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落ちたら死ぬ浮遊島で、爺ちゃんに禁忌の巨大昆虫を食わされた農家の俺は血装の斧を振るう  作者: 白波 いつき
第二章

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第三十三話

 森に入ってしばらく歩く。足元にはかつて道だったのだろう石畳の名残が続いていた。

 けれど、そのほとんどは土と落ち葉に埋もれ、ところどころ木の根に押し上げられて波打っていた。人が歩くために作られた道を、今は森の方が勝手に使っているみたいだった。


 俺たちの島の森とは、少し匂いが違う。

 湿った土の匂いは似ているのに、混ざっている草の青臭さや、木の皮の匂いがどこか濃い。長い間、人の手が入っていない場所特有の、重くて息の詰まるような空気があった。


 頭上では枝葉が重なり合い、朝の光を細かく砕いている。差し込んだ光が石畳の上にまだらに落ち、その上を小さな虫が横切っていった。巨大なニワトリを見た後だからか、普通の大きさの虫を見るだけで少しほっとする。


 その時、近くの枝からバサバサバサッと鳥が飛び立った。


 思わず見上げる。

 鳥は木々の隙間を抜け、枝に羽を引っかけることもなく軽やかに飛んでいった。大きさは、俺たちの島にいる鳥とほとんど変わらない。


「大きくない奴も、やっぱいるんすね」


 俺がそう言うと、前を歩いていた御影さんも頷いた。


「ああ、私たちの島でも、同じ種類でも大きいものと小さいものがいますし、今のところは生きている年月によってサイズが違うと言われていますね」


「こっちの虫もそうなのかな?」


 俺は足元の石畳を踏みながら、森の奥へ目を向けた。

 昨日見た巨大ニワトリの姿が頭をよぎる。あれが特別なのか、それともこの島ではあのくらいの大きさが珍しくないのか。それによって、この島の危険度は大きく変わるだろう。


「まだ、今のところ見かけたのはあの巨大なニワトリだけですね。割合的には、こちらの方が巨大化した生き物は少ないように感じます。ただ、この場所がそうなのか、島全体でそうなのかは不明です」


 御影さんの声は落ち着いている。

 けれど、その手はいつでも腰の武器へ伸ばせる位置にあった。視線も、会話をしながらずっと森の奥や足元の影を追っている。


 俺も耳へ少し意識を向けた。

 森は静かではない。鳥の鳴き声もするし、葉が擦れる音もある。どこかで小さな生き物が落ち葉を踏む音もした。けれど、夜に聞こえていたような、ぞわぞわと徘徊する無数の気配は今のところ薄い。


 それが逆に、少し不気味だった。

 明るくなったから静かなのか。

 それとも、俺たちが何かの縄張りに近づいているから、他の生き物が息を潜めているのか。


 サワサワと揺れる木々に目をやりながら、ふと後ろを振り返ると、凪が少し遅れてついてきていた。


 手には自分の身長とほとんど変わらない大身槍。両手はその柄をぎゅっと握りしめていて、視線は落ち着かずに左右へ揺れている。大きな体をしているのに、今の凪はどこか小さく見えた。

