第五話
「爺ちゃーん! お客さん!」
離れの襖を勢いよく開け、中へ向かって叫ぶと、畳の上では爺ちゃんが新聞を広げていた。
老眼鏡越しにこちらを見て、ゆっくり顔を上げる。
あの後、創太を家まで送り、俺はさっきの軍人さん、御影 大地と名乗ったその人に家まで送ってもらった。
軍服の肩についた星章は、他の隊員より一段多いところを見ると、たぶん、結構偉い人だ。
俺の後ろにいた御影さんは、中庭側から離れへ軽く頭を下げた。
すると爺ちゃんは新聞を畳みながら、俺へ顎をしゃくる。
「天斗、美穂さんに言って、お茶持ってこい」
「おけー」
離れを出て母屋へ向かうと、夕方の神代家は、飯の匂いで満ちていた。
台所では母さんが晩飯の支度をしている。鍋から湯気が立ち、油の弾ける音がぱちぱち響いていた。
「おかえり。誰か来たの?」
「軍人さん。週末のこと聞きに来たって。爺ちゃんがお茶持ってこいだって」
「そう。じゃあ、そこのお客様用のコップ出して」
「んー」
棚から普段使わないガラスコップを取り出し、お盆へ並べていると、突然足へ衝撃が走った。
「うおっ!?」
慌てて足元を見下ろすと、実里がぎゅっと足へ抱きついていた。
「天兄おかえりー」
「実里ただいまー! ちょっと今グラス持ってるから離れといて」
そう言うと、実里は素直に足から離れた。
――が。今度はそのまま俺の周りをぴょこぴょこ回り始める。
「ねー! 天兄あそぼっ!」
「おー、ちょっと待ってな。これ爺ちゃんとこに持ってくから」
返事をしながら、お茶をグラスへ注いでいく。
そのついでに、母さんが揚げていた唐揚げを一つ摘まみ、そのまま口へ放り込む。
「あっ! ばかっ!」
「うわっ、あっつ……!」
揚げたてだった。
舌を火傷しそうになりながらハフハフしていると、母さんが呆れた顔でため息を吐く。
「もー、いいから早く爺ちゃんのとこ持っていきなさい」
「ふぁーい……」
口の中を冷ますように息を吐きだしながら返事をする。
「天兄、戻ってきたら遊んでね!」
「オッケー」
サンダルを引っかけ、お盆を持ったまま離れへ向かった。
母屋と離れの間にひっそりと佇む、古びた社。
神職の家系だった頃の残り香みたいなそれを横目に、敷地の奥へと進む。
ふと、流石に縁側から入るのはどうなんだろう、と思い、ポリポリと空いた手で頬を掻きながら思案したあと、念のため玄関側から離れへと入る。
玄関をくぐると、奥から話し声が聞こえてきた。
「やはり、神職の系譜の方は虫の気配に敏感なのでしょうか?」
「一概には言えんが、可能性はある」
御影さんの声と、爺ちゃんの低い声が聞こえてくる。
そのまま廊下を進み、襖を軽くノックした。
「失礼しまーす」
すらりと襖を開けると、畳の上では御影さんが爺ちゃんの正面へ正座していた。
背筋が妙に真っ直ぐだ。なんか、軍人って感じがする。
「お茶です」
二人の前へグラスを置く。
「ありがとうございます」
御影さんは丁寧に頭を下げた。
一方、爺ちゃんはさっさと茶を飲み、そのまま俺へ視線を向ける。
「天斗、お前は虫の気配感じ取るか?」
「虫の気配? 近かったら気づくけど、爺ちゃんみたいに“週末来る”とかは全然」
そう答えると、爺ちゃんは「ほらな」と言いたげな顔で御影さんを見る。
御影さんも「ふむ」と小さく頷き、考え込むように顎へ手を添えた。
……何?
俺、期待外れみたいな感じ?
そう思って爺ちゃんを見ると、向かい側の御影さんが静かに口を開いた。
「基本的に、軍へ駆除依頼が入るのは虫が出現してからです」
落ち着いた声だった。
「ただ、今回の神代さんのように、神職関係者――あるいは家系が神職だった方々からは、事前に連絡をいただくことがあります」
そこで一度言葉を切る。
「それが、軍の中でも不思議でして」
「ふーん」
頷きながら、俺は机の上に置かれていた煎餅へ手を伸ばした。
ばり、と景気のいい音が鳴る。
「秘訣があれば、ぜひ軍へ教えていただきたいのですが」
御影さんのその言葉に、爺ちゃんがちらりと俺を見る。
……だから何で俺を見るの?
