第二十八話
「では、始めましょうか」
そう言った御影さんは、太い木刀をゆっくりと構えた。
対する俺の手にあるのは、刃を潰された訓練用の斧だ。
刃が潰されているとはいえ、重さは本物とほとんど変わらない。手に持つだけで、腕にずしりとした感覚が伝わってくる。
俺たちがいるのは、軍の施設内にある道場のような広い部屋だった。
床は硬く、壁は分厚い素材で覆われている。天井も高く、多少暴れても壊れないように作られているのだろう。外の音はほとんど聞こえず、俺と御影さんの声だけが響いていた。
さっき、御影さんから俺のトレーニング内容を告げられた。
明日以降、午前中から昼の三時までは、毎日血装を維持しながら生活するらしい。
それだけでも普通にきつそうなのに、午前中には血装を用いた反射訓練を行うと言われた。軍が虫退治の訓練用に使っている部屋があるらしく、そこでは四方八方から玉やクレーン板のような物が飛んでくるのだという。
それを、すべて叩き落とす。説明だけ聞けば単純だ。
でも俺は、その訓練のきつさを想像して顔が引きつった。
速さに反応すること自体も大変だろうけど、それ以上に血装を維持し続ける方がきつそうだ。
これまでの経験上、血装は使えば使うほど体力を持っていかれる。貧血みたいに頭がふらつくし、終わった後は腹がどうしようもなく減る。
その状態で何時間も動け、と。
正直、聞いているだけで腹が減ってきた。
そして、その後の二時間ほどは御影さんとの実戦形式の訓練になるらしい。
御影さんは俺だけではなく、遠征に参加する全員と毎日訓練をするのだという。
それを聞いた時、俺は思わず心の中で呟いた。
(えっ、化け物?)
だって、俺一人の相手をするだけでも相当大変なはずだ。二時間だよ?
それなのに、瑛真くんや凪くん、それに他の人たちとも毎日やるという。
ちなみに、羽依さん以外は基本的に戦闘経験があるらしい。
本人は平然と話していたが、どう考えても普通じゃない。
何でも、遠征に出る前に全員の戦闘スタイルを把握しておきたいらしい。
誰がどの距離で戦えるのか。誰が危ない時にどう動くのか。
そういうものを事前に知っておくことが、生存率に直結するのだと御影さんは言った。
それを聞いてしまえば、なるほど、と納得した。
納得はしたけど。
俺は目の前で木刀を構える御影さんを見ながら、喉を鳴らした。
この人、絶対手加減とかしないだろうなぁ。
今回の遠征で求められているのは戦闘だけではない。それぞれの専門分野に応じた調査が主な役割なのだと説明された。
たとえば凪くんは家が酪農家兼加工業らしく、食べられるものの判別や生態系の確認。
瑛真くんは国の施設で反発石に関する開発研究をしており、船や反発石を含む技術の解析。
澪さんは、現地の人間がいた場合の交渉や情報整理。
そして俺は、他島の農業や食用植物について調べてほしいとのことだった。
農業なら確かに俺の分野だ。畑の状態を見れば、土の癖や水の流れ、作物の育ち方くらいは何となくわかる。食える草かどうかも、全部じゃないけど見当はつく。
それに加えて、俺はメンバーの中では戦い慣れている方だから、戦闘面でも期待していると言われた。
言われた、けど。
自信無くすー!
武器を打ち合った瞬間の圧力に、肌がビリビリと泡立つ。
壁にでも打ち込んでいる気分だ。
コッチは斧で、御影さんは木刀なのに、打ち勝てる気がしない。
一回距離をとり、再度斧を振り下ろせば、木刀で斧の持ち手の部分をはじかれ、体勢が崩れる。
空いた胴へと、御影さんの鋭い蹴りがはいった。
「ガハッ!」
腹の中の空気が押し出され、声が漏れる。
蹲りそうになったところに木刀を振り下ろされ、横へと転がり避けた。
転がった反動を利用して身体を起き上がらせ、再び御影さんめがけて、ブンッと斧を振り下ろした瞬間、俺の手から斧が弾け飛んだ。
握っていたはずの柄が、御影さんの木刀に打ち払われた瞬間、信じられないくらいあっさり手の中から抜け後方へと飛んでいく。
ガツンッ!と音を立て壁にぶつかり、床を滑っていく斧を目で追う余裕もなく、すぐに振り下ろされる次の一撃を、俺は身体をひねってぎりぎりでかわした。
けれど、完全には避けきれない。
木刀の先が肩をかすめた。
それだけなのに、肩の奥までずしんと衝撃が響く。痛いというより、身体の芯を揺らされたような重い一撃だった。
「はぁー、はぁー……」
俺は肩で息をしながら、何とか距離を取る。
いったー!!俺の内臓無事だよね⁈蹴られた腹を摩りつつも、目は決して御影さんから話すことなく、ジリジリと足を動かす。
汗が顎から落ち、床に小さな跡を作った。腕は重いし、足もじわじわ震えている。さっきまで握っていた斧の感触が、まだ手のひらに残っているのに、もうそこには何もない。
一方で御影さんは、平然と立っていた。
呼吸すら乱れていない。
それどころか、俺の肩に掠った木刀の角度を少し気にするように指先でなぞり確認している。
俺、血装したとしてもこの人に勝てないんじゃない?
