第八話
手が震えているのが、自分でもわかった。
斧を握る掌が汗で滑り、呼吸も浅い。
軍の人たちも、残り五人の敵と虫への対応で手一杯だった。炎が上がり、銃声が響き、巨大虫の羽音が空気を震わせる。こちらへ助けに来る余裕があるとは思えない。
そんな俺の背中へ、ふいに温かな手が触れる。
「逃げろ、天斗」
爺ちゃんの声だった。
「何とかこいつは食い止める。その間に逃げてくれ。さっきは引き留めて悪かったな」
その言葉に、思わず顔を上げる。
爺ちゃんの目は、俺じゃなく相手だけを見ていた。さっき爺ちゃんを傷つけた刃が地面へ突き刺さっている。カタカタ、と不気味に震えたかと思えば、ひとりでに地面から抜け、音もなく相手の元へ戻っていった。
意味がわからない。
武器が勝手に飛ぶなんて、そんなの聞いたこともない。
爺ちゃんが鎌を握り直すも、その腕からは血が滴り落ち、土へ赤黒い染みを作っていた。
こんなの、勝てるわけがない。
そもそも戦い方が違う。虫相手ならまだわかる。動きも、狙うべき場所も。
でも、コイツらは違う。
人間なのに、俺の知っている、人間の戦い方じゃない。
(刃物が空を飛ぶって意味わかんねーよ……!)
喉がひりつく。
(何なんだよ、マジで……!)
刃物が再び飛ぶ。銀色の軌跡が空気を裂き、爺ちゃんへ襲いかかった。
爺ちゃんは鎌を振るい、それを正面から捌く。ギィン! と耳障りな金属音が響き、弾かれた刃が空中で火花を散らした。
だが、敵の攻撃は終わらない。もう一本の刃が、横から俺へ飛んでくる。
「っ!」
反射的に周囲を見回し、地面へ倒れていた巨大バッタの頭を掴む。そのまま盾みたいに持ち上げた瞬間、銀の刃が突き刺さった。
ぐしゃり、と嫌な音が鳴る。
バッタの頭が大きく裂け、黒い体液が飛び散った。
「ほう」
感心したみたいな声が相手から漏れるも、俺は息を荒げながら、ちらりと母屋の方向へ視線を向けた。
あそこにはシェルターがある。
今からでも飛び込めば――。そう考えた瞬間、胸の奥が強く冷えた。
俺は足元へ転がっていたフロートボードを足で引き寄せる。
そして、スイッチを強く踏み込めば、ゴウッ! と風が巻き起こる。
ボードはそのまま、一直線に敵へ突っ込んでいった。
「ぐっ」
突然飛んできたボードに、敵はわずかに目を見開いた。すぐ横へ跳んで回避するその動きは速い。けれど、さっきみたいな“消えた”と思うほどの速度じゃなかった。
(毎回あの速さを出せるわけじゃない……!)
その一瞬の隙へ、俺は地面を蹴った。
斧を握ったまま跳躍する。同時に、もう一本の剣がこちらへ飛んできた。銀の刃が真っ直ぐ喉を狙っている。
「っ!」
避けきれない。
そう思った瞬間、刃の軌道がわずかにぶれた。急いで俺へ向け直したせいだろう。剣は腕を掠め、そのまま後ろへ抜けていく。
熱い痛みが走った。
血が、ぽたり、と斧の刃へ落ちる。
でも、止まれない。止まったら、きっと殺される。
全身の力を腕へ込める。体の力を全て斧に乗せるかのように。ブンっと振り下ろす瞬間、斧に光が走ったように見えた。
「っ!!」
いつもより、斧が重い。
まるで鉄の塊を振ってるみたいに腕へ重さが食い込む。風を切り裂くように斧を振るも、敵は咄嗟に身体をひねって地面を転がる。
次の瞬間、凄まじい音が響く。
振り下ろした斧が地面へ叩き込まれ、土と岩が爆ぜた。地面が大きく抉れ、割れた地面から飛び散った岩を、敵は片手で顔を庇いながら避けていく。
呼吸が荒く、心臓もうるさい。
振り下ろした斧が、異様だった。
