてだ」


「街の?」


「このホテルを見れば分かるだろう。今やホテル・ルシュファリアは、街の顔だ」


胸を張り、壁の絵画や調度品を見回す。


「そんなホテルが、私利私欲だけで繁栄を追いかけていてはいけない。もっと街のために役立つ経営をするべきだ。そういう話を、アレンとしていた」


「アレンさんは、何と?」


「自分にできることがあれば言ってくれ。何でも協力する、と」


ナーベルは急に顔を伏せた。


胸元からハンカチを取り出し、目頭へ押しつける。


先ほどと同じ涙だった。


悲しみに身体が追いついていない。


ニンザはそれを見つめた後、声だけを柔らかくした。


「大切なご友人を亡くされたこと、心よりお悔やみ申し上げます」


「……ありがとう」


二人は、友人を失った男と、それを気遣う捜査官の芝居を続けている。


アウグストゥスは小さく息を吐いた。


話が長い。


ニンザがナーベルへ嘘を喋らせ続けている意図は分かる。矛盾が積み上がるのを待っているのだろう。


だが、ルーシュを階下に待たせたまま、この茶番に付き合う気はなかった。


「捜査官殿」


アウグストゥスは割れた窓の下部を指した。


「ここを見ていただきたい」


ニンザが近づく。


窓枠には割れずに残った硝子があり、その表面に細長い傷が走っていた。


亀裂ではない。


硬い物が強く擦れ、硝子の表面を削った跡だった。


「おやぁ。これは何でしょうねぇ」


ニンザは初めて見つけた顔をした。


だが、アウグストゥスには分かっている。


この男は、最初に窓辺へ立った時点で気づいていた。


あえて口にしなかった。


アウグストゥスがどこまで観察しているか、試すために残していたのだ。


「硝子が割れたんだ。傷くらいつくだろう」


ナーベルが横から言った。


「珍しいものでも何でもない」


「いいえ。割れた時に生じる亀裂とは違いますねぇ」


ニンザは傷へ顔を近づける。


「何か硬い物が当たり、硝子の表面だけを削っている。窓が割れた原因とは、別に考えた方がよさそうです」


そう言いながら、ナーベルの目を見た。


見つめるというより、逃げ道を塞ぐ視線だった。


ナーベルは耐えきれず、先に顔を逸らした。


「落ちる時に、アレンの腕時計か何かが当たったんだろう」


「なるほど」


「そんな傷一つが、事件の証拠になるとは思えん」


「ええ。わたくしもそう思います」


ニンザはあっさり同意した。


また嘘だ。


腕時計が当たったなら、傷の高さや角度は死体の姿勢と一致するはずだ。傷に付着物が残っていれば、何が擦れたかも絞れる。


だが、今は言わない。


ナーベルに「言い逃れられた」と思わせた方が、次の嘘を引き出しやすい。


ニンザはもう一度、部屋全体を見回した。


鹿の剥製に残る赤い染み。


不自然に拭かれた壁。


綺麗すぎる灰皿。


窓硝子の傷。


そして、質問するたび説明を変える部屋の持ち主。


「よろしいでしょう」


ニンザが手袋の指先を整えた。


「本日は、ここまでにします」


「ここまで?」


ナーベルが目を見開く。


「もう遅いですからねぇ。また明日、捜査にご協力ください」


ニンザは二人へ笑顔を向けた。


「後ろめたいことがあるお二人には、嬉しいお知らせでしょう。はい、解散ですぅ」


「何を馬鹿な!」


ナーベルは顔を赤くした。


「私にやましいことなどない! これ以上、失礼な発言をするなら、君の上司へ直接苦情を入れるぞ!」


「まあ、落ち着いてください、オーナー」


アウグストゥスは軽く手を上げた。


「今のは捜査官殿なりのユーモアでしょう。面白いかどうかは別として」


ニンザが、んふっ、と喉を鳴らした。


「それはそうと、私は階下に連れを待たせていますので、これで失礼します」


アウグストゥスが扉へ向かう。


その背中へ、ニンザが声を投げた。


「そうそう。この部屋は現場保全のため、しばらく出入り禁止にします」


足音が止まる。


「何か忘れ物があるなら、今のうちに確認してくださいねぇ」


アウグストゥスは肩越しにニンザを見た。


「それは、オーナーへ言った方がよろしいですな」


片手だけを上げ、振り返らずに部屋を出ていった。


廊下へ消えるまで、ニンザはその後ろ姿を見続けていた。


まるで、この部屋に残された証拠よりも、あの老紳士の方が危険だと確信したように。


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