第二話
ここは、日照国。
空に浮かぶ島のひとつで、人が暮らす国だ。
海はなく、島の端まで行けばそのまま空へと落ちていく。
落ちれば終わり。戻ることはできない。
それでも人々は、そんな世界で普通に暮らしていた。
朝になれば畑を耕し、昼には汗を流して働き、夜になれば家へ帰る。飯を食い、風呂へ入り、眠りにつく。
いたって普通の生活だ。
――ただし、この国には巨大な虫がいる。
地面の下から当たり前みたいに現れる化け物だ。
だから、この国の人間は誰でも少しは戦える。戦えないと、生きていけないから。
そして、この世界には、もうひとつ妙なものがある。
“反発鉱石”。
大地と反発し、物を浮かせる石だ。
それを利用して、人は少しだけ空を走ることができ、浮くこともできる。けれど、飛ぶことはできない。
空を見上げれば、遠くに他の島が浮かんでいるのが見える。飛ぶことは叶わないため、近くに見えても他の島へと渡る方法は存在しなかった。
だから、この世界は近いようで遠い。
あの島にも人が住んでいるのか。どんな暮らしをしているのか。きっと、誰もが一度は考えたことがあるだろう。
そんな場所で――神代天斗は、今日も遅刻しそうになっていた。
ズザァッと砂煙を巻き上げながら、俺はフロートボードごと学校の正門前へ滑り込んだ。
前方ファンがゴウッと唸り、ボードが地面すれすれで急停止する。その反動を利用して飛び降りると、靴底が地面を擦り、ジャッと乾いた音を立てた。
「よしっ! 間に合った!」
跳ね上がったボードを片手で掴み、そのまま肩へ担ぐと、聞き慣れた声が飛んできた。
「天斗っ!」
振り向けば、こちらへ駆け寄ってくる男子生徒がいた。
「おう! おはよー! 創太」
「天斗っ、お前アレ乗りこなしてんじゃん! ネタで付けたのにすげぇな!」
鍛冶創太。技術科に通う幼馴染だ。
俺のフロートボードを改造してくれた張本人でもある。
「創太のおかげで今日遅刻しなかったわ。思ってたより速くて、ちょいビビったけど」
「だろ? 後部ファン強化したからな!」
得意げに笑う創太へ笑い返しながら、二人はボード置き場へ向かった。
固定器具へ差し込むと、カチリと金属音が鳴る。
朝の校舎には、まだ少し湿った風が流れていた。
畑帰りの生徒、眠そうな終日通学生、工具箱を抱えた技術科の人間。様々な生徒が行き交う廊下を、二人で歩いていく。
すると創太が、ふと気づいたように天斗の前髪をつまみ上げた。
「つか、お前マジで染めたんだな」
「どーよ?」
「めっちゃ似合ってんじゃん」
「マジ!? 実里にも褒められたし、すげぇ嬉しいわ」
そんな話をしながら廊下を歩いていると、横から声が飛んできた。
「相変らず、馬鹿な奴とつるんでんのか? 創太」
振り向けば、技術科の制服を着た男子生徒がこちらを見ていた。中学の頃から何かと突っかかってくる男だ。
「えーと……あっ、高田!」
「高峰だっ! いい加減覚えろ農家野郎!」
「えー! お前も俺の名前ちゃんと覚えてないじゃん」
「覚えてるわ! 神代天斗とか無駄にいい名前しやがって!」
「ははっ、照れる」
頭を掻く天斗を見て、髪色の変化に気づいたのか、高峰 圭吾が呆れたように鼻を鳴らす。
「はっ、バカがもっとバカっぽくなったな!」
「実里にも褒められたんだよ。我ながら上手く染まったわ」
「俺は褒めてねーよ! バカは会話もできないのか」
いつもの調子で言い合っていると、創太が困ったように笑った。
「天斗、もうチャイム鳴るぞ」
「あっ、やべっ! 俺行くわ! またな創太、高野!」
「またなー」
「俺は高峰だバカっ!」
背後から飛んできた怒鳴り声を聞きながら、天斗は笑って廊下を駆けていく。
日照国では、中学に入る頃には家業を手伝い始める子供が多い。農家なら畑。酪農家なら家畜の世話。工房の子供は、道具の名前から覚えていく。
そのため高校でも、通学形式は大きく二つに分かれていた。
午前か午後を家業へ充てる半日通学制。そして、研究や開発、公務員や官僚を目指す終日通学制だ。
特に技術科は朝から夕方まで学校漬けで、防壁管理や浮遊機関、反発鉱石の研究などを学ぶ、いわゆるエリートコースだった。
