第二十二話
「爺ちゃん! 鎌かして! この間の、反発石の!」
朝っぱらからそう叫びながら離れへ駆け込むと、爺ちゃんはいぶかしげに眉を顰めながらこちらを見た。何を言ってるんだこいつ、という顔だ。それでも爺ちゃんは文句を言いながら倉庫へ向かい、奥から使い込まれた鎌を一本取り出してくる。
「何する気だ?」
「えっ? 畑!」
俺が即答すると、爺ちゃんの眉間の皺がさらに深くなった。
けれど説明している暇はない。鎌を受け取った俺はそのまま駆け出した。後ろから「はぁ…」という呆れた声が聞こえた気がしたが、都合よく聞こえないふりをする。
畑へ着くと、ちょうど横山さんが水やりを終えたところだった。朝日を浴びた葉野菜が露を弾き、畝の間には元気な雑草がびっしりと生えている。
俺はその一角へ向かうと、鎌を構えた。
左手の指にはまった指輪へ親指を滑らせる。カチリ、と小さな音を立てて刃が飛び出した。そこへ今度は親指を軽く擦り付ける。ちくりとした痛みと共に滲んだ血を、そのまま鎌の刃へ塗り広げた。
「血装」
瞬間、身体がふっと軽くなる。その代わり、鎌の重みが一気に増した。
けれど、今の俺にはそれが心地いい。
よし。
心の中で小さく気合を入れ、俺はしゃがみ込んだ。
目の前にあるのは雑草。けれど、ただの草じゃない。この周囲には母さんが育てている野菜がある。一本でも傷をつければ、本気の説教が飛んでくる。いや、説教だけなら良いほうだろう。最悪、数日飯抜きか、実里の恋バナを聞かされる可能性がある。
だからこそ集中する。
雑草だけを狙う。速く、正確に、無駄なく。
呼吸を整え、俺は鎌を滑らせるように振るい始めた。
「……ねぇ、何やってんの?」
後ろから飛んできた横山さんの呆れ声にも、俺は振り返らなかった。
今、集中が途切れるのはまずい。
俺は片手を軽く突き出し、静かにしてくれと合図を送る。
「ちょっと黙って! 俺、今真剣!」
そう、今の俺は本気だった。
気づいたのだ。俺、雑草処理してる時めちゃくちゃ集中してるな、と。
だから自然と考えるようになる。
いかに速く。いかに丁寧に。いかに野菜へ傷をつけることなく、雑草だけを刈り取れるか。
それだけに神経を尖らせる。
「試しに広範囲を……」
そう呟きながら、俺はゆっくりと立ち上がる。
鎌へ意識を集中させ、力を込めすぎないよう抑え込みながら、横薙ぎに一閃した。
次の瞬間、バサバサバサッ! と小気味いい音が畑に響く。
五メートルほど先まで生えていた雑草が、一斉に切り倒れていった。
「おぉ!」
思わず感嘆の声が漏れる。綺麗にいった。
そう思った直後だった。
雑草に混ざって、母さんが育てていた野菜までゆっくり倒れていく。
「おぉ?」
俺の声が裏返る。
後ろでは横山さんが完全に真顔になっていた。
「ねぇ、マジで何やってんの?」
その後、当然のように母さんから盛大に怒られた。けれど、その代わり。
力を細かく制御する感覚だけは、確かに少し掴めた気がしたのだった。
その後、昼飯をまた山ほど食べた。
炊き立ての米を何杯もかき込み、肉を追加し、味噌汁までおかわりした俺を見ながら、向かいで飯を食っていた横山さんはげんなりした顔をしている。
「……見てるだけで胃がもたれそう」
「え、まだいけるけど」
「嘘でしょ?」
本気で引いた顔をされつつも、俺は最後の一口までしっかり平らげた。 身体が妙に栄養を欲している感覚がある。やっぱり血装って、かなり体力使うんだろうな。
そんなことを思いながら食後の水を飲み干し、俺たちは場所を移した。
畑から少し離れた開けた場所。
そこで俺たちが手にしたのは、木刀だった。
「ねぇ、これでいいの?」
俺は木刀を軽く振りながら問いかける。
あいつらが使っていたのは、空を飛ぶナイフだった。
こんな木刀の打ち合いで意味があるんだろうか。
けれど、俺の考えを察したのか、横山さんは小さく頷いた。
「まぁ、アレを完全再現は無理でしょ」
そう言いながら、自分の木刀を肩へ担ぐ。
「でも、虫と違って、人は考えながら戦うからね」
横山さんの目が、少しだけ鋭くなる。
「相手の隙を突こうとしたり、逆にあえて真正面から愚直に突っ込んできたり。騙したり、誘ったり、とにかく動きが読みにくい。まず俺たちは、そういう“人相手の戦い”に慣れるべきなんじゃないかなって思って」
「なるほど」
確かに、虫は本能的な動きが多いのか、種類ごとにある程度戦い方が決まっている。
でも、人間は違う。
俺は頷きながら、ちらりと横山さんの足へ視線を向けた。
「足は大丈夫なの?」
そう聞くと、横山さんは軽く片足を上げてみせる。
「あぁ、もうほとんど治ってる。今は念のための休養期間って感じだから気にしないで」
そう言いながら、横山さんは木刀をすっと構えた。
軽く膝を落とした自然体。けれど、その立ち姿には妙な圧がある。力んでいるようには見えないのに、隙がない。
俺も木刀を握り直し、呼吸を整える。
一瞬、空気が静まり返った。
遠くでは母さんたちが農作業をしている音が聞こえる。風が畑を抜け、葉が擦れる音が耳に入った。
次の瞬間、ほとんど同時に俺たちは地を蹴っていた。
カンッ!!木刀同士がぶつかり合い、腕に重い衝撃が走る。
重っ!
