↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
落ちたら死ぬ浮遊島で、爺ちゃんに禁忌の巨大昆虫を食わされた農家の俺は血装の斧を振るう  作者: 白波 いつき
第一章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
10/34

第十話

 校長室には、張り詰めた空気が流れていた。

 俺は軽く一礼し、そのまま校長室へ足を踏み入れた。


 校長は静かにこちらを見つめたあと、応接用のソファを指さす。


「よく来てくれた。そこに掛けなさい」


 穏やかな声音だった。けれど、その奥にある緊張までは隠し切れていない。


「……はい」


 短く返事をし、ソファへ向かおうとした時だった。校長が今度は喜捨先生へ視線を向ける。


「ありがとう。もういいよ」


 その言葉に、喜捨先生は「失礼します」とだけ告げ、こちらを一瞥してから部屋を出ていった。


 扉が閉まる。

 その瞬間、部屋の空気が少しだけ変わった気がした。


 教頭はどこか落ち着かない様子で指を組み、校長は静かに俺を見ている。

 まるで、何から話すべきか迷っているみたいだった。


 俺がソファへ腰を下ろすと、向かい側へ校長がゆっくりと座った。その隣には教頭が腰掛ける。


 広くはない校長室だったが、妙に距離を感じた。


 教頭は一度こちらを見てから、どこか気遣うような表情を浮かべる。


「身体は大丈夫なのかい?」


 その声だけは、さっき廊下で向けられた視線とは違っていた。普通に、生徒を心配する大人の声だった。


「あっ、はい。しっかり寝たので、スッキリしています」


 そう答えると、教頭は眉を寄せる。


「二日間も寝込んだと聞いている。すぐに起きるのは辛いんじゃないか?」


 その言葉を聞いた瞬間、俺は目を瞬かせた。


 二日間。

 頭の中で、その言葉がゆっくり反響する。


 (俺、二日も寝ていたのか)


 あの出来事は、昨日のことだと思っていた。

 畑へ行って、虫が出て、あの黒い連中が現れて――そこから先の記憶はぼやけているのに、感覚だけは昨日の続きのままだった。


 だから、二日という言葉が妙に現実感を持たない。

 そんな俺の反応が顔へ出ていたのだろう。向かいに座る校長と教頭も、揃ってわずかに目を見開いた。

 短い沈黙が落ち、やがて、校長が小さく咳払いをした。


「神代天斗くん。君は今の状況を把握しているかい?」


 低く落ち着いた声が、静かな校長室へゆっくりと響く。

 俺は小さく首を振った。


「すみません。起きてすぐ、ここに来たので……」


 そう答えると、校長は少し困った様に、小さく息を吐く。

 その顔には、教師としての冷静さだけじゃなく、どう説明するべきか迷っているような色も浮かんでいた。


 校長はスーツの内ポケットから携帯を取り出し、何度か画面を操作する。そして、その画面をこちらへ向けた。


 映し出されていたのは、さっき耕作に見せられた写真だった。

 黒い服の男へ向かって、俺が斧を振り下ろそうとしている瞬間。


 改めて見せられると、胸の奥が嫌なふうにざわつく。まるで、自分じゃない誰かを見ているみたいだった。


「この写真が、既に広く出回っている」


 校長の低い声が静かに響く。


「これはっ――」


 俺は反射的に口を開いた。

 何があったのか。あの時どういう状況だったのか。説明しなきゃと思ったのだ。


 けれど、校長はそれを遮るように静かに手を上げる。


「私たちは、何があったのか、君がどうしてこのような行動を取ったのかを軍から聞いている」


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥から少しだけ力が抜けた。


 (よかった。ちゃんと説明はされてるんだ)


