籠の鳥の愛情
クロセル王子が反乱を起こす数時間前。
ヘテルベルク王国第一王女、クローナ・レイ・ヘテルベルクは日々の日課である編み物をしていた。
「クローナ様、お茶が入りましたよ」
「ありがとうカエデ。今日の天気はどうかしら?」
部屋にはいつも通りお付きののカエデだけ。
それも変わらぬ日常の一コマだが、城内でも徹底的に隠されたクローナ姫の自室は、外を眺める窓も付いていない。
こうしてクローナ姫が日々の天気をカエデに尋ねるのも日課となっている。
「今日は些か曇っていますね。お洗濯が干し辛いです」
「そうね。少しだけ雨の匂いもするもの。午後までには取り込んでおいた方がいいかもしれないわ」
カエデにはよく分からない感覚を持つクローナ姫。予知に近いものがあるが、クローナ姫にはそう言った感覚をいくつも持っていることをカエデは知っている。
「今日の係の者に後程知らせておきましょう。それはそうと殿下、先程から気になっていたのですが……その足元にある詰め物は一体…?」
カエデが気になったのはクローナ姫の足元に置かれた小さな鞄。ぎゅうぎゅうに詰め込まれ、明らかに本来入る量のキャパシティを超えている。
「これですか?これは後程必要なものです。慌てなくていいように事前に準備をしておきました」
これには流石のカエデも困惑した。
普段から稀に不思議な発言をするクローナだが、基本的に先程の天気の話とさして変わらない程度のないようのものだ。
だが今回は違った。
一体何の準備なのだろうか。
カエデは監視役でもある事を自覚しているため、本当は探るような真似はしたく無いが、聞かなければならない。
「クローナ姫殿下、不躾なながらその中身をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
正直心苦しい。
カエデだって人の子であり、様々な苦労を経てこうして王城で勤めることができている。
少し烏滸がましいとは思うが、人並みの常識と良心は持っている。
クローナ姫の現状を、カエデだっていつも不満に思っているのだ。
「これですか?うーん、本当は言いたく無いのですけど…カエデを困らせはしたくはありませんし…。お父様には内緒ですよ?」
女性の地位は低い。
だが目の前のクローナ姫は、元々女であろうが関係無くプライバシーと言う概念を持つ権利すら持つ事を許されていない。
そしてクローナ姫が珍しく言い淀み、父親であるザローナ王に内密にして欲しいと言っている。
カエデだって同じ女性である。
先の準備という発言や、話したがらないその内容で察しはついた。
「あっ!申し訳ございません。私ってば大変失礼な事を申しました。お答えしなくても大丈夫でございます。陛下には内密にしておくので、どうかご無理をなさらぬよう…」
「………? はい。ありがとうございます?」
クローナ姫はよく分かっていない表情でお礼を言うが、カエデは恥ずかしそうに俯いている。
何故、同じ女性である自分が気付いてあげれなかったのか。
とカエデは心中で反省しつつ聞いてしまった自分を恥じていた。
産まれた時から自由は無く、部屋に閉じ込められただ生かされているだけの少女。
城の庭にすら自由に出る事は難しく、部屋には姿を見られることを防ぐために窓すら無い。
陽の光すら自由に浴びることができない生活。
他人との接触も皆無と言っていい。
きっとクローナ姫はこの檻で一生過ごすことになる。
その身を自分に置き換えて想像するだけで、発狂しそうになる。
一体何が、この少女をそんな目に合わせているのか。カエデは知らされていないから想像する事も出来ない。
できるのであれば、この少女を自由にさせてあげたい。
外の世界を知ってほしい。
人並みに恋をして、人並みに家庭を持って、人並みに老いて行ってほしい。
クローナ姫のお付きとなってまだ2年だが、日々常にそう考えていた。
目の前で首を傾げるあどけなさが残る少女。
同性から見ても可愛らしく、少し天然が入っているが素直な女の子だ。
将来は男泣かせになるに違いない。
「カエデ、お茶の用意を」
クローナ姫に呼ばれ、はっと我に帰るカエデ。
お茶の用意をしようとするが、よく考えると今淹れたばかりである。
「姫様、お紅茶は今淹れたばかりですよ?おかわりですか?」
そう思い、クローナ姫の手元にあるティーカップを見てみるが、中身はまだ並々とはいっている。
疑問に思い、さらに聞こうとすると。
「カエデ、お客様です。開けてあげてください」
カエデは思わず固まってしまう。
クローナ姫は今何と言った?
お客様…?
この部屋を知っている人間はごく僅か。
そして誰であっても訪ねて来る時は王の許可と事前にカエデに言伝があるはずだが、カエデは何も聞いていない。
無許可でここへ訪ねるだけでも重罪となる。
クローナ姫の言う通り、来客の予定があればカエデが知っていないとおかしいのだ。
「クローナ様、本日は来客の予定など……」
カエデが言いかけたその時。
コンコンコン。
扉を叩く音が聞こえた。
カエデが息を飲む。
明らかに許可を得ていない者が訪ねてきた。
昏睡事件の時と違い、確実な侵入者であり、賊だろう。
「カエデ、心配ありません。開けてあげてください」
そして何故かクローナ姫は扉の向こうの相手を心配ないと言っている。
外部との接触が無いクローナ姫が何故扉の向こうの相手のことを知っているのか?
