第十五話 塔壊
アヅキさんとウズラさんの指導の下で、ニルは初めての占いに挑戦することになった。
「好きなカード引けばいいの? 」
「そうだな。まずは、そこから始めよう。絵柄を見て、お気に入りを見つけるといい」
「うーんとね……全部! 」
「……仕方ない。端から簡単に説明しよう」
「はーい」
ニルは孤狼の物語を、声に出して追っていく。
大アルカナは、全部で二十二枚もあった。
それでも、絵柄をひと目見れば、不思議と内容が理解できる。
「ウズラは、子どもたちに絵本を描いていた時期がある」
「なるほど、納得です」
頭を撫でようとすると、ウズラさんに卵を押し付けられた。
「たまには、自分で温めましょう」
ウズラさんを抱えて、卵と一緒に膝に迎える。
しばらくして、占いの前準備が始まった。
散らかった場を整えて、みんなで深呼吸をした。その後で、カードを裏返しにして、床の上で混ぜる。
「カード、重たいね……」
「うん、強そう! 」
「入れ物も作らないとかなぁ」
「お前の手作りがいいな」
ニルにお願いされると、体が勝手に頷いてしまう。
「ありがとう、うれしい」
その声ひとつで、すべてが報われた気がした。
けれど、得てして幸せというものは、長くは続かない。
「……レイの誕生日は、いつ? 」
一瞬、心臓が止まった。
気づくと、全員が僕を見ていた。
「……タロット占いって、誕生日が必要なんですか?」
「厳密には、不要だ」
「じゃあ……」
「わたしの時は、必要なの! 」
「だそうだ」
ウズラさんがカルテを開き、空欄の生年月日を埋めるように求めてくる。
マシロさんに、ペンを握らされた。
ニルは体を乗り出して、答えを待っている。
僕は、押し黙る。
しかし、示し合わせたように、誰も諦めてくれない。
「お前の未来のために、必要なの」
「……必要」
真っ直ぐな瞳に穿たれて、心臓が凍りつく。
冷たい血は、鼓動よりも先に全身に回る。
しかし、震える手の止め方を、どうしても思い出せない。
落ちた錆が、名前を潰した。
「……ごめんなさい」
僕は、嘘をつけなかった。
「生まれた日、わからないんです……」
「馬鹿を言え。親に誕生を祝われたことも忘れたのか」
「……ないですよ」
「ナツキとハヤトがいるわ」
「…………ない、ですよ」
溢れる痛みを飲み込むように、空を仰いだ。
「僕、いらない子なんだってさ」
濡れた声を、乾いた笑みで吹き飛ばす。
すると、ニルが小さく喘いだ。
「違うよ! 全部、僕が悪いんだ」
ニルの声で否定されるのが怖くて、咄嗟に言葉を吐く。
「祝福があるのに使わないなら、無能以下だから。役立たずがそばにいたら、ニルだって邪魔でしょ? 」
「…………誰が言った」
「みんなだって、どんなに楽しい気持ちでも、僕がニートなのを思い出したら、嫌な気持ちになるよね? どうして平気な顔して生きてるんだって、不快に思うでしょ? 」
「…………答えろ、誰に言われた」
昏く濁った瞳が、戦慄いていた。
けれど、誰が怠惰を許し、切に望むだろう。
「……世界には、無償の愛なんてないんだ」
誰にともなく、諭すように告げる。
「そんな答え、聞いてない! 」
ニルは苦虫を噛み潰したような顔で、拳を振り上げる。
しかし、頬を叩いたのは、マシロさんの手のひらだった。
「何のために祝福を拒んだの。今更、当たり前のことを言わないで」
想いを吐き出すと、マシロさんは僕らを抱きしめた。
熱った髪が、体を締め上げてくる。
胸が突き合い、二つの額とぶつかった。
体の震えも、吐息の熱も、鼓動の間隔も、何も隠せなかった。
それなのに、何ひとつとして噛み合うものがない。
しかし、どれも二人のからだを通して、自分に返ってくる。
「私は、レイと生きたい」
「レイ、一緒に生きて」
過去に放った言葉が、逃げ場のない胸に、深々と突き刺さる。
「……ごめん」
言葉の重みを知り、罪悪感に苛まれる。
まるで、祝福を使った後のような、最悪の気分だった。
しかし、ニルは呆れたように苦笑する。
「天邪鬼。ヘタレ、ニート」
責める言葉が、不思議と生温かくて、くすぐったい。
「お前の未来、わたしが占ってあげる」
マシロさんが髪を緩めると、ニルは静かに瞼を落とす。
「……でも、誕生日が必要なんでしょ? 」
「わたしには、必要だ。……お前は、どうだ? 誕生日、欲しいか? 」
ニルの迂遠な誘惑に、僕は抗えなかった。
「それじゃあ……月のない夜が、お前の誕生日だ」
「新月の度に、お祝いしてくれるの……? 」
「一年に一回がいいのか? 」
「……ずるい」
「狼だからな」
ニルは、あざとく笑った。
「それで、何が知りたいんだ? 」
「立派な狼になれるか」
「立派、か…………」
「うん。お願いします」
貰ったばかりの誕生日を使って、ニルに未来を視てもらう。
しかし、占いは失敗に終わり、魔法は発動しなかった。
その日の夜。ニルは久しぶりに、僕の寝床に入ってきた。
堪らず、後ろ髪に顔を埋める。
寝返りをした彼女は、艶やかに微笑んでいた。
期待に、胸が高鳴る。
「……浮気しただろ」
「うっ……」
図星を突かれて黙っていると、ニルはゆっくりと牙を剥いた。
「泣くなよ」
匂いを刻むように、丁寧に傷をつけられる。
僕は全身の疼痛と、のしかかる体温で、嬉しいやら悲しいやら、一睡もすることができなかった。




