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落ちたら死ぬ浮遊島で、爺ちゃんに禁忌の巨大昆虫を食わされた農家の俺は血装の斧を振るう  作者: 白波 いつき
第二章

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第三十話

「「ぎゃあぁぁぁぁ!」」


 滑空していく機体の中に、俺と凪の叫び声が響き渡った。


 どれくらいそうしていただろうか。永遠みたいにも、一瞬だったようにも感じる時間のあと、身体を持ち上げていた妙な浮遊感が急にすっと消えた。シートベルトに押さえつけられていた腹のあたりが軽くなり、暴れていた機体も嘘みたいに安定する。


 叫びすぎて喉が痛い。


 俺は座席に沈み込んだまま、ぜぇはぁと肩で息をしていた。隣からも似たような呼吸音が聞こえる。たぶん凪も同じ状態だ。


 その時、ふっと目の前が明るくなった。


 何だ、と思いながら恐る恐る目を開けると、

 操縦席の前にある大きな窓いっぱいに、見たことのない景色が広がっていた。


 どこまでも続く空。


 すぐそばには、山みたいに巨大な入道雲がゆっくりと停滞している。太陽の光を浴びた雲はただ白いだけじゃなく、縁のあたりが眩しいくらいに輝いていた。雲の影は深く、光の当たる部分は目が痛くなるほど明るい。さっきまで落ちているとしか思えなかった場所が、今は信じられないくらい綺麗に見えた。


「……すっげ……」


 思わず声が零れる。

 胸の奥に残っていた恐怖が、景色に押されるみたいに薄れていく。


 操縦席では、羽依さんが何事もなかったように棒付きキャンディを取り出し、口にくわえていた。さっきまで俺たちを絶叫させるような操縦をしていた人とは思えないくらい、いつもの眠たげな横顔だ。


「安定した。もう大丈夫」


 振り向きざまにそう言われて、俺は今度こそ大きく息を吐いた。

 胸を撫で下ろす、というのはたぶんこういうことなんだろう。さっきまで全身に入っていた力が、座席へ溶けるみたいに抜けていった。


 同時に、隣からも大きなため息が聞こえてきた。


「死んだかと思った」


 凪がぽつりとこぼす。

 俺は言葉にする余裕もなく、何度も頷いた。


 本当にそうだ。


 この世界にとって、落ちるというのは死とほとんど同じ意味を持つ。島から落ちた人間が生き残る方法なんて、まずない。昔は罪人を島の外へ投げ落とす“放殺”という処刑法があったらしいし、今でも追い詰められた人が自分から空へ身を投げることがあると聞く。


 落ちた人間が、その後どうなったのか。

 それを知っている人は誰もいない。

 だから俺たちにとって空は、綺麗なものでもあり、同時に底の見えない墓場でもある。


 改めて、怖かったー、と椅子に深く脱力した。

 全身から力が抜けていく。さっきまで握りしめていた手のひらには、爪の跡が残っていた。


 しばらくそのまま息を整えていた俺は、ふと気づく。


「そういえば、叫んでたの俺たちだけじゃね?」


 隣の凪に問いかけると、凪はハッと目を見開いた。


「本当だ。恥ずかしいね。やっぱり経験値の差かな」


 凪は照れたように笑う。


 言われてみれば、御影さんも朝陽も、瑛真くんも澪さんも、さっきの急降下中に叫んではいなかった。大人ってすげぇ。いや、羽依さんは操縦してる側だから別としても、他の人たちは普通に耐えていたのだ。


 俺は前の席に見える御影さんの背中を見ながら、感心を込めて呟いた。


「本当に、やっぱ大人ってすげーな……」


 そう笑う学生二人の声を聞きながら、横山朝陽はにこにことした顔を必死に保ちながら、ちらりと隣を見た。

 御影はいつも通り背筋を伸ばして座っている。

 藤代も窓の外へ目を向けたまま、涼しい顔をしているように見えた。


 けれど、朝陽の目にはわかる。


 御影の顔色はいつもよりほんの少し青白いし、藤代に至ってはさっきから瞬きの回数が明らかに多い。澪も平然と足を組んではいるが、指先だけがわずかに肘掛けを掴んでいた。


 きっと、悲鳴をあげる余裕も無かったんだろうな。

 もちろん、自分も含めて。


 朝陽はそんなことを思いながら、口には出さず、ただいつものように軽く笑った。ここで余計なことを言えば、たぶん御影にも藤代にもまとめて睨まれる。


 後ろの席では、天斗と凪がまだ素直に感心した顔をしている。


「僕たちもああなりたいね」


「わかる」


 そのまっすぐな尊敬を受けて、朝陽は少しだけ申し訳ない気持ちになった。

 この時の皆は、まだ気づいていなかった。


 次の島に到着する時にも、また同じことが待っていることを。


「ぎゃぁぁぁぁー!」


 機体が再び大きく高度を変えた瞬間、俺と凪の叫び声が船内に響き渡った。


「っ!」


 今度は前の方からも、押し殺したような声が聞こえた気がする。

 それでも船は無事に目的の島の上空へ入り、しばらくすると何事もなかったように安定した飛行へ戻っていった。


 攻撃される危険を避けるため、機体は高めの上空を保ったまま進んでいる。

 窓の外には、俺たちの島とは違う景色が広がっていた。深い森が島の表面を覆い、その隙間に建物らしきものがいくつか見える。けれど、どれも木々に埋もれるようにしていて、人の暮らしが続いている場所というより、長い間放置された跡のように見えた。


