第七話
玄関に置いてあったフロートボードを掴み、そのまま前へ放り投げると、反発鉱石入りのボードは地面へ落ちる寸前でぴたりと静止した。
そこへ飛び乗り、足元のスイッチを強く踏み込む。
ゴウッ――と風が唸った。
一瞬で景色が後ろへ流れていく。家も畑も、見慣れた道も、全部まとめて置き去りにするような速度だった。
東の森側を見ると、何本もの炎の柱が空へ上がっている。
軍の虫駆除用兵器だ。
炎が広がるたび、小型の虫が黒い影になって地面へ落ちていく。だが、大型の虫は違った。炎の隙間を強引に突っ切り、そのまま前線を越えて飛び出してきている。
耳障りな羽音が、風に混じってここまで届いていた。
嫌な音だ。
そう思いながら視線を彷徨わせ、畑へ近づくと、見慣れた背中が視界に入る。
体重移動でボードの向きを変え、そのまま一直線にそちらへ滑り込んだ。
「爺ちゃん!」
呼びかけても、爺ちゃんは振り返らない。
鎌状の武器を振るい、軍の防衛ラインを抜けてきた大型の虫を次々と叩き落としていた。
鈍い音と共に、巨大なバッタの脚が宙を舞う。
その動きは年寄りのものとは思えない。長年、虫を狩り続けてきた人間の動きだ。
遠くには、昨日見た御影さんの姿もあった。
長い包丁みたいな武器を振るうたび、飛び込んできた虫の身体がまとめて斬り落とされていく。その動きは無駄がなく、巨大な虫相手だというのに妙に静かだった。
ほかにも鉄砲みたいな武器で応戦している軍人たちがいるが、飛び回る相手に狙いを定めきれず苦戦している。
昨日見た横山とかいうチャラそうな雰囲気の隊員もいた。両手に剣を握り、一体ずつ。しかし確実に仕留めていく。
その横では大型トラックが移動し、電撃ネットの展開準備も進められていた。
巨大なバレーネットみたいな網へ高圧電流を流し、触れた虫をまとめて焼き落とす兵器だ。
炎型の武器は森まで焼く危険があるせいで広範囲には使えない。だが、あれならもっと広い範囲をまとめて止められる。
(週末に向けて準備してたんだろうな……)
そんなことを考えながら、俺は爺ちゃんの前でボードを止めた。
その瞬間。
ブゥン――! と耳障りな羽音が迫る。
反射的に振り向けば、大型のカナブンがこちらへ突っ込んできていた。
「うおっ!」
咄嗟に手にしていた斧を振るう。
ガギンッ――! と硬い感触が腕に響くも、カナブンの身体が真っ二つに裂けて地面へ落ちた。
いつもの斧より重い。
けれど、そのぶん切れ味も威力も段違いだった。
黒い体液を振り払いながら、俺は爺ちゃんへ斧を掲げる。
「爺ちゃん! 斧持って来たけど!」
そう言うと、爺ちゃんは飛び込んできた大型のバッタを鎌で叩き斬り、そのままこちらを一瞥した。
「お前が使え」
「いや、俺これ渡したらシェルター行くけど」
「何言っとる! 軍の取りこぼしが多い! お前もこっちへ来たやつを駆除しろ!」
怒鳴る爺ちゃんに、俺は無理やり斧を押し付けようとする。
「後で母ちゃんにめっちゃ怒られそうだからヤダ」
だが、爺ちゃんは顔を背けて受け取らない。何むきになってんだこのじじい。
思わず眦を吊り上げるが、爺ちゃんは気にも留めず、また防衛ラインを抜けてきたバッタへ向き直った。
鎌を低く構える。
次の瞬間、巨大バッタが跳躍のために身体を浮かせた。爺ちゃんはその下へ潜り込む。銀色の刃が横薙ぎに走り、バッタの脚が吹き飛んだ。
着地姿勢を崩したところへ、追撃みたいに鎌が振り下ろされ、真っ二つに割れた胴体から体液が土へと飛び散った。
「だから! いつもと違う武器だとやりづらそうじゃん! これ使いなって!」
叫ぶ俺に、爺ちゃんはようやく口を開いた。
「今回は虫だけじゃない。何かいる」
その声は、さっきまでとは少し違っていた。爺ちゃんの目が、まっすぐ東の森を睨んでいる。
「はぁ? 何? さっきの爆発音のこと?」
そう言いながら、地面から飛び出してきたミミズへ反射的に斧を振るう。
ぶつん、と手応えが返った。
「あー! ミミズ切っちまった。もったいねぇ! そこまでデカくなかったのに!」
そんなことを言い合っていると――
