第二十一話
御影さんが家に来てから数日。
俺は毎日のように修行を続けていた。血装の維持とパワーコントロール。
以前よりは確実に扱えるようになっていると思う。思うのだが――実践ができないとなると、正直いまいち身についている実感がない。
しかも、御影さんは言っていた。あいつらみたいな、この島の人間以外がまた来る可能性は高い、と。
それなのに、俺が今やっていることは偶に畑に来る害虫の駆除と、まき割りをする際の力加減の調整だ。
「虫とばっか戦っていていいんかな……」
畑の端でしゃがみ込みながら、思わずそんな愚痴が口から漏れる。
あの日以来、夜に隠れて修行をする必要はなくなったので、俺の生活は再び昼型へ戻っていた。
おかげで実里とも顔を合わせる時間が増えたし、母さんも少し安心している気がする。
まぁ、その分、畑仕事を手伝わされる量も増えたけど。
そんなことを考えていると、不意に背後から思いがけない声が飛んできた。
「じゃあ、俺と手合わせとかする?」
軽い調子の声に振り返る。
そこに立っていたのは、以前、下校中に通学路に出た巨大蟻から女生徒を助けたときにいた軍人だった。
相変わらず少し着崩した軍服に、気の抜けたような笑み。どう見ても“強そうな軍人”というより、“近所の兄ちゃん”である。
「えっと……チャラい軍の人」
俺がそう言うと、男は露骨に嫌そうな顔をした。
「横山ね、横山。そろそろ名前覚えてくれてもよくない?」
そう言って肩を落とす姿に、思わず苦笑が漏れる。
でも、この人、確かあの他島の襲撃の時にも戦っていたはずだ。二つの剣を手に持ち、御影さんと前線にいた。
そう思って改めて見ると、軽そうな態度の奥に、どこか張り詰めた空気が残っている気がした。
そんな人が、何で普通に畑にいるんだ?
「えっ? ここで何してんの?」
俺がそう聞くと、横山さんは鍬を肩に担いだまま、ものすごく疲れた顔でこちらを見た。
「君のところの畑の復旧作業……は、もう終わったから、今は普通に畑仕事の手伝い」
そう言って、横山さんははぁぁーっと大きなため息を吐く。
それから鍬を地面へ突き、両手をその上に重ねると、そこへ顎を乗せた。完全に、働き疲れた農家のおじさんみたいな姿だった。
俺は思わず声を上げる。
「えっ!? 軍の人が畑やってくれてんの!?」
「んー……正確にはリハビリかな」
横山さんは頭を掻きながら、へらりと笑った。
「あの時に足怪我してさ。今は軍を休職中。実家が畑だから経験あるし、ここ手伝わせてもらってんの」
軽い調子で言っているけど、“あの時”という言葉に、俺は少しだけ表情を曇らせる。
他島の連中との戦闘。空を飛ぶ武器。大量に沸いた虫たち。
あの日のことを思い出せば、軽傷で済んだだけでも運が良かったのかもしれない。
けれど横山さんは、そんな空気を吹き飛ばすみたいに、再び鍬を肩へ担ぎ直した。
その姿を見ながら、俺は首を傾げる。
「え? じゃあ自分の家の畑手伝えばいいんじゃね?」
そう言うと、横山さんの視線がふっと東の森の方へ向いた。
あいつらの船が現れた方向。
空の向こうには、晴れた日だけぼんやりと別の島影が見える。
「ここを離れたくないんだよね……」
ぽつりと零された声は、さっきまでより少しだけ低かった。
「あいつらの船の燃料とかを調べた結果、“ギリここまで辿り着けた”って感じだったらしくてさ。ってことは、ここから見えるあの島のうち、どれかから来た可能性もあるじゃん?」
そう言って、横山さんは遠くの島影を細めた目で見つめる。
今まではただの景色だった空が、今は、あの向こうに“敵”がいるかもしれないと思ってしまう。
そう考えた瞬間、背中に薄ら寒いものが走った。
「軍の奴でも、もう立ち上がれないほどの怪我を負ったやつもいるし……何かしていたいんだよね」
横山さんは空を見たまま、ぽつりとそう呟いた。軽い調子で話していたさっきまでとは違う声色だった。