 俺が理由もなく暴れたわけじゃないことを、この人たちは知っている。

 そう思った途端、今度は別の疑問が胸の中へ浮かび上がってくる。


 なら、どうして。


 どうして皆、あんな目で俺を見ていたんだ。


 廊下で距離を取られて、怯えられて、まるで危険人物みたいに扱われていた理由がわからない。


 思わず視線が揺れる。

 そんな俺の様子を見ながら、校長は小さく息を吐き、ゆっくりと言葉を続けた。


「しかし、今回の件には守秘義務が敷かれている。私たち以外の者は、詳細を知らない」


 その言葉を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になった。


「守秘……義務……?」


「あぁ。今回あったことは、すぐに国民へ知らせることはできない。事が事だ。何が起こったのか、相手は誰なのか、よく精査したうえで国が発表する。我々ではない」


「えっ。じゃあ、俺は……?」


 自分の声なのに、ひどく遠く聞こえた。


 校長は深く息を吐く。自分も苦しいのだと言いたげな表情を作っていたが、その横で教頭は、スーツのズボンに皺が寄るほど強く膝の上の布地を握りしめていた。


「神代天斗くん。君には、国から正式な発表があるまで休学――学校を休んでいただきたい」


「は……?」


 言葉の意味が、すぐには頭に入ってこなかった。胸の中で、いろんな言葉がぐるぐると回る。


 なんで俺が。


 俺は。


 俺は、何をした?


 守ろうとしただけだ。


 爺ちゃんが血を流して、母さんと実里がシェルターにいて、あいつらがこっちへ来たら危ないと思って、それで。


 それで俺は、斧を振った。


 でも。

 倒れた男の腹から流れていた血の色が、また頭の奥へ蘇る。


 赤だった。


 虫じゃなかった。


 人間だった。


「君が悪くないことは、私たちも理解している」


 校長は静かにそう言った。


「ただ、国が守秘義務を敷いている以上、あの写真を否定する方法が我々にはない。あれだけセンセーショナルな画像だ。生徒の中には怯えている子も少なくない」


 そこで一度言葉を切り、校長は疲れたように目を伏せる。


「実際、保護者の一部からは“なぜ神代天斗は捕まっていないのか”という問い合わせも来ている」


 その言葉が、胸へ重く沈んだ。

 そんなふうに、思われているのか。


「混乱が落ち着くまでだ。その間だけ、何とか学校を休んでくれないだろうか」


 最後には、“頼む”というように校長が頭を下げたその横で、教頭は苦しそうに顔を歪めている。


 何だろう。

 どうして俺が、こんなふうに頼まれてるんだ。


 俺がしたことって――


 あの時、自分の斧が確かに肉を断った感触まで蘇ってきて、胸の奥がぐちゃりと嫌な音を立てた気がした。


 目の前が、ぐらりと揺れた気がした。


「っ……」


 思わず額を押さえる。


 まただ。

 また、あの感覚が来る。

 耳の奥で、ザワザワと虫が羽を鳴らすような音が響いていた。


 今まで、学校にいてこんな感覚を覚えたことなんてなかったのに。


 まるで背中の上を無数の何かが這い回っているみたいな、不快な感覚がじわじわと全身へ広がっていく。


 冷たい汗が首筋を伝い、呼吸が浅くなる。

 頭の奥が、気持ち悪いほど騒がしい。


「神代くん? ……神代くん、大丈夫か!?」


 肩を揺すられ、はっと意識が戻る。

 顔を上げれば、教頭が心配そうな表情で俺の肩を掴んでいた。


 その顔を見た瞬間、自分がそれなりの時間頭を押さえ込んでいた事に気付く。


「あっ……すみません」


 掠れた声でそう答えると、教頭はまだ不安そうに眉を寄せていた。

 校長もそんな俺の様子を見ながら、小さく息を吐く。


「君も疲れているのだろう。この機会に、少しゆっくり休んだほうがいい」


 その言葉は穏やかだった。けれど、“学校へ来るな”という意味なのは、ちゃんと伝わってきた。

 その言葉に、気づけば俺は小さく頷いていた。


「……わかりました」


 呼吸と一緒に、言葉が零れ落ちる。

 その返事を聞いた瞬間、校長の表情がわずかに緩んだ。


「わかってくれて嬉しいよ。ありがとう」


「……いえ」


 何に対して礼を言われているのか、自分でもよくわからなかった。


 学校を休むことに納得したからなのか。問題を起こさず従ったからなのか。ぼんやりした頭では、そこまで考えがまとまらない。


 すると、横からそっとハンカチが差し出された。

 教頭だった。眉を寄せたまま、こちらを心配そうに見ている。


「随分と顔色が悪い。自宅まで送っていこう」


「ありがとうございます」


 そう答え、俺は教頭と共に立ち上がり、校長室の扉へ向かう。教頭が先にドアノブへ手をかけ、ゆっくりと扉が開く。


 すると、授業が始まっている時間のはずなのに、廊下には思っていた以上に多くの人がいた。


 生徒も教師まで。

 そして、その全員が俺を見ていた。


「うわっ、マジでいた」


「なんで捕まってないの!?」


「普通に学校来るとか、神経大丈夫?」


 遠慮もなく飛んでくる言葉が、じわじわと胸へ刺さる。

 教頭が「やめなさい!」と注意するように声を上げているが、その声さえどこか遠く感じた。


 まるで自分だけ別の場所へ置いていかれたみたいだった。


 頭がぼうっとする。


 耳の奥では、またあのザワザワとした音が鳴っていた。虫が羽を擦り合わせるみたいな、不快な音。

 