いつもより重く、大きい。
まるで手の中で、別の武器になったかのような感覚だった。
(何だこれ……)
気のせいだろうか。
でも、そんなことを考えている余裕はなかった。
いま、俺がシェルターへ逃げたら。もし、シェルターの位置がバレたら、母さんと実里にも危険が行く。
それだけは駄目だ。
俺は二人を絶対に危険へ晒したくない。
「っ!」
敵が体を起こし此方を向く。
俺は構わず、地面へめり込んだ斧を力任せに引き抜いた。砕けた土と石が跳ね飛ぶ。その勢いのまま、相手の胴を狙って横薙ぎに振るう。
敵は咄嗟に後方へ飛んだ。完全には避けきれない。刃先が腕を浅く裂き、その瞬間、目の前へ血が飛ぶ。
赤だった。
黒い体液じゃない。
虫の汁じゃない。
(あっ……)
頭の中が、一瞬だけ真っ白になる。
虫とは違う。これ、人間の血だ。
その事実を理解した瞬間、全身の血の気が引いた。
俺は今、人を殺そうとしているのか。
虫じゃない。同じ人間を。
呼吸が止まりそうになる。斧を握った手が急激に震え、視界がぐらりと揺れた。
その一瞬の硬直へ、爺ちゃんの怒号が叩きつけられる。
「天斗! 考えるな!!」
同時に、爺ちゃんの振り下ろした鎌が敵の背後へ迫った。だが、敵は振り返りもしない。
宙に浮いていた剣の一本が滑り込むように動き、鎌を受け流す。甲高い金属音が響き、軌道を逸らされた鎌が空を切った。
その直後、もう一本の剣が一直線に俺へ飛んでくる。
「っ!」
慌てて斧を振り上げる。ギィン!! と衝撃が腕へ突き抜けた。だが、防いだ瞬間にはもう遅く、敵は新たに自分の手へ剣を握っていた。
浮いていた剣じゃない。今度は、自分の腕で振るうための剣。
黒い装束が翻り、その刃が爺ちゃんの胴体へと向かって振り抜かれる。
「爺ちゃん!!」
避けきれない。
赤い線が、爺ちゃんの身体へと走った。
血が飛ぶ。赤い赤い血が。
その瞬間、頭の中で何かが切れた。
俺は自分へ飛んできた剣を無理やり斧で弾き飛ばし、地面に落ちた剣へと斧を叩きつけへし折った。そして、そのまま敵の懐へ踏み込む。
「ぁああ!!」
全身の力を込めて、相手を蹴り飛ばした。
敵の体が宙へ浮く。思っていた以上に軽く、吹き飛ぶように距離が開いた。
それに構うことなく、俺は地面を蹴り、宙へと飛びあがる。
斧を握りしめたまま振り上げると、敵の黄金色の瞳が、徐々に見開かれていく。
次の瞬間、俺はブンッと空気を裂く音とともに、相手の胴を目がけて斧を振り下ろした。
「落ちろ」
自然と言葉が口から零れる。
その瞬間、斧がさらに重さを増した。腕が引っ張られる。
まるで地面そのものが、斧を下へ叩き落とそうとしているみたいに。
敵は咄嗟に防御しようと腕を上げ、剣を体の前に構える。
だが、間に合わない。
斧が防具ごと身体へめり込んだ。
メキメキ、と嫌な音が鳴り、銀色の装甲が砕け、割れ、潰れる。
そのまま俺は、相手の身体ごと地面へ斧を振り抜いた。
轟音と共に地面が抉れる。
砕けた土と石が吹き飛び、その中心で、防具の割れた男が倒れていた。
腹の辺りから、赤い血がドクドクと流れ出している。
「……赤」
思わず声が漏れる。
虫じゃない。俺はいま、『人』を斬った。
その事実を理解した瞬間、全身から一気に力が抜けていく。
ドクドクとうるさかった心臓の音が、逆に遠ざかるみたいだった。
握っていた斧が異様に重い。
呼吸もうまくできない。
視界がぐらりと揺れる。
「天斗!」
爺ちゃんの叫び声が聞こえた気がした。




