第二十七話
「外までずいぶんと楽しそうな声が聞こえていたけれど……」
そう言いながら扉から現れたのは、パンツスーツの似合う、息を呑むほど整った顔をした女性だった。
漆黒の長い髪が、肩から背中へゆるく流れている。白い肌に、すっと通った首筋。派手な装飾はないのに、上質な布地の服をまとっているだけで、周囲の空気が一段引き締まったように感じた。
綺麗。だけど、感じたことのない圧がある。初めて見る種類の美しさに、俺は思わず息を呑んだ。
俺の後ろでは、御影さんと横山さんがその人に向かって一度敬礼している。
(偉い人?)
そう思っていると、その女性の後ろから、ひょこりと小柄な人物が顔を出した。
白っぽい金茶の髪はふわふわと柔らかく、短いボブが頬の横で揺れている。大きな空色の目に、小柄な体。保護ゴーグルを頭に乗せ、工具ベルトを腰に下げた姿だが、どこか人形みたいに可愛らしい。
そのあまりの可愛さに、胸がどきりと音を立てた。ちらりと横を見ると、近くにいた凪くんも唖然とした顔をしている。
よかった。俺だけじゃない。
そんな俺たちの反応には慣れているのか、パンツスーツの美女は特に気にした様子もなく、瑛真くんへ視線を向けた。
そして、いたずらを思いついた子供みたいに、口元へ笑みを浮かべる。
「私も、今度から瑛真くんって呼ぼうかしら」
そう言われた瞬間、瑛真くんの顔が心底嫌そうなものに変わった。
「やめてください」
間髪入れずに返された声は、さっき俺へ向けたものよりも、いっそ強かった。
その反応を見て、何となく察する。
この二人、たぶん顔見知りだ。しかも瑛真くんの方は、かなり苦手にしている感じがする。
そんな瑛真くんの反応を楽しむように、美女は小さく笑ってからこちらへ視線を向けた。
「初めまして。私は神野 澪と言います。今回の遠征に一緒に行くわ。よろしくね。私のことも澪ちゃんって呼んでね」
そう言って微笑む澪……さんに、俺は反射的にバっと頭を下げた。決して、引きつる顔を隠したかったわけではない。
澪ちゃん、は無理だ。少なくとも今の俺には無理だ。
「よろしくお願いします。神代 天斗です」
「お願いします。猪狩 凪です」
俺に続いて凪くんも丁寧に頭を下げる。
その後ろで、御影さんが静かにため息を吐いた。横山さんは苦笑いを浮かべ、瑛真くんもまた、どこか諦めたような顔をしている。
たぶん、この人はいつもこうなんだろう。
そんなことを考えていると、今度は澪さんの後ろにいた小柄な女性が、ゆっくりとこちらへ歩いてきた。
彼女は俺たちの前で足を止めると、眠たげな声でぽつりと名乗る。
「仲里 羽依。よろしく」
にこりともしない挨拶ではあったが、澪さんの後に出てきたせいか、少しだけほっとした。
美人は美人でも、圧の方向が違う。
俺は「よろしくお願いします」と頭を下げる。隣では凪くんも、どこか緊張した顔のまま同じように頭を下げていた。
それにしても……神野?
チラリと澪さんへ視線を向けつつ、頭を巡らせる。
どこかで聞いたことのある名前だ。
首を傾げていると、俺と同じように不思議そうな顔をしていた凪くんの近くへ、横山さんがそっと寄ってきた。そして、声を落として耳打ちするように言う。
「日照国の総長、神野総長のご息女です」
その瞬間、俺と凪くんは同時に息を呑んだ。
総長の娘。
つまり、この国で一番偉い人の娘ってことだ。
そんな人が遠征に行っていいのか?
いや、むしろ行かせていいのか?
そんな思いが顔に出ていたのだろう。澪さんはこちらへ視線を向けると、にっこりと微笑んだ。
綺麗な笑顔だった。
綺麗なのに、ものすごく圧がある。
その笑顔を見た瞬間、俺は喉元まで出かけた言葉をすっと飲み込んだ。横を見ると、凪くんも同じように口を閉じている。
すると、御影さんが一度軽く咳払いをした。
張り詰めかけた空気を整えるように、低く落ち着いた声が響く。
「今回の遠征は、こちらの七人で行います」
その言葉に、俺は思わず首を傾げた。
そして、目線で数を数える。今日初めて会った4人に、俺と御影さん。
ん?
