第二十一話 致死の夢
獲物の姿は、琥珀湖にあった。
「……何をしに来た」
月光に残した影を見て、勇者が剣を抜く。
聖剣に生を咎められて、血肉が凝った。暗がりに沁みだす熱だけが、世界の景色になる。
僕は、クロにしがみついた。
「大丈夫。レイは、まだ生きてる。まだ、動けるよ」
暗い言葉が、生傷に狂れる。
「一緒に逝こう」
クロは、命の限り信愛を託してくれた。
痛みを噛み締めながら、静かに腰を落とす。
「……魔光に当てられたか」
哀れみの視線を断つように、一気に距離を詰める。
「速い……!」
カイオスは驚愕しながらも、難なく初撃を躱してくる。
「今は、お前に構っている暇はないんだ!」
翳した聖剣が白光を放ち、蔓延る闇を討ち払う。
僕らは、歓びに震えた。
「……正気、か」
勇者の剣が、殺気を帯びる。
「カイオス様!」
「ご無事でしたか!」
破邪の魔法を見て、敵が集う。
彼らは、僕の姿を見て動揺していた。
「どうして底辺くんがいるの!?」
「ひどい怪我です。今すぐ治癒を……!」
「アリシア。守護結界を」
「どうしてですか!?魔人を討伐したのなら、彼の救護を優先すべきです!」
「暗がりを襲われたんだ。……あいつは、もう敵だ」
勇者の言葉を疑う者は、ひとりとしていなかった。
「アリシア様、ここは私が」
守護の祝詞を止めようとすると、ニカが壁となって立ちはだかる。
「懺悔をする気は……ないようだな」
騎士の盾から、迷いが消えた。
「お前の正義、この身で定めさせてもらおう」
魔剣を凌ぐ障壁に、獲物への道を阻まれる。
しかし、魔力の盾は、鉄の矛を拒めない。
「”光よ”」
光球を囮に、詠う乙女に石を投げつける。
「……卑怯な!」
「アリシア、腕から血が……」
「申し訳ございません。油断しておりました……」
未完の守護は、音を立てて崩れた。
間髪入れずに、勇者に肉薄する。
「……カイオス、避けて!」
「バリス、頼む!」
風刃を呼ぶ声に、即座に後退した。
しかし、鎌鼬に追いつかれ、背中が裂ける。
「追撃しろ!」
「言われなくても……!」
大地が圧壊して、瓦礫に埋もれる。
唯一の逃げ道も、巨大な氷柱に塞がれていた。
「まだまだ行くよ!」
バリスの風が、瓦礫に埋もれた手足を切り付ける。
痛みに呻くと、ふと光が消えた。
間もなく、冷たい闇に押し潰される。
「あ゛あ゛ぁぁぁ…………ッ!」
体を捩じ切るような痛みに、堪らず悲鳴を上げた。
それでも、まだ生きている。
瓦礫の中から腕を引き摺り出して、氷の蓋に打ちつける。
「……”砕けろ”。”砕けろ”。”砕けろっ”!」
氷片より先に、肉片が降ってくる。
しかし、河原の岩石に比べれば、あまりに脆い壁だった。
「……なぁ、もうやめにしないか」
穴から這い出すと、勇者に情けをかけられた。
「レイ。私と教会に来なさい。そして、罪を償いなさい」
「オレの下僕にしてあげてもいいよ?」
優しい言葉に反して、鋭い氷槍が手のひらを穿つ。
「もう、感覚もないのでしょう?」
アリシアは、隷属の首輪を持ち出した。
「これ以上、無駄に血を流すな」
カイオスが、聖剣を納めて去っていく。
「……僕は、まだ、生きてるぞ!」
「まだ、死んでないの間違いだろう」
勇者の言葉に、幼き日の悪夢が蘇る。
「その姿で生きるのは辛いだろう。今、楽にしてやる。……それでも生きるというのなら、尊重しよう。奴隷として、罪を償うんだ」
ニカの槍が、うなじに触れた。
「あなたの言葉で、答えを聞かせてください」
未来の聖女に、死を宣告される。
しかし、この夢だけは、諦められない。叶わない願いだとしても、この想いだけは捨てられない。ニルの返事を聞くより先に、死ぬ訳にはいかない。
「”……我は、世界に、仇なす者……光に満ちた世界を、呪う者なり!」
世界が僕を認めないと言うのなら、最期に世界に噛み付こう。この血が流れ出す限り、光を求めて咆えよう。
「天照らす星々よ、我に……無窮の力を、授け給へ!」
僕の想いに呼応して、空気が震える。
「我は、天の月を砕き、太陽を堕とし、真の静謐の到来を欲する者なり!」
氷槍を掴み、天を仰ぐ。
「古より生命を育しアイテールよ、我の怒りに呼応せよ!」
バリスが、微かに息をのむ。
「……偽光を拒む深淵の毛皮となり、地の裂く意思ある爪となり、天の幻想を砕く牙となりて、疾くまつろい給へ!」
「なんだ、この尋常じゃない魔力は……!」
「……やっぱり!ニカ、急いで詠唱を止めて!!」
「や、槍が溶けた!?」
氷の枷を砕き、鉄の槍を跳ね除けて、死の淵から這い上がる。
「バリス、魔法を!」
「魔力が、全然言うことを聞かない……!?言葉の力が強すぎるんだ!それに、こんな詠唱、聞いたこともないよ……!」
魔力が命を宿し、獣の耳を成す。流れる血が爪と成り、尾と変わる。
脊髄が、忽ち沸騰する。背骨を波打つような衝動が走った。
「我、絶影の狂飆となり、悉く残光を滅する獣と成らん!」
二つに割れた尾が、自ずと仇敵を威嚇した。
縛るものは、もう何もない。
「偽りの運命に苦しむ者たちよ、抗うものたちよ……闇の王の来臨を讃えよ。祝福の光をもたらす者よ、畏怖せよ、傾倒せよ。我は神をも喰らう拒絶の巨狼なり!」
大地を踏み締め、怒りに砕きながら、一歩、前へ。
「古の凶星の如く、我が身よ、無敵の大敵を穿ち、忽ち絶滅させよ!」
純黒の魔狼は、生を咆える。
「———我が名は『フェンリル』!泥濘の楽園に劫火を熾す獣の、その一対なり”!!」




