第二十五話
御影さんと横山さんが帰り、家の中は急に静かになった。
さっきまで重たい話をしていたはずなのに、台所から聞こえてくるのは、母さんが包丁を使う軽やかな音と、鍋のぐつぐつという煮える音だ。
そのいつもの生活音に、張り詰めていた気持ちが少しづつ解れていく。
俺は居間で実里と一緒に遊んでいた。
「天兄ー! 見て! これ実里のお城!」
積み木を山ほど積み上げた実里が得意げに胸を張る。
「おぉ、すげぇ。……でもこれ絶対すぐ崩れるやつ」
「崩れないもん!」
そんなやり取りをしていると、不意に玄関のチャイムが鳴った。
ピンポーン、という聞き慣れた音が家の中へ響く。
「ごめーん。天斗出れる?!」
聞こえてきた声に、立ち上がりながら返事を返す。
「あーい!」
ぱたぱたと玄関へ向かい、ガラリと扉を開けると、そこには創太が立っていた。
「よぉ」
「創太……」
一瞬、身体が固まる。頭の中まで真っ白になった。
ここ最近いろんなことがありすぎて、学校も、友達も、なんだかずっと遠い場所みたいに感じていたから。
でも、目の前にいるのは間違いなくいつもの創太だった。そこでようやく我に返り、慌てて家の中へ向かって叫ぶ。
「ごめん! ちょっと出てくる!」
すると台所の方から、母さんの声が返ってきた。
「もうすぐご飯できるからね!」
中から聞こえてきた母さんの声に「はーい」と返事をしてから、俺は静かに扉を閉めた。夕方の空気は少しひんやりしていて、昼間の熱気がゆっくり抜けていくのを感じる。
「どうしたんだよ、急に」
そう創太へ問いかけると、創太は何も言わず、手に持っていたものをこちらへ差し出した。
それを見た瞬間、俺は目を見開く。
「これ……」
俺がこの間、敵に向かって飛ばし、そのまま壊してしまったフロートボートだった。
「直したから、持ってきた」
ぶっきらぼうにそう言う創太から受け取り、俺は思わず何度もひっくり返して眺めた。割れていた部分は綺麗に補修され、擦り傷まで丁寧に磨かれている。前より綺麗になってるんじゃないかってくらいだ。
「すげっ! なんかめっちゃ綺麗になってんじゃん! ありがとう!」
嬉しくなって顔を上げる。けれど、その瞬間だった。
創太は頭へ手をやりながら、門へもたれるようにして、ずるずるとその場へしゃがみ込んだ。
「えっ、何急に!?」
体調でも崩したのかと思い、慌てて駆け寄るも、創太の口から漏れたのは、小さな笑い声だった。
「ははっ……いつもの天斗だ」
ゆっくり顔を上げた創太は、泣き笑いみたいな顔をしていた。その表情を見た瞬間、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
創太は目元を軽く擦りながら、それでも笑うようにして静かな声で言った。
「この間、学校から出ていくお前の背中見てたらさ、もう会えないんじゃないかって……めちゃくちゃ怖かった」
「創太……」
「ん?」
目元を擦りながら、創太がこちらを見やった。泣いていたのか、眠れていなかったのか、少し赤くなった目元を見ていると、胸の奥に残っていた重いものが、じわりと形を変えていくような気がした。
俺は少しだけ視線を逸らしてから、ぽつりと口を開いた。
「ありがとな。あの時、信じるって言ってくれて」
俺がそう言うと、創太は一瞬、驚いたように目を丸くした。けれど次の瞬間には、いつもの創太みたいに口元を緩める。その表情を見た途端、張り詰めていたものが少しだけ緩んだ気がした。
「あの後、高峰がキレて大変だったんだぞ」
そう話す創太の隣に腰を下ろしながら、俺は思わず目を丸くした。
「高峰って……いつも突っかかってくる高峰? そういえば、あの時、辞書落としてたよな」
「そう。その高峰。あの後、教室に戻ってからも、みんな天斗の話しててさ。騒ぐ奴らに向かって、『あの写真が事実だとしても、あんな証拠があんのにアイツが捕まってない時点で、なんか理由があるってわかるだろうが! テメェら考える頭ねーのかよっ!』って」
創太は少しだけ声を低くして、高峰の口調を真似るようにそう言った。その声真似が妙に似ていたせいで、状況を想像してしまい、俺は開いた口がふさがらなかった。
中学時代から、顔を合わせれば言い合いばかりしていた。目が合えば突っかかってきて、こちらも黙っていられなくて、いつもくだらないことで張り合っていた相手だ。まさか、その高峰がそんなふうに怒ってくれていたなんて、すぐには信じられなかった。
(あいつが、俺のことで……?)