 鳥が枝を揺らす音がするたびに、凪の肩がわずかに動く。


「凪、大丈夫か?」


 俺がそう問いかけると、凪の肩が一瞬大きく跳ねた。

 声に気づいたのか、御影さんも足を止め、こちらを振り返った。

 二人分の視線を向けられ、凪は少し戸惑ったように瞬きをする。それから慌てたように笑顔を作った。


「あっ、えっと……大丈夫!」


 そう答えたものの、その笑顔はやけに硬かった。


 いつもの凪は、もう少しふにゃっと笑う。朝ごはんを作っている時みたいに、肩の力が抜けていて、見ているこっちまで少し安心するような顔をする。


 けれど今の凪は、無理に口角を上げているだけに見えた。


「どしたん? なんかあるなら、早めに言ってくれた方が助かるよ」


 そう言いながら近づくと、凪は一度、視線を足元へ落とした。

 大身槍を握る手に、更にぎゅっと力が籠められる。


「いや、あの……慣れてなくて……こういうの」


 震えるような声だった。


 一瞬、俺は首を傾げる。


 こういうの、というのが、森のことなのか、他島のことなのか、それとも戦うことなのか。すぐにはわからなかった。

 凪は視線を森の奥へ、御影さんへ、そして俺へと彷徨わせてから、小さく息を吸った。


「その、御影さんは知ってるけど、本当は最初、この遠征に誘われたの、兄なんだ。兄の方が虫の討伐経験もあって、行動力もあって……だから」


 言葉は、だんだん尻すぼみになっていく。

 でも、言いたいことは何となくわかった。


 兄の方が向いていた。

 本当は自分じゃなかった。そう思っているのだろう。


 俺はちらりと御影さんへ目を向けた。御影さんは、否定せずに一つ頷いた。その通りだ、という意味なのだと思う。


 なるほど、と俺も頷く。

 けれど、それで終わらせる気にはならなかった。


「でも、今来てるのは兄ちゃんじゃなくて凪じゃん」


「……兄は、家を継ぐために酪農業を真剣にやってるから……こんなことに割く時間はないって」


 凪がぽつりとこぼした。

 その言い方には、兄を責める感じはなかった。ただ、自分で言って、自分で少し傷ついているような声だった。


 ただ、俺はそれよりも凪が言った言葉に、ん? と引っかかって、御影さんの方を見る。


「凪の兄ちゃんって、凪と似たタイプ?」


 俺の問いに、御影さんは一瞬だけ困ったように笑った。


「どちらかと言えば、藤代君タイプでしょうか」


 瑛真くんタイプ。

 その言葉が頭に入った瞬間、勢いよく駆け寄り反射的に凪の手を握っていた。がっしりしていて、俺より少し大きい手だ。けれど、さっきから槍を握りしめていたせいか、指先にはまだ力が残っている。


「凪が来てくれてありがとう!」


 思わずそう言うと、凪は驚いたように目を見開いた。

 でも、俺は構わず続ける。


「絶対、凪の兄ちゃんが来てたら船の中ギスギスして辛かったし、なんなら同族嫌悪? で瑛真くんとバトル勃発してるかもしれないし、ご飯とか一緒に作ってくれないだろうし!」


 想像するだけでしんどい。

 瑛真くんが二人。いや、正確には瑛真くんっぽい人と瑛真くんが同じ船にいる。


 無理だ。絶対、空気が冷える。


 朝ごはんの雑炊なんて作る前に、理論だの効率だので空腹のまま言い合いが始まりそうだ。俺は一瞬、その光景を思い浮かべて、心の底から首を振った。


「いやぁー、来たのが凪で良かった!」


 そう言いながら、握った手をぶんぶん振る。

 凪はまだ戸惑った顔をしていたけれど、その硬かった表情が少しだけ緩んだ気がした。


「朝陽もこの間言ってたけど、しばらく一緒に過ごすんなら、楽しい方がいいしな」


 俺が笑って言うと、凪はまだ戸惑ったような顔をしていた。

 けれど、その顔にはさっきまでの強張りは少し薄れている。握っていた大身槍の柄からも、ほんの少しだけ力が抜けたように見えた。


「でも、虫退治とか慣れてないよ?」


 凪が不安そうに言う。

 俺は少し考えてから、森の奥へ目を向けた。


「んー、そもそも虫かどうかもわかんないし……戦う時は御影さんが前に出てくれるって!」


 ね、と御影さんを見る。

 完全に丸投げみたいな言い方になった気もするが、御影さんは怒らなかった。むしろ当然のことのように、一つ頷く。


「ひとまず、猪狩君は当初の予定通り、生態系調査をメインにしてください。見かけた動物は、わかる範囲で記録を。特に巨大化しているものは、特徴も含めて記録してください」


