第十八話 破邪顕正の義
「んで、底辺くん。何から始めるん?」
フレアさんは腕を組むと、僕の頭にもたれかかった。
「魔剣を禁忌たらしめているのは、教会の戒律だと思うんです」
「その心は?」
「聖剣も冥剣も、性質は魔剣と変わりません。要するに、隷属の首輪と同じです。お布施が減ると困るから、厳しく取り締まっているんでしょう」
「でっかい皮肉やなぁ」
「それを抜きにしたら……他者および自己の破壊による魔力の捻出、またそれを助長する機能と、過剰な殺傷能力あたりが問題でしょうか」
「ほな、ばらしか」
「持ち主に返したいので、まずは解読してみようかと思ってます」
「ウチ、古代語読めへん……」
「だいぶ潰れてますからね」
「あ、辞書はあんで。ちと待っとき」
渡された辞書は、油と煤でページが張り付いていた。
「フレアさん。よければ、一緒に解読しませんか?」
「監視役言うても、見てるだけじゃ暇やし。ええで。ご享受頼むわ」
分霊剣には、夥しい量の刻印が刻まれていた。
けれど、頻出する言葉も少なくない。
「黒い龍、騎士、誓い……か。もしかすると、由緒ある代物かもしれへんで」
彼女の集中力は、目を見張るものがあった。難解な古代語も、一度教えただけで覚えてしまう。
「フレア、杖の調子悪いんだけど?」
バリスが修理の依頼に来ても、フレアさんは見向きもしない。
「ちゃんと仕事してる?最近、弛んでるんじゃない?」
「……うっさいわ。黙ってそこ置いとけ」
「うっわ、感じ悪い。下っ端のくせに。魔獣に襲われても助けてあげないからね」
嫌味を残して、魔術師は去っていく。
しかし、安易の呪詛は、心を蝕む魔法に成っていた。
「当たり前を支えるのって、大変ですよね」
「……変なこと言っとらんで、手を動かせ」
「はい」
刻印の全体像を掴む頃には、月下で夏の虫が騒いでいた。
「食事ができた!夕食にしよう!」
僕らは水場に寄って、手を濯ぐ。
「早くせんと、ニカに全部食べられてまう!」
「人は見かけによりませんね」
「空腹も満腹の違いもわからない鈍感に、アイリスの料理を取られてたまるか!」
「あ、なるほど……」
「んじゃ、先行くな!底辺くんも、はような!」
手袋を置き去りにして、彼女は食事に向かう。
「……汚れが落ちない」
闇雲に手を洗っていると、足音が近づいてくる。
「フレアさん、手袋忘れて……」
「残念、オレでした!」
バリスは愉しげに杖を振る。
「人の名前を間違える駄犬には、お仕置きしないとね」
にわかに起きた風が、川の水を吸い上げる。
次の瞬間、僕は滝に打たれた。
「うん。綺麗になった!」
「……ありがとう、ございます」
「ううん、気にしないで!」
バリスは鼻歌交じりに消えていく。
「悲しいやら、嬉しいやら」
水浸しの体は、汚れひとつ見当たらない。
「あ、手袋!」
慌てて、近場を探した。
「あった!よかったぁ……」
手袋を見つけて戻ると、料理はなくなっていた。
翌朝。祈りの声に、目を覚ました。
冷えた体を摩っていると、香ばしい小麦の匂いが漂ってくる。
「レイ!朝は食べるだろ?」
カイオスに招かれて、食事の席に着く。
アイリスは魔法で体を乾かしてくれた。
「朝が弱くても、身だしなみは整えてください」
「ありがとうございます」
料理に口をつけようとすると、ニカに止められる。
「天に祈りを」
「そうですね。教えていただけますか?」
「もちろんだ」
教会の作法を学んでいるうちに、パンは消えていた。
「バリス、行儀が悪いぞ」
「働かざるもの、食うべからずだよ。野良犬には、野菜の切れ端で十分」
「そう言う貴様は、魔剣を壊せるのか?」
バリスはパンを咥えたまま、高度な属性魔法を連発する。
幸い、分霊剣は無傷だった。
「大魔術師が聞いて呆れる」
