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落ちたら死ぬ浮遊島で、爺ちゃんに禁忌の巨大昆虫を食わされた農家の俺は血装の斧を振るう  作者: 白波 いつき
第一章

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第十六話

 朝日が昇り始め、森の中にも淡い光が差し込みはじめる。

 夜の間は黒く沈んでいた木々が、少しずつ輪郭を取り戻していく。

 葉の先には朝露が光り、川のせせらぎも昨夜より穏やかに聞こえた。


 俺は大きく息を吐きながら、肩へ斧を担ぐ。


「帰るか」


 結局、まだ血装とかいう皮膚の硬化には至れていない。

 マジで、“皮を一枚被る感覚”とか意味わかんねぇ。


 あれからしばらく岩を叩き割っていたが、ほんの少しだけ力加減がコントロールできている気はする。


 たぶん。きっと。

 

 いや、そう思いたい。


「あぁー! 身体中いてぇ!」


 思わず情けない声が漏れた。

 急に身体能力が底上げされた状態で何時間も動き回っていたせいか、全身が筋肉痛みたいに軋んでいる。


 腕も足も重いが、特に肩がやばい。

 斧を振り回した反動なのか、背中まで痛かった。


「頭もなんかフラフラするし……」


 森の中をガサガサと歩きながら、口から文句が止まらない。


 血装する前からこれって、血装使いこなせるようになったらどうなるんだよ。


 (貧血で死ぬんじゃないか?)