その短い間に、言葉にしなかった何かが詰まっている気がした。
昔、父さんが言っていたことを思い出す。
『軍は従事死亡者を公表しない。きっと若者の志願者が来なくなるから』
当時はその言葉を深く考えることなく「ふーん」とだけ答えた気がする。でも、その言葉の意味が、今なら少しわかる気がした。
世間は軍を“虫駆除係”なんて気軽に言う。
でも実際には、人知れず怪我を負って、命を落として、それでも表には出ない人たちがいる。
その温度差が、きっとずっと存在していたのだろう。
「そっか」
結局、俺の口から出たのはその一言だけだった。他に何を言えばいいのか、わからなかったから。
そんな空気を吹き飛ばすみたいに、横山さんはぐいっと背伸びをする。
「にしても、君のお母さん、人使い荒いよねー! もう体バキバキだよ!」
大げさに腰を叩く姿に、思わず苦笑が漏れた。
「我が家に、母さんに刃向かえる人間は一人もいないから」
「そんな気がするー」
けらけらと笑う横山さんに、俺は気になっていたことを問いかける。
「ねぇ、さっき言ってた手合わせって?」
そう聞くと、横山さんはにやりと不敵な笑みを浮かべた。
「そのままの意味。今回、俺たちも“人間相手”にはできないことが多いって痛感したんだよね」
そう言いながら、近くに停められていた軍の車両を指差す。分厚い装甲に大きなタイヤ。
“巨大な虫”を相手にすることを前提に作られている。
「普段の訓練も、基本は虫を想定したものばっかだしね」
横山さんは苦笑混じりにそう言ってから、ふっと空を見上げる。
「本来、人に関する事件は警察の出番なんだけど……」
そこまで言って、これでもかというほど大きなため息を吐いた。
「あいつら、基本“無抵抗かつ武器を持ってない相手”しか捕まえてないからさー!」
突然熱量が上がった。
「今回も、“他島からの侵略は警察の管轄外です”って国に言い切ったんだよ? ありえなくない?」
「えっ!? ありえねー」
思わず即答してしまう。いや、だって人が攻め込んできてるんだぞ?
むしろ警察案件では?
俺が本気で驚いていると、横山さんは「でしょー!?」と勢いよく食いついてきた。
でも、これって俺が聞いていい話なんだろうか、と少し不安になるが、横山さんは特に気にした様子もなく、畑の土を靴先で軽く蹴りながら話を続けた。
「そうなってくると、俺たちが対応するか、専門の部署を立ち上げるかって話になるんだけど……結局、“不確定な脅威に専門部署は作れません”ってことで、俺たちにお鉢が回ってきたの」
そう言って肩をすくめる姿に、思わず言葉が漏れる。
「大人って、大変なんすね」
すると次の瞬間、がしっと勢いよく両手を握られた。
「わかってくれるー!?」
感激したような顔で、横山さんがぶんぶんと俺の手を上下に振る。
「上は責任押し付け合うし! 予算ないし! でも現場は“何とかしろ”って言われるし! マジで胃が死ぬ!」
「わ、わかった! わかったから!」
思ったより力が強い。
必死に振られながら答えると、横山さんは満足そうに手を離した。
けれど、その数秒後。さっきまでの軽い雰囲気とは違う光が、ふっとその目に宿る。
「でも、やられたまんまも嫌だからね」
静かな声だった。
「リハビリも兼ねて、対人戦の相手してよ」
その言葉に、俺は自然と頷いていた。
「うん。俺もやりたい」
虫相手の戦いと、人間相手の戦いは全然違う。あの飛ぶナイフを見た時から、ずっとそう感じていた。
だからこそ、願ってもない話だった。
すると横山さんは、再びぱっと顔を明るくする。
「ありがとう!」
そして、また勢いよく俺の手を握って上下に振った。
「じゃあ、そのためにも畑仕事手伝ってね!」
――ん?
翌日から俺たちは、午前と午後に“畑仕事+手合わせ”を行うことになった。