そんな考えが頭をよぎる。が、相手は待ってくれない。
御影さんは静かに木刀を構え直すと、さっきと変わらない落ち着いた声で言った。
「早く武器を拾ってください。本番だと、優しく待ってはくれませんよ」
「はぁーい」
返事だけは素直にしながら、俺は床に転がった斧へ手を伸ばした。
けれど、ただ拾うだけで終わる気はない。
柄を掴んだ瞬間、そのまま身体を低く沈め、御影さんの足元めがけて横薙ぎに斧を振るう。足を止められれば、少しは流れを変えられるかもしれない。そう思って狙った一撃だった。
だが、御影さんの反応は速かった。
斧が届くより先に、ふわりと跳ぶように足が床から離れる。
避けられた。
そう思った時には、もう遅い。
空振りした勢いで俺の体勢が崩れ、その真上から御影さんの木刀が振り下ろされていた。
よけれねぇっ!
そう思った瞬間、ビービービーッと甲高いアラーム音が道場に鳴り響いた。
俺の頭上、あと少しのところで、御影さんの木刀がぴたりと止まる。
風だけが前髪を揺らした。
「今日は終了ですね」
御影さんは何事もなかったように木刀を下ろす。
「食堂に案内しましょう。どれだけ食べても無料ですので、ご安心を」
少し乱れた前髪をぐっとかき上げると、御影さんはもう次の予定へ移るみたいに、食堂があるのだろう方向へ向かって歩き出した。
俺はその背中に向かって、俺は、慌てて掠れた声をあげた。
「まっ……待って……」
床に膝をついたまま、震える手を御影さんへ伸ばし、振り返った御影さんに向かって、俺は困ったように笑う。
「足が……生まれたての小鹿みたいになってるんで、ちょっと待ってもらっていいっすか……」
情けないとは思ったが、もう足に力が入らなかった。
御影さんは一瞬だけ俺の様子を確認すると、何も言わずに腕を差し出してくれた。俺はその腕に掴まり、半ば抱えられるようにしながら訓練場を出る。
廊下を歩くたびに、膝が笑う。さっきまで斧を振っていた腕も、もう自分のものじゃないみたいに重かった。
食堂に着くと、そこにはこの施設で働いているらしい人たちが大勢いた。軍服を着た人もいれば、白衣を着た研究者らしき人やスーツの人もいる。食器の触れ合う音や話し声が広い空間に重なり、さっきまでいた場所とはまるで別世界みたいだった。
学食のような雰囲気に大人たちがいるのがもの珍しくて、きょろきょろ見回していると、奥の方からこちらへ向かって手を振る茶髪が目に入る。
「あっ、横山さん!」
俺が指を差すと、御影さんもそちらへ視線を向け、そのまま足を進めた。
「お疲れ様ー!何その様」
横山さんは俺を見るなり、遠慮なく指を差して笑った。
その隣に座っていた凪くんは、対照的にものすごく同情的な目を向けてくれる。
「いや、もう体力の限界すぎて……御影さんが化物だってことがよくわかりました」
俺はどうにか椅子に腰を下ろすと、そのまま机に突っ伏した。冷たい天板が頬に触れて、少しだけ生き返る気がした。
御影さんは注文をしに行ったのだろうか、俺たちを席に置いたまま、すたすたとカウンターの方へ歩いていく。
その背中を見送っていると、向かいに座っていた凪くんが、眉を下げてやわらかく笑う。
「お疲れ様。僕もさっきまでそんな感じだったよ」
その目はちらりと横山さんへと向かい、二人が俺と御影さんのように鍛錬をしていたことが伺い知れた。当の横山さんは涼しい顔をしているのがなんとも悔しい。
凪くんの言葉に、俺は机に突っ伏していた顔を少しだけ上げた。
「明日から、めっちゃ怖くないですか?」
思わず本音が漏れる。
だって、今日だけでこれだ。たった2時間程度の対人戦。明日からはこれに加えて血相を維持した状態での午前中訓練が加わり、二週間毎日これが続くとなると・・・考えただけで体の奥が重くなる。
すると凪くんは、わかるよ、とでも言うように小さく頷いた。
「怖いよね。体もつのかな・・・あっ、それと、僕には敬語じゃなくていいよ。名前も凪で大丈夫。歳も近いしね」
そう朗らかに笑う優しさがにじみ出ている笑みに、何とも言えず癒される。
俺は少しだけ体を起こして、凪くん――いや、凪に向かって頷いた。