森の奥から、メキメキ、と嫌な音が響いた。
木を無理やり薙ぎ倒しながら、何か巨大なものが近づいてくる音。
しかも、その音はどんどんこちらへ近づいてきていた。
「何? 何の音?」
俺だけじゃない。前線にいた軍人たちも、一斉に森の方へ視線を向ける。
次の瞬間。
森を突き破るようにして、“それ”が姿を現した。
丸い鉄の塊が、地面をえぐりながら滑るように進み、後方からは炎みたいなものを吹き出している。
森の奥から現れたそれを見た瞬間、その場にいた全員の動きが止まる。
虫ですら、一瞬だけ羽音を止めた気がした。
それは、ガタガタと機体を揺らし、制御を失っているみたいに木々へぶつかりながら突っ込んでくる。
「退避ー!!」
御影さんの怒号が辺りに響きわたり、軍人たちが一斉にその場から飛び退く。
その直後、丸い鉄の塊は軍の大型トラックへ激突した。凄まじい音が響き、金属同士がぶつかって火花が散る。
ようやく止まったそれは、どう見てもこの島の乗り物じゃなかった。
表面は煤けた黒鉄色。ところどころが歪み、後方からは炎と煙を噴き出している。
見たことがない。本当に、一度も。
煙が機体らしきものから立ち上っていく。
「なんだよ……アレ」
呆然と呟けば、隣で爺ちゃんが低く答えた。
「……わからん。だが、この島のものではない」
その言葉に、ぞわりと背筋が粟立つ。
この島のものじゃない。
じゃあ、どこのものだ。
頭の中で、その答えがゆっくり形になっていく。
(ほかの島……?)
浮遊島は空にいくつも見えている。でも、誰も渡れない。
だからずっと、半分はおとぎ話みたいなものだった。
『ほかの島には怖い鬼が住んでいて、悪い子は連れ去られてしまうよ』
そんなおとぎ話のような言葉を、ずっと大人たちから聞かされてきた。
子供向けの脅し文句だと思っていた。
けれど今、目の前には確かに“この島じゃない何か”が存在している。
煙を上げる機体の側面が、ガコン、と鈍い音を立てる。ゆっくりと開いた扉らしき部分から、次の瞬間、複数の刃物が浮かび上がった。
ナイフみたいな細い刃だった。
誰かが握っているわけじゃない。銀色の刃が宙へ浮いたまま、生き物みたいに機体の周囲を巡っている。
そして、それらが突然弾かれたような速度で飛んだ。銀色の軌跡が空気を裂き、近くにいた軍人たちへ向かって一直線に。
「防壁を構えろ! 距離を取れ! 明確に敵意を確認! 直ちに駆除対象に指定する! 生死は問わない! 絶対この場から進ませるな!」
飛んできた刃の一本を、持っていた剣で叩き落しながら御影さんが怒号を響かせる。
しかし、叩き落したはずの刃は再び浮かび上がり、御影さんの背後をめがけて飛んでいく。
それを横山という隊員が寸でのところで盾を構えて防いだ。
「了解!」
軍人たちも即座に動いた。金属製の防壁を展開しながら後退し、一斉に銃口を機体へ向ける。怒号、羽音、銃声が入り混じり、さっきまで虫だけだった戦場の空気が一瞬で変わった。
気が付けば、俺の足は自然と後ろへ下がっていく。
わけがわからない。
虫災害だけでも十分異常なのに、その真ん中へ突然“知らないもの”が現れた。
「爺ちゃん、シェルターに行こう」
思わずそう言えば、爺ちゃんは森の方を睨んだまま吐き捨てる。
「お前は行け! 儂は残る」
その一言に、カッと頭へ血が上った。
「ふざけんなよ!」
そう叫ぶも、その間にも、丸い機体の中から何かが姿を現す。
最初に見えたのは白い手だった。
そして、現れたのは――人だった。俺たちと同じ、二本足で立つ人間。
けれど、そいつはこの島の誰とも違っていた。
肌が異様なほど白い。まるで長い間、陽の下へ出たことがないみたいに。
銀糸みたいな髪が風に揺れ、その周囲にはさっきの刃が浮かんでいる。
黒を基調とした細身の服を身に纏い、ところどころには銀色の装甲みたいな部品が取り付けられていて、陽の光を受けるたび冷たい光を返していた。
さっき飛んでいった刃が、音もなくそいつの周囲へ戻ってくる。
そして、そいつが片手を振り上げた瞬間、銀色の刃が再び軍人たちへ向かって放たれた。