自分より先にクローナ姫は聞かされていた?
いやそれもおかしい。
クローナ姫を取り巻く環境は徹底に徹底を重ねられている。それこそあり得ない。
「もう、カエデ早く開けてあげなければ失礼ですよ。いいです。私が開けます」
「あ、クローナ様!?」
思考の海に溺れていたカエデはクローナの動きに遅れ、止める間もなくクローナ姫はその扉を自分で開いた。
「やあ」
そして扉の向こうに立っていたのは青髪の不気味な仮面を付けた燕尾服の女だった。
「お待ちしておりました」
そしてその怪しい風体の女を待っていたと言うクローナ姫。
カエデは内心で大混乱となる。
「あ、貴方は何者ですっ!?ここが何処だか分かっているのですかっ!?」
クローナ姫を押しのけ前に立ち、その身でクローナ姫を守るように背に隠す。
ここに来るだけでも複数の結界や感知式の索敵魔法装置を抜けて来なければならない。
許された者にしかここへ訪ねることは出来ない。
目の前の如何にも怪しい女はそれらを全てパスしてきた事になる。
捕縛されていないということは、王城の結界すら簡単にすり抜けて来け魔法装置を無力化する実力を持っている。
あり得ないと事だと思っていたが、実際に目の前にいる。
危険人物だとカエデにはすぐ分かった。
「大丈夫だよ。危害を加えるつもりは僕にはない。自己紹介をしよう。僕はピエロ。ただの狂言廻しさ」
気付けば扉は閉められ、ピエロと名乗った仮面の女は部屋の中へ入っていた。
お茶が置いてあるテーブルに着き、仮面の奥にある真っ黒な双眸でこちらを見ている。
「私はクローナ・レイ・ヘテルベルクです。うちのカエデが失礼な事をしてしまい申し訳ありませんでした。ほらカエデ、貴方も謝りなさい。そしてピエロさんにお茶を淹れて差し上げなさい」
「えっ?…えっ?え?」
カエデは混乱の極地に至っていた。
明らかに侵入者の危険人物だと思われる相手に自分の粗相を謝罪し、お茶を淹れろと言ってくる。
そして普段は幼さを残す喋り方も、ピエロを前にして随分大人びた喋り方に変化している。
カエデはもうどうしていいか分からなくてなっていた。
「ああ、僕の事は気にしないでいい。今日はクローナ姫にお話を持ってきたんだ。外に出れない暮らしは退屈だろ?面白い話には飢えていると思ってね」
ピエロはそう言ってまたも瞬間移動を使い、クローナ姫の御前に立つ。
「あ、貴方!御前に立つなど無礼ですよ!!いや、それ以前にいろいろと問題はあるのですがっ!!」
カエデはもう自分でも何を言っているのか分からなくなっていた。
想定外の事が重なり、どう対処していいのか分からなくなっている。
「僕が敬意を払い、頭を下げるのは僕の主人に対してだけだよ?まあ、だけどクローナ姫には是非こちらへ来てもらいたいから見せ掛けでもいいなら頭を下げるけどね!」
そう言って嗤うピエロ。
そんな相手に何もできないのは、身分や敬意が通じる相手では無いのは分かっている分、カエデは悔しさを覚える。
「さて、クローナ姫、僕の話を聞くかい?悪くない内容だよ?」
「そのお話の内容、お受けさせて頂きます」
まだピエロの話を聞いていないのに即答だった。
流石のピエロも驚いているようで返事に窮している様子だ。
「………流石だね。また明日の朝迎えに来るよ。そちらのカエデ君はどうする?」
急にピエロの口から自己紹介もしていないのに、自分の名前が出てきてカエデの体はこわばる。
そもそも、この二人は一体何の話をしているのだろうか?
「もちろん、一緒に」
笑顔で答えるクローナ姫。
カエデは混乱が治らない頭で思考を巡らす。
ピエロは迎えにくると言っていた。誰を?クローナ姫を?私も一緒?