「魔力が足りないだけ。魔剣も宿主がいなければ、ただの硬い石ころだ。地脈の力を使えば、干渉力も稼げる。跡形もなく燃やし尽くせるよ」
「……バリス様。火は、口にしてはならない最大禁忌です」
「大丈夫。天樹を燃やしたりしないって。天使が落っこちてきても困るし。大体、火を詠んだって魔法にならないのは知ってるでしょ?」
彼は冗談めかして言う。
しかし、仲間の目は、笑っていない。
「言葉には気をつけろ」
「……ごめん。もう二度と言わないよ、カイオス」
「そうしてくれ。俺も仲間を切りたくはない」
朝食を終えると、勇者たちは何処かへ出かけて行った。
「なぜ私が貴様らの子守りをせねばならんのだ……」
「聖女様の命令やろ。しっかり頼むな」
魔法の解読を終えて、刻印の改訂作業に入る。
しかし、魔剣の干渉力は、生半可なものではない。
「行きますよ!準備はいいですか?」
「お、おう!」
「私の盾は、アリシア様のために……」
「うっさい。ほら、爆発すんで」
僕は魔力の結晶で刻印を潰し、盾の裏に逃げ込む。
間もなく、魔剣は自己矛盾を引き起こし、魔法が一気に崩壊した。
「し、新調したばかりの盾が……」
「宝の持ち腐れやな」
「ニカさん、ありがとうございます。おかげで助かりました」
「騎士として、当然のことをしたまでだ」
「よく言うわ」
「じゃあ、次もよろしくお願いしますね」
「おい、待て!少し休憩を……!」
「騎士の誇りは、随分と脆いんやな」
「黒龍の分霊剣だぞ!?龍の魔法を防ぐのに、どれだけ魔力がいると思ってる!」
「同等以上やな」
「わかっているなら、少しは……おい、貴様。なぜ盾に隠れている」
「……爆発すんで」
「なに……!?」
幾度の大爆発を乗り越えて、魔剣の解体は順調に進んだ。
「まさか、祝福まで使う羽目になるとは……」
「代償は平気ですか?」
「腹が減った……気がする」
その夜、ニカは十人分の食事を平らげた。
翌日の作業は、アリシアが協力してくれた。
「守護結界をはりました。これなら、魔剣の力にも対抗できるでしょう」
彼女の結界は、濃密な魔力に溶けることもなく、十全に身を守ってくれた。
それでも、刻印の核となる節に触れると、音を立てて決壊する。
結界が壊れる度に、僕は守護を求めて走った。
「アリシアさん、そのぉ……」
「……はぁ。そこにお座りなさい」
十回を超える頃。女神のように完璧だった表情が、疲労に崩れた。
「私の結界をここまで壊して帰ってきたのは、あなたが初めてですよ」
「す、すみません……」
「いいえ。……ですが、こうなったら、私も本気です。聖女を目指す一人として、最大の加護を授けましょう」
彼女は柔和に微笑むと、嬉々として祈りを捧げ始めた。
「感謝しろ。お布施を積んでも、ここまではされない」
光輝を纏う主人に、従騎士は跪く。
祈りに包まれた手が、緊張で汗ばんだ。
けれど、彼女は嫌がるどころか、優しく許しをくれた。
「あなた、教会に入信しなさい」
祈りを終えたアリシアは、静かに囁いた。
「天を信じられないのなら、私個人を崇めるのでも構いません」
髪を梳く手のひらは、忠犬を求めるようだった。
「アリシア様、お戯はおやめください!」
「ニカ。……見習いの身で、剣を求めるのはなりませんか?」
主人の悲痛な声が、騎士を黙させた。
しかし、外野はひどく騒がしい。
「アリシアも絆されたか」
「あの犬、撫でられてるのに、あんまり喜んでないね」
「えらい嫌われたもんやな」
僕はどさくさに紛れて、魔剣の解体に戻った。
しかし、揃って後をついてくる。
「……用事は大丈夫なんですか?」
「討伐対象の妖魔が琥珀湖の中にいるんだ。活動を再開するまでは、足止めというわけさ」
「それは、大変ですね……」
「湖と言えば、君臭うよ。僕が洗ってあげてから、水浴びしてないでしょ」
