第十九話
東の空が白み始めたころ、俺は離れにいる爺ちゃんの部屋の扉を、すらりと開けた。
布団からゆっくり起き上がった爺ちゃんと目が合う。
「見つかっちゃった☆」
できる限り可愛く言ってみた瞬間、爺ちゃんは枕元の目覚まし時計を掴み、そのまま俺へ向かってぶん投げてきた。
「っぶな!?」
慌てて身を引き、すごい勢いで飛んできたそれをギリギリ避けるも、俺の後ろにいた人物の大きな手が、飛んできた目覚まし時計をバシリと受け止めた。
「おはようございます。こんな時間から失礼いたします」
御影さんの落ち着いた声が、静かな朝の空気へ溶け込む。
「…………」
爺ちゃんは険しい顔のまま黙り込み、そして、俺をジロリと睨む。俺は気まずさを誤魔化すように頬を掻いた。
起き上がった爺ちゃんが大きなため息を吐きながら、離れの居間へ移動するころには、部屋へ朝日が差し込み始めていた。
ちゃぶ台を挟み、爺ちゃんと御影さんが向かい合って座る。その間で俺は、焼きたてのパンへ遠慮なくかぶりついていた。
「このパン旨ぁ」
チーズパンに、ソーセージと卵を挟んだだけの簡単なものだ。さっき母屋へ戻って焼いてきた。
母さんたちの分も一緒に作って、向こうの机へ置いてきている。
焼けたチーズの香りと肉の塩気が空腹の身体へ染み渡り、思わず頬が緩んだ。
「朝から、ずいぶんと食べますね」
御影さんの視線が俺の皿へ向く。そこには、山盛りのソーセージが積まれていた。
「いやぁ、腹減ってて」
へへっと笑うと、御影さんは小さくため息を吐いた。
だが次の瞬間、その目が鋭く細められる。
「いったい何をしていて、お腹が減っているんですか?」
「あっ」
これって、もしかして誘導尋問ってやつ?
穴から這い出した時も、御影さんは鬼みたいな顔で腕を組み、仁王立ちしていた。
しかも怖いのが、怒鳴るわけじゃないことだ。
むしろ、数秒後にはにこやかだった。人生で初めて見るぐらい爽やかな笑顔で、
「ここで、こんな時間に、何を?」
と聞いてきたのだ。圧がとんでもなく凄かった。
あの状態で「巨大蟻と殺し合いしてました」なんて言える高校生がどこにいる。
結局、俺は曖昧に笑うことしかできず、そのままここまで連行されたのである。
(だって、勝手に話していいのかわからないし)
そう思いながら、ちらりと爺ちゃんを見る。
腕を組み、机を睨んでいた爺ちゃんは、盛大にため息を吐いた。そして、その目線をゆっくり御影さんへ向ける。
「修行だ」
「……修行、ですか?」
御影さんの眉がぴくりと跳ねた。
どう考えても納得していない顔だったが、爺ちゃんは気にした様子もなく続ける。
「そちらは、こんな時間に何をしに来た?」
そう問い返され、御影さんは一つ頷いてから口を開いた。
その間にも、俺はチーズパンへソーセージと卵を挟み込み、大口でかぶりつく。
うまっ。
「こちらには昨日から来ておりました。再度、念のため奴らの仲間がこの森へ潜伏していないか確認するためです。見つけたのはこちらの元気なお子様だけでしたが」
「えっ? お子様って、俺?」
思わず聞き返す。高校生なんですけど。
「それで、何か見つかったのか?」
爺ちゃんが低い声で問いかけるも、御影さんは静かに首を振った。
「いえ。唯一、生きて捕獲した人物も“六人で来た”と言っていますし、船へ残されていた荷物も六人分だったようです。おそらく取り逃がしはないはずです。今回は念のための確認でした」
俺はカフェオレを一口飲み込み、恐る恐る口を開いた。
「結局、あいつらって誰だったの?」
そう問いかけると、御影さんは少しだけ表情を曇らせる。
「ここ以外の島から来た、ということ以外は……。目的についても追及しましたが、口を割る前に自害しました」
「じが……」
思いがけない言葉に、それだけを漏らして口を開いたまま固まる。
そんなこと、マジであるの?
漫画やドラマの中の話じゃなくて?
戸惑う俺を他所に、御影さんは淡々と続ける。
「現在、国の解析チームが彼らの船や持ち物を確認しつつ、少しでもこの島へ来た理由を調べています」
まるでドラマの中の話を聞かされているみたいで、気持ちが追いつかない。視線を彷徨わせていると、爺ちゃんが低い声で御影さんへ問いかけた。
「また、この島にあいつらのような奴が来る可能性は?」
爺ちゃんの問いかけに、俺は思わず息をのんだ。
御影さんはすぐには答えなかった。
一度だけ視線を落とし、静かに考えるような間を置いてから、まっすぐ爺ちゃんを見据える。
「高いです」
その言葉を聞いた瞬間、背中へ冷たいものが這った。
また、来る?あいつらみたいな奴が?
人を殺してでも、自分たちが生き残ろうとしていた連中が?
