第二十三話 黎明
「———ギィアアアアアアアァァァァァァ…………ッ!!」
死が形を成して、遍く光に終わりを告げる。
「———グルァァァアアア!!」
僕は降り注ぐ致死毒を、必死に食い尽くした。
「レイ!レイ!!」
声は聞こえるのに、いつまでも姿が見えない。
足の痛みに泣きながら、がむしゃらに琥珀を跳ね除ける。
「みなさん、私のところへ!守護結界を張ります!!」
「でも、アリシアちゃん……琥珀が!」
「彼を信じましょう!……魔人の方々も、はやくこちらへ!」
深い暗闇のうちに、にわかに光が灯った。
「……レイ!」
「———グルァア!!」
守るべきものを見つけて、死を一点に食い破る。
牙が溶けて、毛皮がずり落ちた。耳が焦げて、尻尾が崩れる。
地面に伏しても、後ろ足は大地に突き立っていた。
「よし、みんな無事だな!」
幸い、光はひとつも欠けていなかった。
けれど、小さな光が、白光に噛み付く。
「……ふざけるなっ!!お前も戦え!!!!」
「ちょっと、狼ちゃん!落ち着いて!」
「お前、強いんだろ?それなのに、群れのメスに守られて、どうしてそんなに威張れるんだ!どうして、レイばっかり痛い思いをしなきゃいけないんだ!……レイは、弱いのにっ!もう、ボロボロなのにっ……!!」
不意に、ひとつの光が死の前に弾き出された。
僕の、光だった。
「ぁ…………ッ」
死の腕が、命を潰そうする。
僕は捨て身で割って入った。
「がはっ…………ッ!?」
「……レイ!?」
顎が裂かれ、毛皮も残らず毟り取られ、剥き出しの体で夜空に打ち上げられる。
地上が遠のき、瞬く間に光は小さくなる。森は色を失い、やがて黒ともつかない点となって、夜の底に沈んでいった。
風に熱を奪われて、雲に肉を削られて、世界が赤黒く染まっていく。
過ぎる天樹の枝葉には、果実が瞬いていた。
不意に、闇に叩きつけられる。
暗月が、血の涙を流していた。
「……そう、か。……きみ…………も…………」
歪な貌が、夢幻を恥じていた。
「……同じ、だね」
壊れた体が、生に縋り付いて離れない。
「……まだ、死んでない」
息をするように、星が輝いている。鋭い光が、肌を爛れさせた。
それでも、月は鮮烈に生きている。
「……まだ、生きているっ!」
折れかけた心に、熟れた血潮を注がれる。
霧が晴れたように、彼方に光が見えた。
「……いきたい!」
ひとりでは、きっと届かない。
それでも、月は背中を押してくる。
「———光になりたいっ!!」
落果する月に、想いを咆える。
すると、月は泣き止み、激しく熱を帯びた。
僕らは体をひとつに、希望に命を懸ける。
「———光よ!!!!」
深閑とした夜に、光が熾る。赫々の隻牙が、闇を引き裂いて、燎原の尾を帯びた。
黒霧に向けて、轟々と咆えながら疾く駆ける。
(———ニル!!!!!)
声にならない声で、光を呼ぶ。
微かに、呼応の声が聞こえた。
僕らは夢に向かって、全霊で奔る。
なろう、なろう、あすなろう。
あすは、君とかける風になろう。
君の涙を追って、頬を撫でる風になろう。
なろう、なろう、あすなろう。
あすは、君と懸ける星になろう。
けれど、僕と君に明日はこない。
ならば、ここで命を懸ける星となり、君を明日〈あした〉に繋ぐ、束の間の流星となろう。
これは、僕が見る致死の夢だ。
「レイっ!!!!」
狼の慟哭が聞こえる。
刹那、意識が砕けるほどの激震が走る。
大地が怒りに震え、木々が根こそぎ吹き飛び、山が巌のように崩れた。
赤光が黒い霧を飲み込み、琥珀はたちまち蒸発する。
それでも、月に抱かれた僕は、微かに息をしていた。
「ここで、お前を討つ…………ッ!」
焦土の中心に、光が駆け寄ってくる。
「———契りし天光よ、我が剣となりて、闇を断ち給へ…………ッ!」
天に翳した聖光が、曙光〈しょこう〉とひとつになって、夜の残火を吹き消した。
冷たい光に、静かに目を閉じる。
瞼に炎熱が過り、死を覚悟した。
しかし、目醒めるような剣戟が、鼓動を鳴らす。
顔を上げると、猫背の男が勇者の剣を弾いていた。
「貴様、何故ここに……!?」
「いや、酒の肴が惜しくなってね」
気だるげな声が、聖光を雑剣に封じ込める。
「…………アル、ト?」
「勇者には気をつけろと言っただろう」
アルトさんの技に、カイオスは手も足も出ていなかった。
「レイ、無事か?」
「……銀さん、まで…………」
瓦礫に埋もれた体を、シャベルで掘り起こされる。
「……ニル、は?」
「クロが守った。アヅキとウズラが、二人を診てくれている」
銀さんに抱き上げられて運ばれる。
「レイ!!」
僕に気付いたニルが、笑顔で駆け寄ってきた。
「ニル!!」
遠い姿にも、手を伸ばさずにはいられない。
不意に、閃光が横切った。
温かな血が、頬を叩く。
「……レ……イ…………」
ニルが、聖剣に斃れた。
カイオスは僕らの体を見ると、逃げるように去っていく。
「……ニル!」
僕は重なるように倒れ込んだ。
「……ニル!返事をして!!」
丸い瞳から、生気が溢れ出していた。呼吸も浅く、魂が抜けたように動かない。
「選べ」
絶望の淵に、二つの希望が落ちてきた。
「メタクセリクシス。悪魔や妖異の血液で精製した薬酒だ。服用すれば、命だけは助かるかもしれない。……ニルを追いかけると言うなら、止めはしない。エルピスを飲めば、苦しむこともないだろう」
大鷹の番が、薬の栓を抜く。
答えなど、決まっていた。
「この酒を飲んでも、雲の切れ間から垂れる糸を掴むのと同じことだ。これから長い時、”生きるためだけ”に、生きねばならない。……お前に、それが耐えられるのか?」
腐り落ちた柘榴のような薬酒が、渦螺を巻いていた。
濁り凝った深紅は、朝日さえも見通せない。
しかし、天使も悪魔も、希望も絶望も、生も死も、隔てるものはない。ひたすら、同じところを揺蕩うだけだ。
(……生きて)
毒酒を煽り、「共に来い」と喚びながら、唇を奪う。
虚な瞳が、微かに揺れた。微熱を求める手が、そっと横髪を梳く。
「……レイ、かっこよかったよ」
僕は朝日に抱かれて、堕ちるように眠りについた。




