若き皇帝
「クレールよ、賭けは余の勝ちだな」
「ぐぅの音も出ませんな。第二計画へ直ちに移行しております、皇帝陛下」
二人の男が窓辺で眼下に広がる街並みを眺め語る。
一人はクレールと呼ばれた白髪が混じりの黒髪で決して若くはないが、見た目軍人にも見える体躯を持ち、彫りの深い武人然とした相貌をしている。
だがそんな見た目に反して彼は帝国の宰相であり、文官上がりの人間だ。
「王国でも何やら動乱が巻き起こったようだしな……。事前の取り決め通り、帝国は馴れ合いを止める。後日、正式に連合に通達せよ。所詮は自分本位の連中だ。遅かれ早かれどこかで綻びはできる。リフ大森林侵攻部隊とマリウスを失ったのは手痛いが、手切れ金と思えば安い物よ」
もう一人はまだ年若い青年。
この青年こそ超大国、グライドリヒ・バイツ・ザルディアス帝国の若き皇帝ユーリッヒ・バイツ・ザルディアスだ。
無造作に垂らした白銀に輝く長い髪を風に靡かせ、女性のように顔の線は細く体も小さい。
そして超大国の皇帝と呼ばれるには些か地味目な服飾をしており、頭上にある黄金の花冠が無ければ帝都の市民でも皇帝とは分からないだろう。
若くして権力の頂点である皇帝の座に付きながら贅沢を嫌い、質素倹約を重んじる珍しい性格をしており、それを他人には強要せず民のための善政を敷き、ラテール共和国侵攻で傾いた経済を立て直しながら緩やかな富国強兵を行っている名君である。
「それはアスバ将軍も、で御座いますな。それにしても陰謀だらけの世界になったものですな。何処の国も国益を第一に考え上流階級が潤い、民達は飢えている。いっそ南方諸国を帝国が統一してやった方が幸せになるのでは、と私は愚考してしまいます」
そう言って宰相クレールもワインが入ったグラスを持つと一口啜る。
実際に統一できたとしても帝国は潤うどころか復興金や治安維持費など負債が増えるばかりで何のメリットも無い。下手をすると帝国は分裂し兼ねない悪手も悪手だ。
だがそう言った冗談じみた言葉が出てくるほど、帝国以外の国々は貧困に喘いでいる国が多い。
クレールは視線を反らし、赤く染まった空が見える。
遠くに夕日が見え、もうすぐ夜の帳が落ちる頃だ。
それでも眼下に広がる帝都では、人々の喧騒は絶えず誰もが笑顔で暮らしている。
それが目に見えて分かり、自分たちが行ってきた政策が間違っていなかったこと感じる。
だがそれも5年以上前の帝都に比べれば、とてもささやかなものとなっている。
「仕方なかろう。余が幼き頃に始めた事業を各国が真似て、それが土台となってしまった。これは身から出た錆と言うのか、少々答えかねるがな」
若気の至りとも言うか、と自虐的に笑うユーリッヒ皇帝。
クレールも釣られて苦笑いをしてしまう。
「それは私も同様で御座いますな。もう15年以上も前になるのですか…。10にも満たなかった幼い陛下が、帝国各県に学び舎及び専門大学を置きたいと言い出したのは…。あれでただでさえ少ない髪が抜けてしまいましたぞ?また直ぐに生えて来たのでお説教はしませんがねえ」
はっはっは!と笑い答えるクレールに、勘弁してくれと今度はユーリッヒが苦笑いで答える。
「識字率が上がれば魔法も科学も文化も成長する。何より民の幸福度が高くなり、生産性も上がる。余の案を受け入れてくれた父上は戦争狂ではあったが無能ではなかった……。まあ、予想外にも真似をした各国も成長してしまったがな。余のアイデアがこうも広まり、今の陰謀や謀術に満ちた世界になってしまった土台になってしまったのはある意味必然よ。今になって父上の死に際の言葉の意味が分かるとはな…」
人は知識を持てば使いたくなるものだ。とユーリッヒは小さく笑う。
幼くして各分野に優れ、才能に満ち溢れていたユーリッヒ。クレールの前任である時の宰相を持って大天才とまで言わせしめ、遂には齢10にも満たない頃に帝国全土の改革までやってのけた実績を持っている。
そんな彼が知識云々と言うのは、クレールからするとあまりにも皮肉に過ぎた。