「人の住んでいた痕跡はあるけれど……」


 澪さんが窓の外を見ながら、静かに呟く。

 御影さんも双眼鏡を覗き込みながら、同じ方向へ目を凝らしていた。


「森で見えにくくはありますが……車なども見当たりませんね」


 その言葉に、船は高度を少しずつ下げていく。森の上をかすめるほどではないが、建物や道の跡が見えるくらいの高さまで降りると、島の様子がさっきよりもはっきり見えた。


 崩れかけた屋根。

 木々に飲み込まれた道。

 壁だけが残った建物。

 そこには確かに、人が暮らしていた気配があった。


 けれど、今この瞬間に誰かが動いているようには見えない。

 その静けさが、妙に不気味だった。


 俺は窓の外を睨みながら、鼻に手を当てる。

 鼻に手を当て、ふんっと耳へ空気を送るように力を入れる。すると、耳の奥を塞いでいた膜が開くような感覚がして、次の瞬間、世界の音が一段増えた。


 機体の低い唸り。

 風が船体を撫でる音。

 森の葉が擦れ合う、ざわざわとした音。


 その奥に、複数の音が混じっている。


 ガサガサ、ガサガサ、と何かが森の中を動いていた。


 虫とは違う。

 あの硬い脚が地面を叩くような音でも、羽が震えるような音でもない。もっと重くて、でも妙に軽い。草や枝をかき分ける音に近いのに、その大きさが普通じゃなかった。


 俺はその音に集中しながら、他の気配も探る。


 けれど、自分の島で感じるような人の気配はない。意識すれば、虫の気配も人の気配も何となく分かるはずなのに、ここではうまく引っかからなかった。


 島が違うからなのか。

 それとも、本当に人がいないのか。


「なんか、ガサガサした……虫とはちょっと違う? 気配は感じられるけど、人っぽいのはないね」


 外の気配に注力しながらそう口にした瞬間、皆の視線が一斉にこちらへ向いた。

 その目には、はっきりと困惑が浮かんでいる。


 えっ。


 俺、なんか変なこと言った?

 思わず瞬きをしていると、瑛真くんが呆れたような眼差しをこちらへ向けた。


「この距離からそんなの分かるわけないだろ」


 ため息交じりの声だった。

 あからさまに馬鹿にされたような言い方に、少しだけむっとする。


「何かまでは分かんないけど、なんかでっかいのがいるのは分かるじゃん。ねっ!」


 同意を求めるように凪へ目を向ける。

 けれど凪は、困ったように眉を下げた。


「んー……僕にはちょっと、わかんないかも」


 凪は頬を掻きながら、申し訳なさそうにそう言った。


 その反応に、俺は思わず目を丸くする。


 えっ?マジで?


「えっ、血装できるようになった時、頭割れそうにならんかった? 音がヤバすぎて寝られなくなったり」


 俺がそう聞くと、瑛真くんは鼻で笑った。


「そこまで聞こえたら、もはや異常だろう」


 その言い方は相変わらず刺々しい。

 けれど、隣で澪さんまで考えるように目を細めた。


「私も、そこまでではなかったわね」


 その言葉に、俺は愕然とする。


 嘘だろ。


 血装ができるようになったら、みんな同じように世界の音がうるさくなるものだと思っていた。虫の音も、人の気配も、意識すれば自然に引っかかるものだと。


 けれど、どうやら違うらしい。


 凪は少し考え込んでから、なるべくわかりやすく説明しようとするみたいに、ゆっくり口を開いた。


「んー……僕の場合は、田んぼで泣いているカエルの音を家の中で聞いてる感じかな。外に出れば気づくけど、離れてるとぼんやりするっていうか」


 具体的な説明だった。

 だからこそ、余計にわかった。


 俺とは違う。


 俺の場合、近くにいなくても聞こえる。意識すれば、膜を開いたみたいに音が入り込んでくる。眠れないくらいにうるさくて、慣れるまで本当に頭がおかしくなりそうだった。なのに・・・


 マジで?


 俺が変だったの?


 そう思っていると、ザッ、ザッ、ザッ、と何かがこちらへ迫ってくる気配を感じた。

 それは音というより、森の奥から押し寄せてくる圧に近かった。枝が折れ、葉が擦れ、地面がわずかに震えているような感覚が、耳の奥に引っかかる。


 俺は反射的にシートベルトを外し、窓へとへばりついた。


 下を見ると、森の一部が、不自然に揺れていた。


 風じゃない。


 木々が、何かに押しのけられるように大きくしなっている。


「何か来るっ!」


「は? 苦し紛れの嘘か?」


 瑛真くんの声が飛んでくるが、それに返している余裕はなかった。

 俺は窓の下へ意識を集中させる。


 近い。


 こっちに向かってる。


 森の揺れがどんどん大きくなり、緑の波みたいにこちらへ迫ってくる。その中心に、虫とも獣とも違う妙な気配があった。


「羽依さんっ! 高度上げて!」


 俺が叫んだ瞬間、機体がぐんと上へ引き上げられた。


 シートベルトを外していた身体が一瞬浮き、慌てて窓枠を掴む。


 直後。


 森の中から、赤い鶏冠が突き上がった。


 木々をへし折りながら現れたのは、家よりも大きな、巨大な鶏だった。太い脚が地面を踏み抜き、羽ばたきひとつで周囲の枝葉が吹き飛ぶ。


 そして、黄色い目が、まっすぐこちらを見た。


「ごけぇぇぇぇぇ――!!」


 耳をつんざくような叫び声と同時に、船体が大きく揺れた。

第二章第五話までお読みいただき、ありがとうございます。


31話以降は、仕事との兼ね合いもあり、毎週金曜日21:00更新へ変更いたします。

次の更新は10月 9日 (金曜日)21:00です。


更新頻度はゆっくりになりますが、引き続き天斗たちの物語をお楽しみいただけましたら嬉しいです。

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