「散開!」
その言葉に合わせて陣形を変え、軍人たちも負けじと銃を撃ち返すが、明らかに動揺しているのが伝わって来た。
当たり前だ。
虫相手の武器しか知らない俺たちの前に、突然“人間相手に殺すための武器”が現れたんだから。空中を滑る刃は、虫みたいな単純な動きじゃない。
確実に人を狙って動いている。
恐怖に、背筋が粟立った。
「爺ちゃん! あれは虫じゃない! 俺たちができることなんてない! たまには素直に言うこと聞いてくれよ!」
叫ぶと同時に、爺ちゃんががしりと俺の肩を掴んだ。
「アレは虫じゃない。だからこそ、シェルターを見逃してくれる保証がどこにある」
爺ちゃんの手に力がこもる。
「お前は今すぐシェルターへ行け、天斗。そして可能なら、今すぐ二人を連れて遠くへ逃げろ」
その目は、今まで見たことがないくらい真剣だった。
思わず唾を飲み込むも、頭が追いつかない。
さっきまで俺たちは、虫災害の対処をしていたはずだ。
なのに今、目の前には“知らない人間”がいる。見たことのない武器に、見たことのない機体。
(一体、何が起きてるんだよ――)
そんなふうに思考を巡らせても、状況は待ってくれなかった。
ブゥン! と耳障りな羽音が近づく。大型のバッタだ。しかも一体ではなく、複数のバッタがあの機体から逃れるようにこちらへと飛んでくる。
「っ!」
反射的に俺と爺ちゃんは武器を振るった。跳びかかってきた一体の脚を斧で叩き斬る。着地を崩したところへ、爺ちゃんの鎌が首元へ食い込んだが、また、別の一体が横から飛び込んでくる。
避けきれず肩を掠め態勢が崩れるが、そのまま無理やり斧を振り抜いた。
硬い感触が手に伝わり、黒い体液が飛び散る。
「あの機体の奴らだけでも厄介なのに……!」
息を荒げながら吐き捨てた、その時だった。
機体の中から、さらに人影が現れる。
一人。
二人。
三人。
次々と。
最初に出てきた奴を含め、全部で六人。
全員、黒い装束を身につけていた。そして、その周囲にはやはり見たことのない武器が浮かんでいる。
剣だけじゃなく、針みたいに細い刃も。
形は違うのに、どれもまるで生きているみたいに宙を巡っていた。
出てきた男たちは、周囲を確認するように首を動かし、そのうちの一人が、不意にこちらへ顔を向け――目が、合った。
次の瞬間、そいつの身体が消えたみたいに加速する。
「――っ!?」
驚くほど速く、地面を蹴ったのかすら見えなかった。
気づけば、もう目の前まで来ていた。
(早っ!)
反応するより先に、爺ちゃんが俺の前へと出る。
ギィン! と金属音が響き、爺ちゃんの鎌が、飛んできた刃を受け止めていた。
だが、そいつの武器は一本じゃない。
宙に浮いた二本の剣が、まるで意思を共有しているみたいに同時に襲いかかってくる。一方を防げば、もう一方が死角から飛ぶ。人が振るう剣とは動きがまるで違う。
次の瞬間。
空中へ血が散った。
「爺ちゃん!」
気づけば駆け出していた。一本の剣が爺ちゃんの腕を掠め、そしてもう一本が、そのまま腹へ向かって飛んでいた。
「っ!」
反射的に斧を差し込めば、ガギン!!と衝撃が腕へ突き抜けた。
重い。なのに速い。
弾き返したはずの刃が、空中で軌道を変えながら再びこちらを狙ってくる。
フーフー、と自分でもわかるくらい呼吸が荒くなる。
心臓がうるさい。
それでも、無意識に声が漏れていた。
「なんで、こんなことするんだよ!」
叫ぶ。言葉なんて通じるかわからなかった。
そもそも、相手がこちらの言葉を理解できるのかすら知らない。
けれど、漏れた叫びには、意外にも返事が返ってきた。
「私たちが生き残るためだ。ほかに理由などない」
低く、感情の薄い声だった。
戦いの最中だというのに、その目だけは妙に静かで――だからこそ怖かった。
迷いがない。
怒っているわけでもない。
楽しんでいるわけでもない。
ただ、“そうするしかない”と決め切っている目だった。
握った斧の柄が、じわりと汗で滑る。
心臓が、嫌になるくらいうるさかった。
俺はその時、生まれて初めて――震えるほどの恐怖を感じた。




