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第二十五話 生義の義棘

 夜の余韻を探すように薪を集めていると、ニルがいそいそと近づいてくる。

 言葉を制するように、心の声に触れられる。呼吸がひとつになると、試すようにゆっくりと尻尾が上がった。

 震える手を付け根に滑らせる。気配をかき集めるように体を押し付けると、ふわふわの毛が褒めてくれた。

 屈めば合う目線を、想いの丈を惜しんで、体を反らせて一身に埋める。

 気遣うように、緋色の瞳が落ちた。朝日を浴びて赤らむ耳が、僕の温もりを捉えて離さない。

 乱れた寝癖に頬をくすぐられると、甘い露が頬を伝うようだった。

 眠たげな太陽へ、朝の息吹をそっと口付ける。

 ぴんと立ったつま先が、愛おしく揺れる。張りつめていた耳も、そよ風に吹かれるように、ふんわりと倒れた。

 まぶたが微かに赤らむと、彼女は心地良さげに目を覚ます。

「レイ、おはようだ」

 ニルは首輪を見せつけるように屈むと、静かに微笑んだ。

 彼女は、小腹満たしついでに、薪拾いを手伝ってくれる。

「……本当に、キスだけで許してくれるの?」

「しつこい。許してないし、すっごくむかついてる」

「ごめん……」

「そう思うなら、早くお金を返して帰ってこい」

 不安で俯いた鼻先を、先焦げた尻尾が掠めた。

 先の見えない暗闇に沈んでいた気持ちに、優しい光が差し込むようで、思わず顔を上げる。

「ん……ちゅ……っ」

 どちらともなく、顔を近づける。寄りを戻す条件だったはずが、今では触れ合うための建前に変わっていた。

 朝ご飯を食べ終えると、魔法が解けたように現実に追われる。

「大学通っててよかった……」

 壊れた魔導具を修理しつつ、ロウさんの発注通りに細かく改良していく。

 仕上げた品をキンジュに手渡すと、影を介して報酬が支払われた。

 作業のほとんどは市販品の微調整で、銅貨ばかりが積み上がる。

 それでも、時折魔窟〈まくつ〉由来の未鑑定品が紛れていて、金貨をもらえることもあった。

「レイ、楽しそう。指先が踊ってる」

「必死なだけですよ」

「そう?」

「そうですよ」

 ロウさんの査定は、厳格だった。刻印が不安定だと、賠償金を請求されてしまう。

「レイ、お散歩いこ?」

「……忙しいから。話しかけないで」

「むぅ。わたしとお金、どっちが大事なんだ?」

「ごめん、あっちいってて」

「ふんっ。もう誘ってやらないんだから」

「ちょっと、なんで壊すの!?あぁ……お客さんに怒られる……。これ、すっごく高いんだよ……?」

「レイなんて、知らないっ!」

 ニルを怒らせてしまい、稼いだ金貨も消し飛んでしまう。

 僕は、三歩進んで二歩下がるを繰り返した。

「よ、よし。あとは、ここを直せばっ…………ひゃん!?」

 慎重に刻印を彫っていると、いきなり桜花が痙攣を起こす。

 手元が狂い、文字がごっそりと削れた。エーテルが流入して、魔導具が爆散してしまう。

「……こわ、れた…………」

「そんなぁ……」

 泣いて、喚いて、四苦八苦する。

 そんな中でも、金貨は着実に増えていった。

 不意に、着信音が鳴る。

「誰からだろう……」

 存在を忘れて久しい携帯には、ロウの名前が出ていた。

(……番号、何で知ってるの?)