驚いたまま何も言えずにいる俺を見て、創太は少しだけ表情を曇らせた。それから、膝の上で組んだ手に視線を落とす。
「おれは、皆に何も言えなかった……」
ぽつりとこぼれた創太の言葉に、俺は顔を向けた。創太は悔しそうに唇を結んでいる。
あの時、俺に向けられていた視線や言葉を思い出す。あの空気の中で、何かを言うのがどれほど難しかったかくらい、俺にも分かる。
だからこそ、俺は首を横に振った。
「俺は、創太に信じてるって言ってもらえて、救われたよ」
そう言葉にすると、創太は一瞬うつむいた。けれどすぐに顔を上げ、いつもの笑顔を向けてくれた。その笑顔は少しだけ無理をしているようにも見えたけれど、それでも、俺を安心させようとしてくれているのが分かった。
「おれ、また天斗と学校行けるの楽しみにしてるから! 早く来いよ!」
「おう!」
短く返した声は、自分で思ったよりも強く出た。
学校に戻ることを、少し前の俺なら考えられなかったかもしれない。けれど今は、ほんの少しだけ、その場所へ向かう自分を想像できた。創太がいて、高峰がいて、またくだらないことで言い合う日が来るのなら、それはきっと、悪くない未来なのだと思えた。
そこから何がそんなに面白かったのか、俺たちは顔を見合わせて声を出して笑った。
張り詰めていたものが、一気にほどけていくみたいだった。
すると、その笑い声を聞きつけたのか、実里がひょこっと玄関から顔を覗かせた。
「あっ! 創太くんだー!」
そう声を上げた実里は、次の瞬間にはぱたぱたと玄関へ駆けてきて、そのまま勢いよく創太へ飛びついた。
創太も慣れた様子で「おっと」と笑いながら受け止める。
その光景を見た瞬間、俺は反射的に叫んでいた。
「こらっ! 実里! 兄ちゃん以外の男に気軽に抱き着くなっ」
その俺の言葉に、創太が呆れたように笑う。
「相変わらずシスコンこじらせてるなー」
すると実里は、創太の腕へぶら下がったまま得意げに胸を張った。
「創太くんは実里のお婿さん候補三番だよっ!」
その言葉に、創太はなんとも言えない顔になる。
「……三番。微妙すぎる」
ぽつりと零されたその台詞を聞いた瞬間、俺は思わず創太の腕をガシリと掴み、真顔で顔を寄せる。
「お婿さん候補に入れてもらえてるだけ、ありがたいと思えよ」
地を這うような声で告げると、創太が「うわっ、重っ」と引きつった顔をする。
「いや怖い怖い怖い! なんでお前そんなガチなの!?」
「当然だろ。実里だぞ?」
「知らねぇよ!」
創太が半笑いで叫び、実里はそんな俺たちを見てきゃはきゃはと笑っている。さっきまで泣きそうな顔をしていた創太も、今はいつもの調子に戻っていた。
そんな騒ぎを聞きつけたのか、母さんが玄関からひょいと顔を出した。
「あら、創太くん! よかったら晩御飯食べて行って!」
「えっ、いいんすか!?」
一瞬で顔を明るくする創太に、母さんはくすりと笑う。
「もちろん。今日はいっぱい作ってるから」
「やったー!」
さっきまで泣きそうな顔をしていたくせに、もう完全に食事モードだ。
そんな創太を見ていると、なんだかいつもの日常が戻ってきたみたいで、自然と笑みが漏れた。
そこからは、にぎやかな晩飯だった。
実里は創太の隣を陣取り、「これ美味しい!」「創太くんそれ取って!」とはしゃぎ続け、創太も「お前ん家の飯ほんと美味いなー!」と遠慮なく箸を進めている。
母さんは呆れながらも楽しそうに笑い、爺ちゃんはそんな様子を見ながら静かに酒を飲んでいた。
いつもの食卓。
いつもの声。
だけど、あと一週間もすれば、俺はこの場所を離れる。
そう思うと、不思議な感覚だった。
騒がしい夜は、ゆっくりと更けていく。
笑い声と、皿の触れ合う音と、実里のはしゃぐ声。
その全部を聞きながら、俺はぼんやりと思う。
――この景色を、ちゃんと帰って来れる場所のまま残したい、と。
俺がこの村を離れるまで、あと一週間。
『ドロップルーラー〜落ちたら死ぬ浮遊島で、農家の俺は血装の斧を振るう〜』
第一章を最後までお読みいただき、ありがとうございます。
ずっと少年漫画のような熱さのある物語を書いてみたくて、少しずつ設定を練っていた作品です。天斗たちの物語は、第二章からさらに外の世界へ広がっていきます。
本作は30話までは1日2話、7:00と21:00に更新予定です。
31話以降は、仕事との兼ね合いもあり、毎週金曜日21:00更新へ変更いたします。
仕事との兼ね合いもあり更新頻度はゆっくりになりますが、引き続き天斗たちの物語をお楽しみいただけましたら嬉しいです。
今後ともよろしくお願いいたします。




