崩壊する日常
鴇の月 8日 (11月8日)
ヘテルベルク王国 交易都市ドリクトス
ドリクトス都市城壁
「おい、知ってるか?王都で大規模な戦闘が起こったんだってよ」
平和な日常の昼下がり。
クーディ伯爵が治める交易都市ドリクトスでは多くの人々で賑わい、大きな馬車の交易商達が行き交っている。
そんな中で城壁を守る何人かの兵達は、退屈凌ぎに世間話にうつつを抜かしていた。
「知ってるよ。どこからともなく現れた黒い軍隊だろ?上は箝口令を敷いてるが、噂では反乱らしい」
クロセル王子の反乱はその事実を隠され、反乱軍は反王家の貴族が率いていた事になっている。
王城の者達の本音は情報封鎖をしてしまいたいが、目撃者が多過ぎて必ずどこかで漏れてしまうと判断し、敢えてそれっぽい噂として流している。
首謀者はクロセル王子と判明しているが、反王家の貴族が首謀者と言われているのはその為だ。
「まったく世も末だねぇ。亜人共を駆逐してようやく平和になったと思ったらこれだよ」
今の王国は、帝国や聖教国に限らず、周辺にある中小国とも連合を組み、小さな紛争はあるものの、長い王国の歴史の中でも一番平和な時期を謳歌していると言っても過言では無い。
「あーあ、こんな楽な仕事して金貰えるんだから、このまま是非平和でいてほしいよ」
日がな一日城壁から見張る作業。夕方に夜勤と交代すればそのまま家に帰れるのだ。
今、彼らの平和を遮る者はいない。身近な争いも無く、他国を警戒せずにいられる。
彼の心からの言葉だった。
「ま、俺たちが警戒するべきなのは《源緑の迷宮》と《火山迷宮》の迷宮暴走くらいなもんだな。小さな魔物は冒険者達が狩ってくれるから楽なもんだ」
迷宮暴走はダンジョン内の魔物が異常発生した際に起こる現象であり、ダンジョンから行き場のなくなった魔物たちが群れを成してダンジョンの外に出てくるという異常現象だ。
そして《源緑の迷宮》と《火山迷宮》は交易都市の近場にあり、過去に数度迷宮暴走を起こした事例がある王国軍では警戒対象のダンジョンだ。
その原理は空気中の魔力の流れにあり、空気が澱みやすいダンジョン内では魔物が増殖しやすいことにある。
冒険者ギルドができてからは常に誰かがダンジョンに潜り込み、魔物を狩っているためここ数十年では迷宮暴走は起こっていない。
「その迷宮暴走も起こらなければ俺たちはいよいよただのカカシだな。最近は涼しいし、夏と冬以外は本当に最高の職場だぜ」
ぐっと背伸びをする一人の男。
その隣にいる男が暇つぶしのように、遠目の筒を覗き込み、城壁から外を見回した。
「お、めちゃくちゃ美人な金髪の姉ちゃん発見!うは!マジでめっちゃ美人じゃん!」
「おまっ!俺にも見せろ馬鹿!」
そうして遠目の筒を取り合う二人の兵士。
周りの者も止めようとはしない。この二人の争いも彼らにすればただの暇つぶしだ。
「ほら貸せ、俺が評価してやるよ」
「あ、てめえ」
遠目の筒を奪い取ると男は筒を覗き込み、辺りを見回した。
「おい、金髪美人の姉ちゃんなんていないじゃねえか。お前暇だからって嘘ついたな?」
「いたんだよ!見つけられないだけだろ!あの辺だ!よく見渡してみろよ」
と指さす方向に筒を向け、男はもう一度覗いた。
「………は?」
覗いた先には、美人な女性ではなく、何か黒い人影が無数に蠢いているのが見えた。
「……なんだよ、あれ」
男の声が震えだす。
一連の様子をすぐ近くで見ていた隊長が気付き、すぐに筒を覗く男の下へやってくる。
「おい、どうした。何か見えたのか?」
隊長は男に近付くと、筒を持った男の様子がおかしい事に気付く。
全身がカタカタと震え、額にはびっしりと汗を掻いている。
「もう覗くな!それを貸せ!」
隊長は異常な男の様子に声を荒げ、筒を男から取り上げた。
そしてそのまま男が覗いてた方向を隊長も覗き見渡す。
「これは………迷宮暴走だ…」
その報はすぐにドリクトス中に広がった。
都市を治めるクーディ伯爵にもすぐに報告が届けられ、一般人には非常事態宣言が敷かれ、外出を禁じた。
そして軍人と冒険者だけがすぐに召集された。