 思わず息が浅くなる。


 気持ち悪い。そう思った瞬間だった。


 バンッ!! と、重たいものを思い切り叩きつけたような音が廊下へ響き渡る。


 一瞬で、その場が静まり返り、全員の視線が音のしたほうへと向く。

 俺も反射的にそちらを見た。


 廊下の先に立っていたのは、高峰と創太だった。

 高峰の足元には、分厚い辞書が落ちている。


「あっ、悪い。落としちまった」


 高峰は全く悪びれた様子もなくそう言いながら、足元へ転がった分厚い辞書を拾い上げる。


 その間に、創太が真っ直ぐこちらへ歩いてくる。

 そして、俺の腕を強く掴んだ。


「天斗、迎え来てる」


 短くそう告げると、そのまま俺の返事も待たず廊下を走り出す。俺も引っ張られるまま足を動かした。

 背後ではまだざわめきが続いていたが、創太は振り返りもしない。


 向かった先は裏門だった。


 外へ出ると、遠くに見慣れた家のフロートカーが停まっているのが見える。その前には、腕を組んだまま立つ母さんの姿があった。

 後部座席の窓には、実里がぺたりと張り付いている。


 その姿を見た瞬間少しだけ肩の力が抜けそうになるが、俺の腕を掴む創太の手には、まだ強く力が入っている。


 創太は前だけを見たまま、低く吐き出すように言った。


「おれ、あんなん信じてないから!」


 怒鳴るみたいな言い方だった。

 けれど、その声は少し震えていた。


 横を見ると、創太は前を向いたままだったが、その目の縁は赤く染まっている。


 泣いたのか。


 俺のために。


 視界が揺らぐ。胸の奥が熱くなって、何かが込み上げそうになるのを誤魔化すように、俺はぐっと拳を握りしめた。


「創太、ごめん」


「何が!」


 創太が怒鳴るように返す。そして、今日初めてこちらを見た。

 その顔には怒ったような色が浮かんでいたけれど、目の奥には別の感情が滲んでいる。


 俺は困ったように眉尻を下げた。


「創太が改造してくれたフロートボード、壊しちゃった」


 そう言葉にすると、一瞬、創太がぽかんとした顔をする。それから目を見開き、最後には困ったみたいに笑った。


「そんなん、また直すよ」


 目尻が下がる笑みだった。もう、何年も見てきた顔。


 畑仕事のあと一緒に笑って、夜中まで機械いじって、馬鹿みたいなことで騒いできた、いつもの創太の顔。


 その笑顔を見た瞬間、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。


「それから……ごめん」


「次は何だよ」


 創太は呆れたように言う。でも、その声音は優しかった。


 だからこそ苦しかった。


「信じてくれてるのに、ごめん……」


 喉の奥が引きつる。

 それでも、一度零れた言葉は止まらなかった。


「俺、殺したんだ」


 あの時の感触が、嫌になるくらい鮮明に蘇る。


 斧が防具を割った音。


 肉を断った感触。


 「虫じゃなくて、人を」


 地面へ広がっていった、赤い血。


「……殺せたんだよ」


 思っていたよりも静かな声だった。

 叫ぶでもなく、泣くでもなく、ただ事実を確認するみたいに、自分の口から言葉が落ちていく。


 目の前にいた創太の目が、大きく見開かれた。


 当然だ。


 俺だって、まだ信じられていない。本当に自分が人を殺したのか。


 本当に、あの瞬間、躊躇より先に斧を振れてしまったのか。


 胸の奥がぐちゃぐちゃになる。


 それ以上、創太の顔を見ていられなかった。


「……ごめん」


 もう一度だけ小さく呟き、俺は創太から視線を逸らす。

 そして、そのまま一人で母さんたちの待つフロートカーへ向かって歩き出した。


 振り返ることはできなかった。

 もし今振り返って、創太の目に恐怖が浮かんでいたら。


 怯えた色が滲んでいたら。


 それを見てしまったら、きっと立っていられなくなる気がしたんだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。