 その言葉に、凪は改めて頷いた。


「ごめん。急に不安になっちゃって。頑張って記録します! あっ、さっきの鳥はコガラだったね」


 そう言うと、凪は澪さんから渡されていた用紙を取り出し、さらさらと名前を書き込んでいく。

 さっきまで槍を握りしめていた手が、今は迷いなく紙の上を動いていた。鳥の大きさ、羽の色、飛び方。横から覗くと、そんなことまで簡単に書き添えられている。


 俺には、ただの小さい鳥にしか見えなかった。でも凪には違うらしい。

 その姿を見て、御影さんが小さく笑みを浮かべた。


「私たちが貴方に声をかけたのは、お兄さんが駄目だったからの消去法ではありません。貴方の動物に関する知識の広さを必要と判断したからです」


 凪の手が、紙の上で止まる。

 ゆっくり顔を上げた凪の目は、少し驚いたように丸くなっていた。


「期待しています」


 それだけ言うと、御影さんはまた前を向いて歩き出した。

 短い言葉だった。

 けれど、その一言を受けた凪の顔には、ゆっくりと笑みが広がっていく。さっきまで強張っていた肩も、少しだけ下がっていた。


 いいな。

 俺も期待していますって言われてー!


「よっしゃ、俺も頑張るぞ!」


 そう声に出して、俺も歩き出した。


 道は相変わらず鬱蒼としている。左右から伸びた枝葉が頭上で重なり、光を細かく遮っていた。

 俺たちは、その道を慎重に進んでいく。


 凪は時々足を止め、見かけた鳥や小さな獣の痕跡を記録していた。御影さんは前方と周囲を確認しながら歩き、俺は耳へ意識を向けたり、斧の位置を確かめたりしながらついていく。


 また暫く歩くと、森の音がさっきより少しだけ遠くなった気がした。


 鳥の声はある。葉の擦れる音もある。

 けれど、その全部の奥に、薄い膜のような違和感が混じっている。


 ざり、と耳の奥を引っかくようなノイズが走り、俺は足を止めた。

 言葉より先に、口から声が漏れる。


「デカいのがくる」


 御影さんの動きが、瞬時に止まる。

 後ろにいた凪にも、一瞬で緊張が走る。さっき少しほぐれていた顔が引き締まり、大身槍を握る手に力が戻った。


 向かってきている。確実に、こちらへ。


 最初は耳の奥だけに響く気配だった。それが少しずつ、地面を通して足裏に伝わってくる。土を踏む重い音。木の幹に何かが擦れる音。低い鼻息のようなもの。


 やがて、耳に集中しなくてもわかるほど、森の奥から音が近づいてきた。


 ずしん。


 ずしん。


 重いものが、こちらへ歩いてくる。

 御影さんがわずかに後退し、手だけで俺たちに合図を送る。


 こっちへ。

 それから、木の陰へ。


 俺と凪は慌てて近くの太い木の陰へ身を寄せる。湿った樹皮が背中に触れ、ひやりとした感覚が服越しに伝わった。凪は大身槍を握り直し、息を殺して森の奥を見つめている。


 ずしん。また、音がした。


 今度は、はっきりと地面が揺れた。

 木々の向こうで、枝が大きくしなる。葉がざわめき、鳥たちが一斉に飛び立った。さっきまで普通に鳴いていた森の音が、遠ざかっていく。まるで、森そのものが道を空けているみたいだった。


 次の瞬間、低い鼻息が聞こえた。

 ふごっ、ふごっ、と湿った音。


 獣の匂いが、風に混じって届く。土と汗と、何か生臭いものが混ざったような、虫とはまったく違う匂いだった。


 木々の隙間から、黒い塊が見えた。最初は岩かと思った。

 けれど、それはゆっくりと動いていた。


 ぬっと森の奥から姿を現したのは、トラックよりも大きいだろう巨大なイノシシだった。

 分厚い首。盛り上がった背中。泥に汚れた剛毛。顔の両側から伸びた牙は、俺の体よりずっと太く見えた。


 巨大な鼻先が、ふごふごと空気を嗅ぐように動き、俺たちの隠れている木の方へ、ゆっくりと向いた。


 息が、止まる。


 手の中の斧が、急に頼りなく感じた。

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