思わず歯を食いしばる。
見た目はそこまで筋肉質じゃないのに、押し込んでくる力が強い。いや、単純な筋力じゃない。身体全体を使って押してくる感じだ。
やっぱり軍の人だ。体の使い方が違う。押し合いながら、俺は改めて実感する。
俺も血装に頼ってばかりじゃ駄目だ。
アレはまだ長時間使えないし、使えば使うほど腹は減るし、体力も削られる。結局、最後に必要になるのは元の身体能力だ。
体力も、技術も、もっと鍛えないと。
そんなことを考えながら押し返した、その瞬間だった。
ふっと、相手の木刀から力が抜ける。
しまっ――。
前につんのめった俺の腹へ、次の瞬間には横山さんの足が鋭く伸びていた。
「ぐっ!」
鈍い衝撃が腹へ突き刺さり、後ろによろめく。何とか転ばず踏みとどまると、横山さんは木刀を肩へ乗せ、不敵に笑った。
「悪いけど、学生だからって手加減しないからね」
その言葉に、俺の口元にも自然と笑みが浮かぶ。
「むしろ、ありがたいっすね」
そう返した瞬間、俺は再び地面を蹴った。
一気に間合いを詰め、その勢いのまま跳躍する。上から力任せに木刀を振り下ろした――が、横山さんは身体を半歩ずらすだけでそれを躱した。
着地と同時に、今度は横薙ぎするけれど、それも最小限の動きで避けられる。
さらに頭上から振り下ろされる反撃。
俺は咄嗟に身体を逸らし、その一撃をかわした。木刀が空を裂く音が耳元を通り過ぎる。
速い。そして、上手い。
虫相手なら、力で押し切れる場面も多いけど、人間は違う。
フェイントもあれば、駆け引きもある。
力を抜くことすら攻撃になる。その感覚が、打ち合うたび少しずつわかってくる。
だからなのか。
避けられているのに、不思議と悔しさより楽しさの方が勝っていた。
気づけば、俺の口元には自然と笑みが浮かんでいた。
そのまま俺たちは、日が沈むまで木刀を打ち合い続けた。乾いた音が畑の端へ響き続ける。
汗で服はびっしょりになり、腕は重く、足も鉛みたいだった。それでも不思議と嫌じゃない。
横山さんも途中から完全に熱が入っていて、「今の避け方いいね!」「そこ踏み込み甘い!」とか言いながら、普通に本気で打ち込んできていた。
そして帰宅後。
疲れ切った身体で玄関を開けた瞬間、俺は固まった。
そこには、仁王立ちした母さんがいた。しかも、笑顔で。
「天斗君。おかえりなさい」
優しい。めちゃくちゃ優しい声。
でも逆に怖い。
俺はその顔を見た瞬間、身体をガタガタ震わせた。
「か……母さん」
すると次の瞬間。
「あんた……何収穫前の野菜まで切り倒してるのよー!!!」
家中が震えるんじゃないかってくらいの怒声が飛んだ。
その夜、俺は説教を受けながら心に誓った。
明日から、もっと真面目にパワー制御を頑張ろう、と。
それから数日。
俺は毎日のように横山さんと手合わせを続けていた。
やっぱり、元々戦闘慣れしている人間は違う。
身体の動かし方、重心移動、相手の崩し方。どれも勉強になることばかりだった。
そんな俺たちは今、畑の端っこに立っていた。
「ねぇ、やめとこ? 俺まで美穂さんにぶん殴られるから。マジ怖いから君のお母さん。やめとこ?」
横山さんは若干本気で怯えた顔をしながら、じりっと後ずさった。
けれど俺は首を横に振る。
「いや、今日こそは! 今日こそはいける!」
「そう言ってここ数日毎日起こられてるよ、俺! 大人になってからのマジ説教って心に来るんだから!」
切実な叫びが畑に響く。
でも、今日の俺には確信があった。
あれから何度も失敗した。雑草ごと野菜を刈り飛ばし、畝を削り、母さんの怒号を浴びた。そのたびに少しずつ感覚がわかってきたのだ。
力を流し込む量。刃へ伝える方向。
そして、“切るものだけを意識する”感覚。
俺は左手の指輪へ親指を滑らせた。
カチリ、と小さな音が鳴る。
飛び出した刃へそのまま指を擦り付け、滲んだ血を鎌へ塗り広げる。
「――血装」
俺は深く息を吸い込み、目の前の畑を見据えた。
雑草。
野菜。
切るものと、残すもの。その境界を頭の中ではっきり分けながら、ゆっくりと腰を落とす。
そして、一気に鎌を横薙ぎに振るった。
その瞬間、横山さんが息を呑む気配がした。
風が走る。 野菜の葉だけがふわりと揺れた。
そして、一拍遅れて――。バサササッ、と乾いた音が畑に広がる。
五メートル先まで生えていた雑草だけが、一斉に切れて倒れていった。
野菜は一本も倒れていない。
一瞬、静寂が落ちる。
俺はその光景を見つめ、それから勢いよく拳を握った。
「やっっったぁー!!」
思わず飛び跳ねる。
ようやく成功した。
その横では、横山さんが心の底から安堵したように長いため息を吐いていた。
「あぁぁ……よかった……これで俺、怒られずに済む……」
そんな俺たちの背後から、不意に低い声が降ってくる。
「――いったい、何をしているんですか?」
背筋がぞわりと粟立った。
二人同時にぎこちなく振り返ると、そこには腕を組んだ御影さんが立っていた。