 そんなことを考えながら木々の間を抜けていく。


 昨夜は不気味だった森の中も、朝になると少しだけ違って見えた。


 鳥の鳴き声が聞こえ、風が葉を揺らす音も穏やかだ。


 けれど、その奥では今も変わらず、ザワザワと虫のうごめく音が耳の奥へと届いてくる。昨晩よりかはマシだけど……


「……これ、一生慣れる気しねぇ」


 ため息混じりに呟きながら、俺は森の出口へ向かって歩き続けた。


 森を抜け、開けた場所へ出た途端に、視界いっぱいへ朝日が飛び込んできた。


「っまぶし……」


 思わず目を細めながら、大きく伸びをすると背骨がばきばきと鳴った。


 遠くからは低い駆動音が聞こえてくる。軍のフロートトラックだ。


 俺は自分の姿を何とはなく見下ろす。

 泥だらけ。汗まみれ。一回川に投げ込まれたからか、服がカピカピで草までついてる。

 どう見ても不審者だった。


「やべ、こんなドロドロ怪しすぎる」


 もし軍の人間に見つかったら絶対止められるだろうな。下手したら職質される。

 そう思い、足早に家へ向かって駆け出した。


 不思議なことに、一晩前より随分と気持ちは落ち着いていた。


 相変わらず虫の音は聞こえる。


 身体も痛い。


 わからないことだらけだ。


 それでも、“何をすればいいのかわからない恐怖”は少しだけ薄れていた。


 そんなことを考えているうちに家へ辿り着くと、家の前では、母さんが畑へ出る準備をしていた。


 帽子を被り、軍手を腰へ挟み、水筒を荷台へ置いている。

 そして、こちらへ気づいた瞬間――目が吊り上がった。


 やべぇ。母さんに何も言わず出たの忘れてた。


 あからさまに怒った顔で近づいてくる母さんに、俺は引きつった笑みを浮かべる。


「お、おはようございまーす……」


 逃げ腰気味に挨拶した次の瞬間。母さんは無言で俺の胸ぐらをグイッと掴んだ。


「何よこの服! ドロドロじゃないっ! って、何!? ガサガサしてる! どうやったらこんなことになるのよ!」


 母さんは俺の胸ぐらを掴んだまま、泥だらけになった服をぐいぐい揺らす。

 でも、母さんが怒っているのは勝手に夜家を抜け出した俺自身に対してではなく、完全に服に対してだった。

 恐らく、爺ちゃんが事前に何か話していたんだろう。


 俺は心の底からホッとしながら、誤魔化すように頭を掻いた。


「ごめん。ちゃんと自分で洗うから許して」


 そう言って顔の前で両手を合わせる。

 すると母さんは、怒った顔のままじっと俺の顔を見つめてきた。さっきまでの勢いとは違う視線だった。

 何かを確かめるみたいに、まっすぐ俺を見ている。


 その視線に少しだけ居心地の悪さを感じていると、母さんはぽつりと呟いた。


「……ちょっと落ち着いたみたいね」


「え?」


 聞き返そうとした頃には、母さんはもういつもの調子へ戻っていた。


「ちゃんと自分で予洗いもしなさいよ! 泥ついたまま洗濯機入れたら許さないからね!」


「はいはい」


 俺が苦笑混じりに返事をすると、母さんはふんっと鼻を鳴らし、そのままトラックの方へ向かう。

 けれど、荷台へ手をかけたところで、何かを思い出したようにこちらを振り返った。


「そういえば、創太君が来て、アンタの壊れたフロートボード持っていったわよ」


 その言葉に、俺の動きがぴたりと止まる。


「えっ、何で!?」


「アンタがボード壊したからでしょ。直して持ってくるから、また一緒に学校に行こうって言ってたわよ」


 思いがけない言葉に、心臓がドクンと大きく跳ねる。

 あの時、俺は創太を突き放したはずだ。


 信じてくれている相手に、自分から“人を殺した”なんて言葉をぶつけた。


 もう普通には戻れないと思った。

 怖がられるかもしれない。距離を置かれるかもしれない。

 そう思っていたのに――。


 ――まだ、一緒にいようとしてくれてるのか。

 その事実が胸の奥へじわりと広がった瞬間、鼻の奥がツンと痺れた。


「……」


 言葉が出ない。俯く俺に、母さんが怪訝そうにこちらを覗き込む。


「……アンタ、泣いてんの?」


「ってねーよ!」


 反射みたいに叫び返し、俺は勢いよく家へ飛び込んだ。

 そのまま後ろ手で玄関の扉を閉め、逃げるように風呂場へ駆け込む。


 だから俺は気づかなかった。


 閉じた扉の向こうで、母さんが少し泣きそうな顔をしながら、小さく「良かったわね」と呟いていたことに。


 風呂場へ入ると、すぐにシャワーを捻る。

 ザーッという勢いのいい音が狭い空間へ響き、熱い湯が頭から一気に降り注いだ。泥や汗が流れ落ちていく。


 俺は顔を覆うように、頭から湯を浴び続けた。

 脳裏には、創太の顔が浮かぶ。


『おれ、あんなん信じてないから!』


 泣きそうな顔で叫んでいた姿が頭から離れない。


「……っ」


 胸の奥がじんわり熱くなる。


 しばらく無言でシャワーを浴び続け、全身を洗い終えた頃には、少しだけ頭もすっきりしていた。

 俺は濡れた前髪をかき上げながら、自分の頬をぱちんと軽く叩く。


「よしっ」


 小さく気合いを入れるように呟く頃には、もう涙は引いていた。

 まだ胸の奥は少し熱いけれど、さっきみたいに泣きそうにはなっていない。


 風呂場の鏡へ映る自分を見て、俺は軽く頬を引っ張った。


「……よし、大丈夫」


 そう確認してから風呂を出ようとして、ふと思い出す。


「あ、やべ。服洗わなきゃ」


 母さんの顔が脳裏をよぎった。

 あの泥だらけの服をそのまま洗濯機へ放り込んだら、絶対怒られる。


 俺は慌てて脱ぎ散らかした服を抱え、洗濯場へ向かった。

 水へ浸した瞬間、茶色い泥がどろりと浮き上がる。


「うわ、汚っ……」


 どんだけ森転げ回ってたんだ俺。

 そんなことを思いながら、泥を揉み出し、ブラシで擦り、何度も水を替える。

 これで「予洗いしてない!」とか言われたら泣く。


 ようやく満足いく程度に泥を落とし終えた頃には、どっと疲れが押し寄せていた。



 そのまま自分の部屋へ戻り、ボフリと布団へ倒れ込んだ。


 柔らかい布団が全身を包み込み、思わず「あ゛〜……」と変な声が漏れた。


 疲れた。身体が重い。でも、不思議と嫌な疲れじゃなかった。


 ふと、創太へメッセージを送ろうかと思い立つ。

 携帯を手に取り、画面を開くも、


 何て送ればいいんだろう。

 ありがとう?ごめん?また学校行こう?