交易都市守備軍総司令官であるリックは集まった兵と冒険者達の前で作戦計画を伝えていく。
「迷宮暴走と言われていたが、あれは誤報だ!実際にはアンデッドの群れだ!だがその数は100や200では収まらない!どこからやって来たのかは分からないが、迷宮暴走と同じ扱いとする事に決定した!冒険者諸君は我々王国軍と協力し、ドリクトスの防衛に当たってもらいたい」
騒めく冒険者達。
冒険者たちは迷宮暴走のように天災に近い魔物の災害時には現地の軍隊と協力し、一般人や村や街を守らなければならない決まりごとがある。
しかしここ数十年の間で迷宮暴走は一度も起こってはおらず、迷宮暴走を経験したことのない若い連中が殆どで、その決まり事もほぼ形骸化してきたものだった。
「安心しろ冒険者諸君。数が多く迷宮暴走扱いとは言ったが相手はただのアンデッドだ。我々が負けるようなことは有り得んよ。敵がアンデッドと分かったクーディ伯爵は打って出ることを決めた!冒険者諸君も我々ドリクトス守備隊に続いて城壁の外で戦ってもらう!」
騒ぐ冒険者たちに宣言するリックだが、冒険者たちには逆効果だったようで不安や不満の声が上がり出す。
「おいおい、ここにはまだひよっ子の冒険者も大勢いるんだぜ…?王国軍は冒険者を殺すつもりかよ…」
「王国軍からの報酬がどうなっているか誰か聞いたか?あいつらまさか俺たちに払うつもり無いんじゃないか?」
「くだらねぇ。迷宮暴走じゃないなら俺は降りるわ。娼館に行くつもりだったのに無理やり呼びやがって……」
そうしてさらに落ち着きがなくなり、騒ぎ出す冒険者たち。
リック司令官はそれらを無視し、自分たちの出陣の用意をするためその場を去った。
そうして多くの冒険者たちから不満の声が上がる中、交易都市ドリクトスでの戦闘が幕を切って落とされた。
「打って出て来ましたか。王国軍とは戦下手なのでしょうかね」
その声の主は女性。
髪は神々しいまでの金髪に、赤い瞳を持ち、その造形は正に絶世の美女。
だが誰もが見惚れるようなその女性の背中には、白く大きな翼が生えていて一目で人間では無いことが分かる。
「……ああ、なるほど。こちらをただのアンデッドの群れと侮りましたか。まったく度し難い人間です」
女性の名はミスト。
カナタの元サポートNPCにして、現在は意思を持つ存在となった《姉妹達》の五女。
そしてミスト隣には赤い半透明の体の女性が一人控えている。
派手に見えるミストに目が行きがちになってしまうが、ミストの側に控えているその女性も大変美しく、人間ではないことがやはり一目で分かる。
浮遊している二人の足元には、一人の妹が作り出した無数に蠢くアンデッドの大群。
様々な種類のアンデッドに、中には上位種である色が付いたアンデッドも混じっている。
ミストは城壁から出てくる王国軍を無視し、己のメニュー画面からとあるページを開く。
そこにはミストにとって最愛の男性、自分たちの主人であるカナタが映るスクリーンショットが表示されていた。
「しばらくぶりの戦争です。相手がプレイヤーでないことが不満ですが……。まあいいでしょう……。ご主人様…ミストの活躍を見守っていてくださいまし……」
愛おしそうに画面を撫で、ミストは呟く。
遠くに見える城壁からは王国軍が続々と出陣しているのが見え、多くの蹄の音がミストにも届く。
「ああ……会いたい…。……お側でご主人様をいつまでも眺めていたい…。……戻ったらご主人様にたっぷり甘えましょう」
ミストは画面を閉じると、城壁を出てこちらへ向かってくる王国軍を眺めた。
足元のアンデッド達は向かってくる王国軍を認識すると、今にも飛び出さんばかりに興奮しだす。
「そうと決まればもたもたしてはいられませんね。今回ばかりは御姉様二人に勝たせてもらいます」
迫る王国軍の先頭には豪華な鎧を纏った指揮官らしき者の姿が見えた。
これには流石のミストも失笑してしまう。
……随分と舐められているようです。
ミストはすぐに気を取り直すと、足元のアンデッド達に指示を飛ばす。
「さぁ、蹂躙しなさい」




