第二十四話
机の上で強く握られた母さんの手を見てから、俺はゆっくりと御影さんへ視線を向けた。
爺ちゃんは母さんの隣で静かに茶を飲んでいた。
「なんで俺なの?」
自分でも驚くほど静かな声が出た。怒っているわけじゃない。
怖いからでもない。ただ、本当に不思議だった。
俺の目つきがいつもと違ったのか、横山さんが少し目を丸くしてこちらを見る。
御影さんはそんな俺を真っ直ぐ見返し、小さく息を吐いた。
「理由はいくつかあります」
その声は静かだった。
「まず、今回の調査員は“血装”を使える人間を中心に集める予定です」
「えっ、てことは……」
俺が思わず言葉を漏らすと、御影さんは大きく頷いた。
「はい。国の上層部は、以前から“虫が溢れた時”に備えて、血装を使える家系を確認していたようです」
その言葉に、部屋の空気が少し変わる。
俺は思わず爺ちゃんを見る。
爺ちゃんもさすがに驚いたのか、ゆっくり顔を上げ、片眉を上げていた。
「この家以外にも、未だに伝承を受け継いでいる家がいくつか確認されています」
「へぇ……」
思わず感心した声が漏れる。俺たちだけじゃなかったのか。
血装なんて、てっきりこの家だけの変な秘密だと思っていた。
でも、国はそれをずっと把握していたらしい。
「えっ、でも、何で血装の人なん?」
俺がそう問い返すと、御影さんは静かに頷いた。
「まず、やはり戦力が通常の人間とは違います」
それは、まぁわかる。
実際、俺自身でも血装を使った時の身体能力の変化は感じていた。
「それから、今回乗る船には重量制限があります。一定以上の重さになるとうまく浮遊できません」
「浮遊って、やっぱりあれ飛んでたんだ……」
俺がぽつりと呟くと、御影さんは小さく頷いて話を続ける。
「軍人は、私や横山君のように剣を使う人間もいますが、大型の虫に対しては基本的に重火器を使用します。しかし今回は、そういった装備を大量に積み込む余裕がありません」
「なるほど」
確かに、銃って本体だけじゃないよな。替えの弾だって必要だし、整備道具とかもあるんだろう。
そう考えると、少人数で高い戦闘能力を持てる血装持ちの方が都合がいいのかもしれない。
「次に、探知能力の高さです」
御影さんの視線がこちらへ向く。
「この島の虫以外にも有効かはまだ定かではありません。ただ、それでも基礎反応能力は私たちより高いようです」
「へぇ……」
そこまで言われると、なんだか自分が別の生き物になったみたいな気分になる。
それまで静かに話を聞いていた母さんが、ゆっくり口を開いた。
「私は、賛成できません」
その声は静かだった。けれど、部屋の空気がぴんと張る。
「どうして、天斗がそんな見たこともない国の人の為に、危ない場所へ行かなければならないんですか」
母さんの声は、微かに震えていた。怒っているわけじゃない。でも、必死に感情を押さえ込んでいるのがわかる。
俺は思わず母さんを見るも、母さんはまっすぐ御影さんを見ていた。
その横で、爺ちゃんは何も言わず静かに母さんを見ていた。
言葉が途切れ、母さんは一度大きく息を吐きながら俯いたが、やがてゆっくりと顔を上げる。その視線は真っ直ぐ俺へ向けられた。
その目には、確かに恐怖があった。大事なものを失うかもしれない。という、恐怖が。
「誰かの為に犠牲になるために、この子を産み育てたわけではありません」
静かな言葉だった。
だからこそ、その言葉は重かった。
「母さん……」
思わず声が漏れる。俺はズボンをぎゅっと握り締めた。
……でも、俺は。
島を…いや、俺の大切な人たちを、守りたいと思った。
母さんも、実里も、爺ちゃんも。誰かが傷つくのを見たくないと思った。
あの日、空を飛ぶ武器を見た時の恐怖は、今でも身体の奥に残っている。