「陛下の御自虐も年々様になって参りましたな。時と場合にもよりますが、あまりいい傾向とは言えませんぞ?陛下が身から出た錆と言うのであれば、儂らがその錆を落とすまでで御座います。……それにしても王国で起こっている一連の怪現象、陛下はどのようにお考えで?」
クレールに問われ、ユーリッヒはテラスにもたれかかり、クレールの予想に反して興味無さげに答える。
「最初は魔鏡国を疑った。しかし魔王が倒されて早200年、奴らは大人しい。もともと種族的にも争い事や謀略を好まない性格をしている。次に砂の国を疑った。しかし貿易のお得意様である王国を害して何も得はない。次に北方平原のヤスデア帝国。好戦的だが、単純に謀略に長けていないし魔法レベルも低すぎる。森を漁るしか能がない蛮族共に起こせるとは思えんな。リフ大森林が無ければ今頃飢え死にしている連中よ。つまり何が言いたいかと言うとな、サッパリ分からん。考えれば考えるほどドツボに嵌る。分かるのはただ一つだ」
クレールに見せつけるように、ユーリッヒは指を一つ立てる。
「それは何ですかな?」
ユーリッヒ皇帝は悪戯が成功した子供のようにニヤリと笑い、クレールに話し始める。
「『赤い雨の夜』。かの事件から全てが始まった。と言うことよ。クレールはあの事件が起こった日を覚えているか?余はしっかりと覚えているぞ。その日はラテール共和国が事実上、大陸の地図から消えた日よ。あまりにも出来すぎているとは思わないか?この事実に気付いている人間はどれだけ居ると思う?余は震えてその日は夜も眠れなかったよ」
クレールの表情は驚愕に歪む。
亜人差別が蔓延した世界でラテール共和国の話は今や禁忌に近い物が出来ている。
『人類が勝利した日』として南方諸国の祝日にもなっている日はあるが、それはまた連合国が制定した日でありラテール共和国が滅びた日では無い。
ラテール共和国が滅びた日など、当時戦っていた軍人ですら思い出せないだろう。
滅びた後も戦闘は終わらなかったからである。
ユーリッヒ皇帝が言っているラテール共和国が事実上地図から消えた日と言うのは、人間がその驕りや高慢、欲望に溺れ、共和国という民主主義の芽を自分たちで摘んでしまった日、という意味だろう。
つまりラテール共和国が降伏した日。
歴史書には編纂されず、そこにはラテール共和国は徹底抗戦を始めたとだけ書かれている。
「………あまりにも不吉ですな。王国での事件もリフ大森林の事件でも、大きな被害を被ったのは軍人だけ。連合軍は呪われているのでしょうか……。もしそうであれば帝国もいつかは…」
ユーリッヒ皇帝は、見えないものに怯える素振りを見せ俯くクレールを見て薄く笑い、ポンっとクレールの肩に手を置いた。
「そんなものあるわけなかろう。ラテール共和国は滅びたが、亜人が絶滅した訳ではない。生き残りの亜人が起こしたとは言わないが、第三勢力の可能性は高いだろう。となれば次に事件が起こるのは帝国やもしれぬ。もしくはリムリス聖教国。……もしかすると大穴で連合国全体に起こるやもしれぬな?ククク」
先ほどまでサッパリ分からんと言っていたユーリッヒ皇帝が、第三勢力の可能性を仄めかす。
宰相として情けないが、帝国一の頭脳である皇帝が匙を投げてしまえば誰にも謎は解けないと思っていた。
だがユーリッヒ皇帝は新たな可能性を見出したようで、クレールは一縷の希望を持つことができ、顔を上げる。
「しかしクレールよ、そなたも老いたな?クク、呪いなどと……。呪術に関する魔法ではあんなことは起こせぬことは分かっておろうに。まあ……だが何があっても対処できるように準備は怠ってはならないからな。帝国全土に予備招集を掛けておけ。どうせ連合から離れれば周りは敵だらけだ。将軍どもの享楽で弛んだ腹を蹴ってやろうぞ。クハハハハ!」
そう言って皇帝ユーリッヒは、宰相クレールの返事も聞かず笑いながら部屋の中へ戻っていった。
戻っていった皇帝の後ろ姿を見送り、クレールはテラスにもたれ掛かると陽がもう落ちており、空には星々が爛々と輝いている事に気付く。
眼下に広がる帝都の喧騒は未だ絶えず、あちこちで明かりが灯っているのをクレールは静かに眺め、ユーリッヒ皇帝が言っていた新たな第三勢力の出現について思考を巡らせていった。