「じゃあ、俺も天斗で!」
「うん。天斗」
すぐに呼ばれた名前が、思ったより自然に耳へ馴染む。
すると、隣で聞いていた横山さんが、にこにこしながら身を乗り出してきた。
「じゃあ、おれも朝陽で」
その瞬間、俺と凪の視線が同時に横山さんへ向かう。
「横山さん、朝陽っていうんだ? ってか、歳近くねーし」
俺が素で返すと、横山さんはうっ!と、胸に手を当て、大げさに傷ついた顔をした。
「ひどくない? ここ、仲間感を出す流れでしょ?」
「いや、横山さんは横山さんって感じ」
「距離が縮まらない!」
横山さんが嘆く横で、凪がくすくすと笑っている。
俺はまだ体に力が入らないまま、椅子の背にもたれかかった。明日からのことを考えると正直怖い。でも、こうして名前を呼べる相手がひとり増えただけで、少しだけ息がしやすくなった気がした。
横山さん改め朝陽さんは、どかっと椅子の背もたれに凭れた。軍服を少し着崩したその姿は、やっぱり軍人というより気のいい兄ちゃんに見える。
「いいじゃん、別に。これから一緒にいること多いんだし、堅苦しくない方がいいでしょ」
朝陽さんは年甲斐もなく口を尖らせながらも、的確に俺のしびれた足に蹴りを入れつつ言う。
確かに、これから二週間一緒に訓練して、その後は島の外へ遠征に出るのだ。いつまでも他人行儀でいるよりは、名前で呼べるくらいの方がいいのかもしれない。
そう思っていると、朝陽さんがふと思い出したように言葉を続けた。
「あ、そうそう。遠征出発前に二連休もらえるらしいよ。それまで頑張って!」
その言葉に、俺と凪は同時に顔を上げた。
「マジ!? じゃあ、俺観光したい!」
「僕はいっぱい寝たいかな」
ぱっと目を輝かせた俺とは対照的に、凪は心底切実そうにそう言った。
わかる。
あの訓練を一度でも受けたら、寝たいという気持ちはよくわかる。
けれど、せっかく村の外へ来たのだ。総首都なんて、たぶん今逃したら次にいつ来られるかわからない。でかい建物も、珍しい店も、空中を飛ぶ搬送機も、見たいものは山ほどある。
そんな俺を見て、朝陽さんはにやりと嫌な笑みをその顔に浮かべる。
「そんな余裕あるかな?」
その言葉に、俺は思わず凪と顔を見合わせひきつった笑みを浮かべる。
すると、隣からトン、と軽い音がして、俺はそちらへ視線を向けた。
目の前に置かれたのは、山盛りの唐揚げと、皿いっぱいのカレーだった。湯気と一緒に、揚げた肉の匂いとスパイスの香りが一気に鼻へ流れ込んでくる。
差し出してくれたのは、御影さんだった。
「聞かずに選んでしまいましたが、大丈夫でしたか?」
「えっ! 俺に!? ありがとう!」
そう答えた瞬間、腹が盛大に鳴った。
さっきまでぐったり机に突っ伏していた身体が、食べ物を前にして少しだけ息を吹き返す。俺は机から体を起こし、勢いよくスプーンを手に取った。
ぱん、と手を合わせる。
隣の席には御影さんが腰を下ろし、自分の分の食事を静かに置いた。俺の皿より少し少なめではあるが、それでも普通の人から見れば十分多い量だ。
「いただきます!」
そう言って、俺はまずカレーを口に運んだ。
熱い。うまい。
疲れた身体に、飯が染み込んでいく。唐揚げも外はかりっとしていて、中は熱々で、噛むたびに肉汁が出る。
「んまぁー!!」
思わず小さく叫び、自分の言葉に押されるかのようにガツガツとカレーを口に運ぶ。
横では朝陽さんが「いい食いっぷりだねぇ」と笑い、凪は自分の皿を前にしながら、俺の食べる速さに少し驚いたような顔をしていた。
そこからの二週間は、まさに訓練漬けの日々だった。
血装を維持しながら生活し、飛んでくる玉や板を斧で叩き落とし、御影さんとの実戦訓練で毎日のように床へ転がされた。腕も足も毎日痛くて、飯だけは笑えるくらい入った。
そして、遠征前の最後の二日間。
朝陽さんが言っていた通り休みはもらえたものの、残念ながら観光に行く体力なんて残っていなかった。
俺と凪は、ほとんど布団と仲良く過ごした。
くそっ!実里にどんなところか話してやりたかったのに!
そうして、出発の日がやってきた。