 居住まいを正して、震える指で通話を取る。

「こ、こんにちは!レイです!」

「どうも、ロウです。いやぁ、落ち込んでいるのではと心配していましたが、杞憂だったようですね」

 身構える鼓膜を打ったのは、以前と変わることのない飄々とした声だった。

「……レイは、技師の職にはつかないので?」

 才能を惜しむような声に、ふわりと心が跳ねた。

 しかし、浮ついた気持ちの着地先は、どこにもない。

「僕、技師の資格持ってないので……」

「今から取得すればいいんですよ。何かを始めるのに、遅いと言うことはありません」

「最終試験、全部落ちてるんですよね。論文も自信なくて、捨てちゃいましたし……」

「ははっ!最終試験は面接だけだ。あんなもの、適当に出しておけばいいんですよ」

「命に関わる仕事ですよ。適当は許されません」

「いやぁ、全くおっしゃる通りで。それでは、難しい仕事は別に回しましょう」

「ありがとうございます。助かります」

「いえいえ。今後とも、よろしく頼みますよ」

 ぶつりと通話が切れると、どっと疲労が押し寄せてきた。

「修理、あと十万回か…………」

 地面に体を投げ出すと、桜花が苦しげにのたうち回る。

 僕が休んでいる間にも、夏の虫たちは何十と声をあげて、森を賑やかにしていた。

「……起きないと」

 そう思うのに、心が動かない。

 桜花が萎れたように倒れるのを見て、無理やり体を起こした。

 すると、ウズラさんの卵をじっと見守るニルの姿が目に入る。

「早くお金を返さないと……っ」

 ぼやけた影に、硬貨が重くのしかかる。

 地面を擦っても、キンジュは現れない。

 じわりと、森が茜に染まる。

 暮れなずむ夏の夕焼けが、時間を引き延ばすようだった。

 けれど、燃える薪は、僕ではない。

 細枝ようなマシロさんが、月の消えた夜に、怯えた様子で火を灯す。

 湿気った影は濃くなって、夜に紛れて消えた。

 夕食を終えると、ニルがタロットカードを並べ始めた。

「マシロ!わたしね、魔法使えるようになったよ!」

 幸せそうな笑顔に、マシロさんは手に取ったばかりの食器をそっと置いた。

「占いのお洋服、手直したの。……着る?」

「できたの?やったぁ!」

 服を着せてもらったニルは、魔女の帽子を被り、えいやと耳を生やす。

「うーん、自分じゃ見えない……」

「似合っているわ。可愛い」

 衣装を整える手が、静かに踊っていた。

 ニルのために仕立てられたローブは、獣の気配をやわらかく包み込み、隠れた優しさに輪郭を与えていく。

 彼女の魅力が、手に触れられるほどの形になる。それが嬉しいはずなのに、マシロさんに先を越されてしまったようで、胸がざわついた。

 占いが始まる。

 当然、出る幕はなかった。

「二人とも、よく頑張ったな」

「えへへ」

「努力は、奴隷の義務よ」

「だったら、もう少し強いお服を作ってよ」

「背伸びした方が愉しいし、強いと思うの」

「ひらひらばっかりでやだ。アヅキがちらちら見てくるし」

「俺からも頼む。いつ引っ掛けて転ぶかと、心配で目が離せない……」

「……どこまで短くできる?」

「わたしで遊ぶな」

 ニルに小突かれそうになると、マシロさんがぎゅっと目を瞑る。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……っ」

「お前、ずるいぞっ!」

「…………じ、冗談よ。……驚いた?」

「泣きながら言うなっ!」

 ニルは爪を立てないように、震える奴隷を撫でいた。

 焚き火の熱で、嫌に瞳が乾く。

 まぶたを瞑ると、小さな影が飛んできた。

「レイは、返済は順調なのか?」

「はい。先は長いですけど、少しずつ返せてますよ」

 僕は、用意した笑顔を貼り付ける。

 アヅキさんは、納得してくれた。

 しかし、ウズラさんは表情ひとつ動かさずに、未知の錠剤を置いていく。

「じゃあ、作業に戻りますね」

 厚意を受け取り、席を離れた。

「……もっと頑張らないと」

 握った手を開くと、にわかに甘い香りが立ちのぼる。

「……………………」

 僕は人目を盗み、薬を鞄の底に放り込んだ。

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