もっとも、この国では畑帰りのまま登校してくる生徒も珍しくない。制服に土がつき、靴の裏に泥が残っている。それが日常だ。
ただ、学生には学生なりのヒエラルキーがある。技術科や終日通学生が上。半日通学生、とくに農家組は下。
学校の中では、そんな空気がなんとなく出来上がっていた。
とはいえ、天斗からすれば、土のついた靴で学校へ来る人間が下に見られる理由はよくわからない。
飯を作る人間がいなくなったら、全員困るだろ。その程度の認識だった。
「おはよー」
自分の教室の扉を開け、中へ入る。
初日とはいえ、この街に高校は一つしかない。しかも半日クラスは中学からの持ち上がりが多いため、教室の中には見慣れた顔ばかり並んでいた。
天斗は黒板に貼られた座席表を見ながら、自分の席へ向かう。
「らっきー。神席じゃん」
窓側、一番後ろ。
思わず声を漏らしながら席へ座ると、前の席の男子が振り返った。
大田 耕作。中学からの腐れ縁である。
「天斗、髪きまってんねー」
「耕作も染めてんじゃん。いいねピンク。耕作って感じ」
「だろー? つか、また後ろが天斗とかいい加減飽きるわ」
「名簿順だとそうなるわな」
笑いながら窓の外を見る。
ずっと先まで続く、綺麗な青空だった。
今日も風がいい感じに抜けている。遠くには畑が見え、そのさらに向こうには、空へ突き出した島の端が見えていた。
そうこうしているうちに担任が教室へ入ってきて、学校説明が始まる。
だが天斗は、半分ほど聞き流していた。
(今日もいい天気だな。)
そんなことを考えながら、ぼんやり空を眺めていると、ふと違和感が目に入る。
「なぁなぁ、耕作」
「んぁ?」
眠そうに返事をする耕作の背中を、指先でつつく。
「なぁ、あんな所に島あったっけ?」
窓の向こう、青空の中に小さな黒い影が浮かんでいた。
島――に見えなくもない。
耕作も目を細めながらそちらを見る。
「あぁ? あんな方向には無かった気がするけど……鳥じゃね?」
「いや、あんなデカい鳥いたらビビるだろ。カブトムシならまだわかるけど。でもカブトムシって、あんな遠くまで飛ばねーだろうしな」
「んじゃ、めっちゃ飛べるカブトムシなんじゃね? まだ時期ちょい早いけど。それかセミとか?」
「セミかーー! セミのデカいの迷惑すぎるよな。鳴き声で家潰れそうになるし、ションベンで豪雨だし」
「もしこっち来たら速攻、虫駆除隊に連絡しよ」
「虫駆除隊って……軍だろうよ」
そんな話をしていると、教卓に立っていた担任がこちらを振り返った。
「おいっ! 大田、神代! 静かにしろ」
「「すみませーん」」
適当に謝りながら前を向く。
だが天斗は、もう一度だけ窓の外へ視線を向けた。そこには、黒い影がまだ浮かんでいた。
そして休憩時間。
「そういえば、ニュース見た?」
「あんの?」
持参したオニギリにかぶりつきながら聞くと、耕作は呆れたようにため息を吐いた。
「天斗、ほんっとテレビ見ねーからな。芸人のモスコだよモスコ」
「あー……なんか、ちょっと前人気だったよな」
「そーそー。で、最近人気落ちてきて焦ったのか、ネタで虫食ったんだって」
「えっ?」
思わず動きが止まる。
「虫って……もしかして、デカいやつ?」
ごくり、とオニギリを飲み込む。
「そー! 大型の虫食ったら呪われるなんて、子供でも知ってるのにバカだよなー」
普通食べないだろ!と笑う耕作の声がどこか遠く聞こえる。
この国の虫には、小さいものと大きいものがいる。小さい虫なら普通に食べる人間も昔はいたそうだが、大型虫は別だ。
昔から、“デカい虫を食べると呪われる”と言われている。病気になり、幻覚や幻聴など頭がおかしくなる。そして、死ぬ。
他にも色んな噂があるが、とにかく「食うな」が共通認識だった。
「んで、その人どうなったん?」
「意識不明の重体だってよ」
その言葉に、天斗は思わず唾を飲み込んだ。自分でもわかるくらい、反応が固くなっていたらしい。
俺の態度に違和感を感じたのだろう。耕作が少し眉を下げた。
「何? 天斗、実はファンだったとか?」
「いや、違うけど」
違う。
ただ――。
「その人。良くなると良いな」
そう言いながら、天斗は心の中で思う。
――やっぱり、うちの爺ちゃんはイカれてる。と。