強くなろうとは思っていた。
爺ちゃんが言っていたことも、理解したつもりだった。
けれど、実際にその可能性が高いと聞かされると、頬を冷や汗が伝う。
あの時感じた、“死ぬかもしれない”という恐怖。
“誰かを失うかもしれない”という恐怖が、再び胸の奥からじわじわ湧き上がってきた。
御影さんはそんな俺をちらりと見たあと、再び爺ちゃんへ視線を戻す。
「ですので、教えていただきたいのです。あなた方は一体、何をしていたのですか?」
俺も爺ちゃんへ視線を向ける。すると爺ちゃんは、諦めたように大きくため息を吐いた。
それから湯呑みへ手を伸ばし、一口茶を飲む。
静かな朝だった。障子の向こうでは鳥の鳴き声が聞こえ、湯気の立つ茶の香りがゆっくりと部屋へ広がっている。なのに今ここで交わされている話は、どこまでも現実離れしていた。
爺ちゃんは重たい口を開き、血装について大まかな説明を始めた。
反発鉱石の事や、血を使った強化。
身体能力の向上と、肌の硬化。
御影さんは一言も口を挟まず、じっと爺ちゃんの話を聞いている。やがて一通り話を聞き終えると、小さく息を吐いた。
「なるほど……それは、この家以外の神職の家系にも伝わっているのでしょうか?」
その問いかけに、爺ちゃんはゆっくり首を振る。
「さぁな。俺の祖父の世代で、ずいぶんと神職が減った。それ以降も続けている家があるかどうかは定かじゃない」
爺ちゃんの答えに、御影さんは悩ましげに顎へ手を添えた。しばらく考え込むような沈黙が落ちる。
朝日が少しずつ障子を明るく染め、居間の空気が静かに温まっていく中、御影さんはゆっくり口を開いた。
「それは、本当に神職の方だけなのでしょうか?」
――どんっ!!
次の瞬間、爺ちゃんの拳が机を叩いた。湯呑みが跳ね、茶が大きく揺れる。
「だから言いたくなかったんだ!」
低く怒鳴る声が居間へ響いた。
御影さんが目を丸くする。俺も思わず瞬きをした。
こんな風に露骨に感情を荒げる爺ちゃんは珍しい。
さっきまで漂っていた朝の穏やかな空気が、一気に張り詰めたものへ変わっていく。
爺ちゃんは険しい顔のまま腕を組み、苦々しそうに机を睨みつけていた。
俺はその空気に耐えきれず、深くため息を吐く。
「爺ちゃん、それだと俺もわかんないんだけど。どういうこと?」
そう問いかけると、爺ちゃんは再び盛大なため息を吐いた。
まるで、できれば思い出したくもない話を無理やり掘り返しているような顔だった。
「このことは、神職の中だけで受け継ぐものだ。ほかの人間には決して漏らすなと、俺も祖父に強く言われてきた」
爺ちゃんはそう言って湯呑みを持ち上げ、一口茶を飲む。その横顔は、どこか苦々しげだった。
しばらく沈黙が落ちる。
俺も御影さんも、続きを待って口を閉ざしていた。
やがて爺ちゃんは、低い声でぽつりと続ける。
「その理由は……過去に、自分の子供を殺す親が大量に溢れたからだ」
思いがけない言葉に、俺は目を見開いた。
自分の子供を、殺す?
何で?
意味がわからない。
頭の中で言葉だけが空回りする。
けれど、俺とは反対に御影さんは何か納得したように小さく頷いた。
「なるほど……。以前は、特にこの島へ“政治”というものが根付くまでは、神職の方々が莫大な富を築いていたと聞いたことがあります」
「えっ?! そうなの?」
思わず勢いよく聞き返す。今の貧乏農家っぷりからは想像もつかない事柄に思わず大きな声が漏れた。
畑で汗水垂らして、台風来るたび頭抱えて、軽トラのガソリン代で悩んでる家だぞ?
俺は思わず勢いよく爺ちゃんを見る。すると爺ちゃんは、苦い顔のままゆっくり頷いた。
「あぁ。軍などができる前は、各地域の神職が虫から土地を守っていた。その対価として礼金や供え物を大量にもらい、周囲の人間とはずいぶん違う生活をしていたらしい」
爺ちゃんはそう言って、冷めかけた茶をゆっくり飲み込む。
「虫を食えば強くなれる。そうすれば、今よりもっと良い生活ができるかもしれない」
爺ちゃんの声は低い。怒っているというより、呆れ果てているような声音だった。
「そう考えた馬鹿が起こす行動なんて、決まっている」
その言葉を聞いた瞬間、俺の頭へ嫌な想像が浮かぶ。
まだ小さい子供。
泣きながら嫌がる子供へ、無理やり虫を食わせる大人。
力を得られるかもしれないから。
家が豊かになるかもしれないから。
胃の奥が、気持ち悪くなる。
「だから、自分の子供に虫を食わせるって?」
掠れた声でそう聞き返すと、爺ちゃんは無言のまま頷いた。
「ありえねー……」
俺の口からは、思わずそんな言葉が漏れていた。