「そう言えば、そんな気もします」
「また綺麗にしてあげようか?」
「どうせ、また汚れますから」
「そんな、犬みたいな顔するな」
「アリシアちゃん、一緒に入ってあげれば?懐くかもしれないよ」
「戒律に反しますので、申し訳ありません」
「ほな、ウチが洗ったろか」
「「「は!?」」」
「冗談や。本気にする奴があるか」
「……カイオス様、破廉恥です」
「どうして俺だけなんだ!?」
「「「勇者だから」」」
「理不尽だ!」
「楽しそうですね」
「お前は、少しは照れろ!!」
彼らはひと頻り騒ぐと、飽きたように散って行った。
空が茜に染まると、魔剣の解体にも目処がついた。
「レイ、ご飯だよ!」
バリスに体を洗われて、食事の席につく。
お祈りを済ませると、パンが消えていた。
それでも、根菜のスープが、空腹を満たしてくれた。
食事を終えた後は、雑談に花を咲かせた。
「レイ。仲間にならないか」
カイオスの言葉に、心が揺らいだ。
同時に、野営地を守る結界にヒビが入る。
「ようやくお目覚めか」
「いいえ。別の魔獣のようです。数は二匹。こちらに向かってきます」
「それなら、ここで迎え討とう」
日没と競るように、彼らは武器を取った。
夜より暗い森に、獣の咆哮が響く。
「来るぞ」
闇から飛び出してきたのは、黒毛の大熊だった。
カイオスは迷わず剣を構える。
けれど、光に焼かれた目の片隅に、影ともつかない命の色が見えた。
「レイ、前に出るな!」
カイオスは怯えたように声を張り上げる。
すると、獣も呼応するように絶叫した。
「バリスさん。力を貸してもらってもいいですか?」
「どうするつもり?」
「もう一体の魔獣を見てきます」
適当な魔導具を逆手に握り、バリスが詠う風に乗る。
森を突っ切ると、悪夢が暴れていた。
「……君か」
黒毛の片割れは、腹部が破裂していた。
辺りには、凝血した琥珀が散らばっている。
「おやすみ。どうか、安らかに」
僕は剣を構えて、大熊の首を刎ねた。
急いで戻ると、別の悪夢が広がっていた。
「……何があったんですか」
夜に慣れた瞳に、赤い亡骸が映る。
カイオスは、聖剣の血を払った。
「理解しろとは言わない。だが、俺は仲間を守る義務がある」
「…………どっちが獣かわかりませんね」
逃げるように、夜の闇に潜った。
悔しくて、悲しくて、震えが止まらなかった。
救えたはずの命を、勇者が奪った。その事実に、発狂する。
しかし、僕もひとつの命を終わらせている。
勇者は、仲間を救った。
けれど、僕は何を救っただろう。
「……かえりたい」
願いは、叶わなかった。
魔剣の解体が終わったのは、新月の朝だった。
「よろしくお願いします」
「アリシア。全力で務めさせていただきます」
未来の聖女が、天に祈りを捧げる。
聖なる結界が、朝日を帯びて広がっていく。
夜の闇を払い、邪悪を滅する光輝が、夏の日差しと魔剣を焦がした。
「おめでとうございます」
分霊剣が、光に抱かれる。
「レイ。禁忌の解体、お疲れ様でした」
天の許しを得て、涙が溢れた。
広げた荷物を片付けると、正午を回っていた。
「剣は置いていくのか?」
「はい。あとで取りにきます」
「……レイ。今でも気持ちは変わらないか?」
「仲間にはなりませんよ。絶対に」
「そうだったな」
カイオスは、話題を空に投げた。
「……もう新月か」
「夜目は効く方なので、大丈夫ですよ」
「気をつけろよ。困ったことがあったら、いつでも声をかけてくれ」
「カイオスさんも、お気をつけて。魔獣の討伐、よろしくお願いします」
別れの挨拶を済ませると、急かされるでもなく、足は自然と森へ向かった。
天光の下で、夜の気配を手繰るように、巣に帰る。
今夜は、新月。待ち侘びた、光のない夜。
僕は祝福されず、二人に望まれて、世界に生まれ落ちる。