首を傾げつつ、もう一口煎餅を齧る。その姿を見た爺ちゃんは小さくため息を吐き、御影さんへ視線を戻した。
「正直、心当たりはある。が、確証はない。分かったら連絡する」
「今、教えていただくことは?」
「だめだ。諦めろ」
即答だった。
御影さんは一瞬だけ黙り、それから小さく息を吐く。
わかる。
爺ちゃんって、顔からして頑固だもんな。
「わかりました」
御影さんはそれ以上追及せず、切り替えるように姿勢を正した。
「では、とりあえず週末の虫駆除についてお話を願えますか?」
「明確にいつ来るかまではわからん。ただ、東の森が随分騒がしい。時期と流れから見て、バッタの可能性が高い」
「バッタ……」
「バッタかぁー」
思わず顔をしかめる。
小さいやつなら昔よく捕まえて遊んでいた。けれど巨大化したバッタは別だ。
飛ぶし、群れる。その上、脚力が強く畑を荒らす速度がとにかく早い。
一体でも厄介なのに、集団となれば洒落にならない。
「やだなー……」
つい大きなため息が漏れる。
すると爺ちゃんがギロリとこちらを睨んだ。
「やだなーじゃないわ! お前はちゃんとこの家と畑を守れよ!」
「えー!?」
思わず声を上げる。
だが、その空気を遮るように御影さんが片手を上げた。
「神代さん、お言葉ではありますが」
落ち着いた声だった。
「彼はまだ学生です。守られるべき存在ですので、彼も避難すべきです」
はっきりと言い切る力強い言葉に、俺は思わず感動した目で御影さんを見た。
(ま、まともな大人だ……!)
だが爺ちゃんは納得しない。
ダンッ!! と机を叩いた。
「それを決めるのは儂だ! 長男には家と畑を守る義務がある!」
「彼は学生です。守るのは軍へ任せ、避難を。怪我をすれば、今後農家として働くのも辛くなるでしょう」
御影さんは静かな口調のまま、真っ直ぐそう言い切った。
その真っ当すぎる言葉に、爺ちゃんがぎり、と歯ぎしりをする。
(みっ、御影さんかっこよー!!)
俺は思わず尊敬の眼差しを向けた。
すると御影さんがちらりとこちらを見る。
「君も、大型虫を見たら無闇に飛び出さず、軍へ早急に連絡をしてください」
「はいっ!」
反射的に背筋を伸ばして返事をする。
横から爺ちゃんの視線が突き刺さってくるが、気にしない。むしろ今の俺は御影さんへの好感度が爆上がりしていた。
何となく気になり、勢いよく手を挙げる。
「はいっ! 質問です!」
突然の俺の行動に、御影さんが若干警戒した顔になる。
「……何でしょう」
「背が高いのって遺伝ですか!? 努力ですか!?」
「は?」
「俺も別に低いわけじゃないんですけど、もうちょい欲しくて! あと筋肉! 胸筋すごいですよね!? どうやって鍛えてるんですか!?」
爺ちゃんが呆れたように茶をすする。御影さんは数秒黙ったあと、真顔のまま口を開いた。
「本件に関係のない内容の質問はお控えください」
――と言われるまで、俺は延々と質問を続けた。
最終的には「牛乳はやっぱり背が伸びるのか」まで聞いた気がする。
御影さんは途中から完全に無表情になっていた。それでも律儀に何個か答えてくれたあたり、めちゃくちゃ良い人だと思う。
そして母屋へ戻った頃には、実里が頬を膨らませて待っていた。
「遅い! 遊んでもらえるの待ってたのに!」
「ごめんごめん!」
慌てて抱き上げると、実里はぷんすか怒りながらも、擽られれば、すぐ笑った。
居間には晩飯の匂いが広がっていて、テレビでは芸人が騒いでいる。
虫が出るかもしれない、なんて話をしていても、いつもと変わりのない夜だった。
この時の俺は、まだ。
それが、あんな事になるだなんて想像もしていなかった。