だから強くなろうと思ったし、戦えるようになりたいとも思った。
そう心の中で言葉が渦巻いた、その時だった。
「……でも、反対もできません」
母さんが絞り出すような声で続けた。その言葉に、俺は目を見開く。
「きっとこの子は、島にいても無茶をします。私や、実里を守ろうと。この間みたいに、きっとシェルターから飛び出していく…それを私はきっと、止められない」
母さんの視線が、隣の部屋へ向く。
そこでは実里が何も知らないまま、テレビを見て笑っていた。
俺もつられるように実里を見る。
すると視線に気づいたのか、実里はぱっとこちらを向き、にこにこと笑いながら手を振ってきた。
何も知らない笑顔だった。
でも、その笑顔を見た瞬間、自分の中にあった迷いが少しだけ薄れていく。
俺は小さく手を振り返してから、ゆっくり母さんへ視線を戻した。
「ごめん。母さん。でも、俺行ってくるよ」
そう口にした瞬間、自分の中で何かが決まった気がした。怖くないわけじゃない。でも、それでも行かなきゃいけないと思った。
母さんはしばらく何も言わなかった。ただ、俺を見るその目が、少しずつ揺れていく。
そして、今まで必死に堪えていたものが滲むように、母さんの目が初めて潤んだ。
「そう言うだろうなって、わかってたわよ」
小さく零されたその声には、諦めと、怒りと、心配と、いろんな感情が混ざっていた。
けれど次の瞬間、母さんはキッとこちらを睨みつける。
「わかってるの!? もしアンタに何かあったら許さないからね!」
泣きそうな顔なのに、言ってることはいつもの母さんで。その必死な言葉に、俺は思わず苦笑を漏らした。
「わかってるよ。ちゃんと」
そう答えてから、俺は爺ちゃんへ視線を向ける。
「俺がいない間、爺ちゃんも母さんと実里をよろしくな」
その言葉に、爺ちゃんは何も言わず一つ頷いた。 爺ちゃんなりの“任せろ”なのだろう。
その様子を静かに見ていた御影さんが、改めて口を開く。
「今回、私も遠征に同行致します」
その言葉に、部屋の空気がわずかに張り詰めた。御影さんは真っ直ぐこちらを見据えたまま、静かな声で続ける。
「他の島は未知の世界です。誰も知らない場所へ向かう以上、“私に任せてください”とは言えません」
その言葉が、静まり返った部屋に重く落ちた。
御影さんは変に安心させるようなことは言わない。絶対大丈夫だとも、必ず守るとも言わない。だからこそ、その言葉には嘘がないように感じられた。
「ですが、最善は尽くすつもりです。この家に、彼が笑顔で帰れるように」
静かな声だった。
けれど、その言葉には強い意志が宿っていた。
御影さんはそこで一度言葉を切ると、今度は横山さんへ視線を向ける。
「軍からは、もう一人同行者を募る予定です。正直、集まるかはわかりませんが……無事にもう一人の同行者が決まれば、共に最善を尽くせたらと思います」
その言葉に、横山さんの目がみるみる見開かれ、背筋がぐっと伸びる。
机の上に置かれた手にも、自然と強い力がこもっていた。
何も言わない。
でも、その横顔には色んな感情が浮かんでいる。
悔しさ。焦り。そして、置いていかれたくないという感情。
きっと横山さんも、あの日のことを忘れられていないんだろう。
だからこそ、“次”に備えたいと思っている。
そんな横山さんの横顔を見ながら、俺は小さく息を吐いた。
母さんはしばらく黙っていたが、やがて静かに御影さんへ向かって頭を下げる。
「……この子を、お願いします」
その声は小さかった。けれど、その一言には母親としての覚悟が詰まっているように感じた。俺も慌てて頭を下げる。
「お願いします」
御影さんもまた、静かに頭を下げ返した。
窓の外では夕方の風が畑を揺らしている。
隣の部屋からは、相変わらず実里の笑い声が聞こえていた。