「七人?」
俺の呟きを拾った横山さんが、「えっ!」と大げさなくらい声を上げた。
「待って! 天斗くん、君、もしかしてだけど、無いとは思うけど!おれのことをただのお迎えだと思ってたりとか、しないよね?」
「えっ?! 違うの?!」
「違うわっ! 御影さんが前に、ほかにも軍から同伴者を募るって言ってただろ! それがおれなの!」
「マジで?!」
本気で驚いて返すと、横山さんははぁーっと長いため息を吐いた。
「なぁーんか話が噛み合わないと思ってたんだよ。道中ずっと観光案内してる場合じゃなかったわ」
そうぼやく横山さんに、俺はへらっと笑ってごまかす。
いや、だって普通に迎えに来てくれただけだと思うだろ。道中もデートスポット紹介と化していましたし。
そんな俺たちのやり取りを見て、瑛真くんが「うるさい……」と心底疲れたようにため息を吐いた。
御影さんが軽く咳払いをする。
「話を戻しますね」
静かな声なのに、不思議とその一言で場の空気が整った。
「今回の遠征は、この七人で行います。出発は二週間後です。遠征に必要なものは、基本的に軍と国が用意しますので、身一つで来ていただいて構いません」
御影さんは一人ひとりの顔を見るように、ゆっくりと話を続ける。
「私物の持ち込みも可能ですが、持ち込み品には制限があります。基本は各自の武器と、リュック一つ分程度。それ以上は船に持ち込めません」
船、と聞いて、俺はちらりと横にある機体を見る。
あれで島の外へ行く。
そう考えると、さっきまでの騒がしさが少しだけ遠のいた。
御影さんは、そのまま全員へ視線を巡らせながら話を続けた。
「この二週間の間に、皆さんには自衛方法と戦闘方法を改めて学んでいただきます」
その言葉に、隣で凪くんが小さく息を呑むのがわかった。
俺も思わず背筋を伸ばす。
二週間。
長いようで、きっと短い。
目の前には、他島の連中が乗ってきた船がある。
修繕されたとはいえ、その船体にはまだ見慣れない金属の継ぎ目や、俺たちの島では見たこともない構造が残っていた。これに乗って、俺たちは誰も知らない島へ向かうのだ。
「この島の外がどのような場所なのか、今の私たちには一切わかりません。もちろん、私たちもあなた方を守るために最善を尽くします」
御影さんの声は静かだった。
けれど、その静けさの中に誤魔化しのない重さがある。
「ですが、まずは自衛をしっかり覚えていただきます。付け焼き刃だろうと、何もないよりはましです」
その言葉に、瑛真くんの眉間へ深い皺が寄った。
たぶん言いたいことはあるのだろう。けれど、今は口を挟まなかった。
「今回の人選は、血装を持っている方が中心です。皆さんは、多かれ少なかれ戦闘技術はあると聞いていますが、相手が虫とは限りません。対虫と対人、あるいはそれ以外では、必要な動きも判断も変わる可能性が高い」
御影さんは一人ひとりの顔を見るように、落ち着いた調子で言葉を重ねていく。
「また、血装そのものに慣れていない方もいます。二週間で、できる限り扱いに慣れていただきます。よろしくお願いいたします」
その言葉に、周囲が静まり返った。
さっきまでの軽い空気が薄れていき、格納庫の中に置かれた船の存在感が一気に増した気がした。あれに乗るのだと思うと、胸の奥が少しだけ冷える。
すると、不意にパンパン、と乾いた音が響いた。
音の方へと視線を向けると、澪さんが仕切り直すように手を叩いていた。
「わかったわ。じゃあ、時間も惜しいし、すぐに行動しましょう」
そう言って、澪さんは羽依さんへ視線を向ける。
「羽依は、とにかく操縦の精度を上げることをお願いね」
その言葉に、羽依さんがこくりと頷いた。
そこで初めて、俺は気づく。この小柄で眠たそうな人が、あの船を動かすのだ。
見た目だけなら、工具ベルトをつけた可愛い女の子という感じなのに、あの得体の知れない船を任されるくらいの腕があるらしい。そう思うと、ぼんやりした空色の目も、ただ眠そうなだけではないように見えてくる。
「じゃ、トレーニングスケジュールとかメールで送っておいて。私は仕事に戻るわ」
澪さんはそう言うと、もう用件は済んだと言わんばかりに踵を返した。パンツスーツの裾が揺れ、長い黒髪が背中で静かに流れる。そのまま部屋を出ていく背中には、誰かの許可を待つ気配なんて少しもなかった。
瑛真くんもそれを見て、無言のまま船から視線を外す。
そして、こちらへ一瞥だけくれると、何も言わずに澪さんとは別の方向へ歩き出した。たぶん、用がないならここにいる必要はない、ということなのだろう。
残された俺は、何となくその場で立ち尽くした。
「えーっと……」
次に何をすればいいのかわからず、周囲を見渡す。
凪くんは少し困ったように笑っていて、羽依さんはもう船の方へ視線を戻している。横山さんは何か言いたそうに俺を見ていたが、その前に、ずしりとした重みが肩に乗った。
大きな手だった。
振り向くまでもなく、誰の手かはわかる。
「君は、私と実戦練習をしましょう」
御影さんが俺の肩をがしりと掴んだまま、静かな声でそう言った。