 頭の中で言葉を並べているうちに、意識がふわふわと沈み始める。

 徹夜明けの身体は、思っていた以上に限界だったらしい。


 その後の記憶は曖昧で――気がつけば、俺は熟睡していた。


 どれくらい眠っていたのだろう。日差しが傾きかけた頃。


「……兄……天兄!」


 胸元へずしりと重みがのしかかり、俺は意識を浮上させる。

 薄く目を開けると、すぐ目の前に実里の顔があった。


「天兄起きた!」


 ぱっと花が咲いたみたいな笑顔が目の前で弾ける。


「……実里。おはよ」


 まだ半分眠ったままそう返すと、実里は俺の胸へ乗り上げたまま、ぴょんぴょん飛び跳ね始めた。


「起きて! 起きて!」


「ぐぇっ……!」


 待って。軽いとはいえ、そこで跳ねられると普通に苦しい。

 徹夜明けの身体には地味にダメージがでかい。

 俺は呻きながら実里の身体を支え、そのままベッドから下ろした。


 それから自分もゆっくり足を床へ降ろす。

 まだ少し身体が重いけれど、朝よりはずっとマシになっていた。


 何とは無しに手をグーパーと動かす。

 そんな俺を見下ろしながら、実里は腰へ手を当て、仁王立ちする。

 小さいくせに妙に迫力だけはあるな。どこか母さんを彷彿とさせる佇まいだ。


「天兄! この間遊ぶって言ってた約束、まだ守ってもらってないよ!」


「えっ……約束、したっけ?」


「したよ! この間! 帰ってきたら一緒に遊ぶって!」


 むぅっと頬を膨らませる実里に、寝ぼけた頭で必死に記憶を探る。


 ……した。かも?――いや、たぶんした。


 ここ数日いろいろありすぎて記憶がごちゃごちゃになっているけど、実里相手なら普通に言ってそうだ。

 というか、この顔を見る限り絶対言ってるな。


 俺は誤魔化すように実里の頭をくしゃりと撫でる。


「ごめんな。今から遊ぶか?」


 その瞬間、実里の瞳がぱあっと輝いた。


「遊ぶっ!」


 さっきまで怒っていたのが嘘みたいな笑顔だった。

 現金だなぁと思いつつ、その笑顔を見るとこっちまで少し楽しくなる。


 結局そのまま、俺は実里のおままごとへ付き合わされることになった。


 ぬいぐるみを客役にされ、よくわからない料理を振る舞われ、お茶会を開かれ、途中から何故か俺が“犬役”になった。


「わんわん言って!」


「いや、何で!?」


「いいから!」


 小さな暴君爆誕····と思いつつも、楽しそうに笑う実里を見ていると、まぁいいかという気持ちになる。


 気づけば、窓の外は茜色に染まり始めていた。

 その頃になって、テーブルの上へ置いていた携帯がぶるりと震える。


 俺はおままごとセットを避けながら携帯を手に取った。

 画面を見れば、母さんからメッセージが届いている。


『野菜のパッキングが終わってないから、晩御飯適当に作っといてくれる?』


 その文章を見た瞬間。ぐぅぅぅぅぅぅと、腹が盛大に鳴った。


「……めっちゃ腹減った」


 思わず呟きながら、俺はすぐさま返信を打つ。『肉いっぱい使っていい?』

 そう、送信して数秒。すぐに返事が返ってきた。


『冷凍庫にあるのを好きにしなさい』


 その返信を見た瞬間、俺は小さくガッツポーズをする。


「よっしゃ」


 身体が、やたら肉を求めている。

 血装だとかいう意味不明な力のせいなのか、それとも単純に動き回りすぎたせいなのか。


 そういえば、爺ちゃんも昔から異様に肉を食っていた気がする。


 もしかしてアレ、血装のせいなのかな?


 そんなことを考えながら冷凍庫を開けると、中には大量の鶏肉が詰まっていた。


「おぉ……」


 思わず感嘆の声が漏れる。

 どうやらまとめ買いしたばかりらしい。


 俺は冷凍庫を覗き込みながら、リビングにいる実里へ声を飛ばした。


「実里ー! てりやきチキンか、鶏の唐揚げどっちがいい?」


 すると、少し考えるような間があってから、元気な声が返ってくる。


「んー……両方!」


「どっちか!」


 即座にツッコミを返す。


 そんな俺に、実里は台所までやって来ると、胸の前で両手を組み、きらきらした目でこちらを見上げてきた。


「だって、実里、天兄が作る唐揚げも、てりやきも、どっちも好きなんだもん」


「うっ……」


 その言い方はずるい。そんな顔で言われたら断りづらいだろ。

 見つめ合うこと数秒。

 俺は悩んだあと、観念したようにため息をつく。


 そして、徐ろに腕まくりをし、壁へ掛けられていた母さんのエプロンを手に取った。


「しょうがないなー!」


 俺がそう言うと、実里は「やったー!」と飛び跳ねる。

 その姿を見ながら、俺は鶏肉を取り出した。


 今日の晩御飯は、唐揚げとてりやきチキンだ。

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