「……っ!!クローナ姫を攫うつもりですかっ!?」
「攫うなんて人聞きの悪い。きちんと合意した上での話だよ?まあ君も一緒にと、本人の希望だから少しだけお話をしてあげよう」
ピエロはそう言うと、カエデに振り向き大げさな身振り手振りを交えて説明しだした。
「これから王国、いや南方諸国は大きな混乱期を迎えるんだ。この僕と主人の手のひらの上でね。だから有能な人物は見つけてこちらへ引き入れようと思ってね?僕と主人の舞台を邪魔されるのは最悪だし。ああ、心配しなくてもいい。こちらへ来てもらったら自由にしてもらっていいよ。王国には無い珍しい物も沢山あるし、こちらでは経験出来ない娯楽も数多くある。住んでいる者達もクローナ姫やカエデ君と年齢も同じくらいの女性ばかりだ。すぐに仲良くなれるだろう。そして一番の目玉はこの世界で一番安全な場所だ。なんたって僕らの主人である『ヒストリア』最強の主人が守っているからね!こんな杜撰なセキュリティと有能な人物を閉じ込める掃き溜めみたいな所は僕は嫌いだな。あのシステムの時代を思い出すよ」
最後の方で声のトーンが不気味な程下がるピエロ。
生まれて初めて殺気と言うものを感じ、思わず竦んでしまいそうになるのを堪える。
「まあクローナ姫は僕が訪ねて来る事すら予見していたみたいだからね。もちろん僕が持って来た話の内容どころか、きっともっと先の事まで承知の上で受けると言ってくれたんだろう。カエデ君も安心して付いてくるといい?こんな辛気臭い所で殺されたく無いだろう?」
こいつはここで私を殺す気で!?
「こ、断れば殺すつもりですかっ!?」
泣き出してしまいそうになるが、震える声で言葉を紡ぎ出す。
「言ったじゃないか。僕はそんな事はしないよ。君が殺されるのは王国にだよ。君だったら分かるんじゃないかな?例えば前任のお付きの人とかさ」
言われてはっとなるカエデ。
クローナ姫のお付きの前任とは会ったことすらない。気にしたことも無かったし、むしろ存在していたのかも分からない。
知っていそうなクローナ姫は今までそう言った事は話した事は無いが、この特殊すぎる環境下で居なかった訳がない。
まさか、そんな…。
口封じ、と言うか一言が頭に浮かんでくる。
「あっ…ああぁ、まさか…」
カエデはこのままだと自分もどうなるかを想像してしまい、涙が溢れ出し、足元はフラつき座り込んでしまう。
「クローナ姫の情報は外部に絶対に漏らしたく無いみたいだねー。任期が終わった瞬間、何も知らされず首と胴体がお別れしているみたいだ。クローナ姫はそれを知っているから、カエデ君の事も一緒に連れて行きたいと言っているんだよ?主従愛溢れるいいお姫様じゃないか」
ピエロは話し終えると再びテーブルに着き、自分でお茶を淹れ始める。
そしてそれを仮面の上から一口啜り、カエデに言った。
「カエデ君、難しく考えなくてもいいんだ。選択肢は二つ。ここで尽くして来た王国に殺されるか、敬愛し妹のように思っているクローナ姫と幸せに暮らしていくか。決めるといい。こう見えて僕は少し忙しい身だが、待っていてあげようじゃないか」
提示された選択肢は選ぶまでも無いものだった。
カエデは孤児院出身ておよそ家族と呼べる者は居ない。その身一つでどこにでも行ける。
ならばこんな閉じられた空間で殺されるのをわざわざ待つ事もない。
そしてなにより、クローナ姫が自由になれるのならば迷う事は無かった。
「貴方に付いていけば……本当に…クローナ様は自由になれるのですか?」
ティーカップを片手にその仮面が微笑む。
「もちろん」
正直に言えば信用ならない。出来るはずがない。
カエデはピエロを信じない。
自分が信じるのは、私も共にと仰ってくれてたクローナ様だ。
「………必ず姫様を幸せにすると誓いなさい。ならば私は付いて行きましょう」
ピエロの口元が嫌らしくニヤリと嗤うのが分かった。
その不気味な嗤いに、やはりピエロは信用してはならないとカエデは理解する。
「誓おう!我が主人カナタ様に向かって!!安心していいよ!日本人の血を引く君もカナタ様は大切にしてくださる筈だ!!君も幸せになれる事を保証し、誓おうじゃないか!明日の朝、クローナ姫と同様に君も準備をして待っているといい!」
言い終わるとピエロは立ち上がり、こちらが何か返事をする前に姿を消した。
残された一室にはクローナ姫と、座り込んで涙を流すカエデだけ。
「カエデ、巻き込んでしまってごめんなさい」
クローナ姫はカエデの側に寄り添い、宥めるようにカエデの背中を撫でた。
「私は大好きなカエデに死んでほしくなかった。カエデが断っても無理やり連れて行くつもりだったの。こんな鳥籠では無く、自分の能力で見えた未来で一緒に笑って過ごしたかったの。黙っていてごめんなさい」
「ひめ、さま?」
カエデはまだ推測でしかないが、クローナの秘密が少しだけ分かった気がした。
クローナ姫はカエデを抱き締める。
その細い腕に込められた強い力は、絶対に離したくないという意思が感じられるほど強く、暖かいものだった。
お付きである自分をここまで信じ、大好きだと言って抱き締めてくれたクローナ姫に対して、カエデの胸中では罪悪感や幸福感、愛情と言った様々なが溢れ混ざり合う。
止め処なく溢れてくる涙も隠さず、カエデは子供のように泣いた。
「姫様……どこまでも、お供致します」
「はい」
カエデはクローナ姫を抱き返し、自分より幼さの残る少女の胸で泣いた。




